今週の名言 : 瀬崎祐介さん(鰹節職人) [ビジネスパーソン (男性)]
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変えてはいけないこと、
変わらなくてはいけないこと…
================
手がけるのは
鰹節の中の最高峰
「本枯節」
半年近い時間をかけ
うまみを凝縮したその節には
宝石のような光沢が宿り、
ひとたび出汁(だし)をひけば
食材の魅力を
何倍にも引き立てる。
国内はおろか
世界の名だたる
三つ星シェフを
魅了し続ける鰹節職人
『瀬崎祐介』
さんの言葉です。
小学生の頃、
引っ込み思案な性格が
災いして
いじめにあい
人の顔色ばかりを
気にして過ごす日々。
将来は映像関係の
仕事を夢見るも
就職活動がうまくいかず
アルバイトでつなぐ日々
そして23歳の時に帰郷し
実家の鰹節業を
手伝い始めます。
その後2年かけて仕事を覚え
初めて自分で手がけた鰹節を
品評会に出品するも
思うような結果が
得られなかった悔しさから
最高の鰹節をつくる
ことを決意します。
しかし
最高の鰹節を作るためには
手間も時間も惜しまず
これまでのやり方を
徹底的に見直す必要が
ありました。
鰹節づくりは
チームで行うもの
チームの中で
一番経験の浅い瀬崎さんが
もっと、
こうしなくちゃダメだ
なんでもっと丁寧に
できないんだ
祖父や父親に対して
当たるようになると
やがて家族の関係が
崩れていきます。
小学生時代
社会人時代
そして今
どうしていつも
俺の人生はうまく
いかないんだろう
今度もどこか違う世界に
逃げ出してしまおうか・・・
そんな思いでいたときに
当時5歳だった長男の一言が
瀬崎さんの
その後の人生を
大きく変えることになります。
お父さん
違う仕事してもいいけど
また鰹節屋さんになってね
だってお父さんが
鰹節つくっているとこ
かっこいいんだもん
涙が止まりませんでした。
これまで
周りに対して変わることを
強要していたことを反省
周りではなく
自分が変わるんだ。
その日からは
早朝から深夜まで作業を行い
祖父や父親や
従業員の皆さんを
大切にすることで
自分の熱意を伝え
一緒に協力して頂ける環境を
整えていきます。
そして
オリンピックと同じ
4年に一度開催される
全国鰹節類品評会にて
2008年・2012年と
2回連続して
日本一の座に輝いています。
そんな瀬崎さんの
「変えてはいけないこと」
それは
誰にも負けない本枯節をつくる
本枯節の伝統を絶やさない
という熱意
そのために
「変えなくてはいけないこと」が
自分の考動だったのです。
後年瀬崎さんは
プロフェッショナルとは
との問いに対して
以下のように
答えられています。
自己満足を追い越して
周りの満足に変える人
この言葉の
深さが伝わってきますね。
ちなみに私にとって
変えてはいけないことは
家族への愛情
そのために
変えなくてはいけないことは
もっともっと
自分が成長すること
果たして
皆さんにとって、
変えてはいけないこと
変えなくてはいけないこと
どんなことが
頭に浮かんでくるでしょうか?
ときにはこんな視点から
自分を見つめ直してみるのも
いいですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 藤井昭文さん(キャンピングカービルダー) [ビジネスパーソン (男性)]
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自分のワクワクが
お客様のワクワクに…
============
年間、 約600台もの
キャンピングカーを作り、
半年以上待たないと
手に入らないほどの評判。
2020年には、
日本一のキャンピングカーを
決めるアワードで
4度目の大賞を受賞した
トイファクトリー社長
『藤井昭文』
さんの言葉です。
藤井さんは
1971年岐阜県の生まれ
幼少の頃
父親が改造した車で
寝泊まりしながら
全国各地を旅した思い出が
今の仕事の原点に
なっています。
社会人になると
特殊車両の制作会社で
働き始めますが
将来は
キャンピングカーを
作る仕事をやりたい
との想いから
トラック運転手もやりながら
資金を貯めて
24歳のときに
トイファクトリーという名の
会社を立ち上げます。
日本で一番
キャンピングカーを
愛していると
言い切るほどの藤井さんですが
当時は
まだまだキャンピングカーの
認知度も低く
いろんなことが
すべて独学での挑戦
なかなか納得のいく
キャンピングカーが
できあがりません。
やがて資金繰りも
苦しくなり
もうあと1か月
車が売れなければ
生活できないよ。
奥さんからも
嘆きの声がでてくるような
状況の中
それでも徹底して
試行錯誤を積み重ねると
ようやく
満足のいく車が
生まれてきます。
キャンピングカーが
大好きだからこそ
普通の人には
でてこないような
いろんなアイデアが生まれ
「知れば知るほどすごい!」
「見えない部分が真骨頂!」
といった
お客様の評判に
つながっていきます。
冬は暖かく
夏は涼しくなるよう
壁や天井の裏に
断熱加工を施し
ケガをしないように
家具はすべてに曲線をつけて
木材を加工するほどの
こだわりぶり。
座席や家具の配置も
快適に過ごせるよう
ミリ単位で計算
こうしてキャンピングカーの
トップランナーを走り続ける
藤井さんですが
今でも
もっと快適にできないか
もっと工夫ができないか
との想いで
日々進化を重ねています。
こうして藤井さんの
活躍を見ていると
日々の生活への
向き合い方が
いかに大切であるかが
伝わってきます。
嫌だな~
つまんないな~
という思いばかりでは
モチベーションも
アウトプットの質も
高まりませんね。
どうせやるなら
ワクワクする方向に
気持ちを切り替えたり
ワクワクすることを
できる環境を整える
そんな工夫を
していきたいですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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タグ:キャンピングカー
今週の名言 : 吉井雅之さん(№1習慣形成コンサルタント) [ビジネスパーソン (男性)]
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習慣が10割!
==========
№1習慣形成コンサルタントして
15年間で5000人の
実践トレーニングを実施
その活動領域は
ビジネスパーソンの
能力開発にとどまらず
親子で夢を叶える習慣術セミナー
スポーツチーム指導
受験生の能力アップなど幅広く
その成果が
すごいと評判の
『吉井雅之』
さんの言葉です。
ここで
いきなり皆さんに質問です!
これまでの人生の中で
次の詩を見たことはありますか?
心が変われば 行動が変わる
行動が変われば 習慣が変わる
習慣が変われば 人格が変わる
人格が変われば 運命が変わる
恐らく多くの方が
一度は目にしたがあるのでは
ないでしょうか…?
一方で
「習慣」が大事だと
頭では分かっているものの
なかなか習慣が続かずに
「自分には無理かも」
と半ばあきらめてしまっている
人もいるかもしれません。
吉井さんは
習慣形成コンサルタントとして
これまで数多くの
このような人たちと向き合い
習慣が続く
お手伝いをしてきました。
そんな吉井さんの
集大成として
習慣形成のノウハウが
満載された本
『習慣が10割』
が今ベストセラーとして
売れに売れています。
今でこそこうして
活躍されている吉井さんですが
驚くことに
若かりし頃の吉井さんは
何をやっても続かない
日々を過ごされていたようです。
ギャンブル
稼いだお金はすぐに使ってしまう
暴飲暴食
気にいらいないと当たり散らす
20代で起業するも
立ち上げた事業はすべて失敗
借金を抱え
自暴自棄になり
周りに迷惑をかけたことも
数知れず…
100%諦めムードだったある日
「習慣がすべてを決めている」
という名言に出逢い
もう一度だけやり直してみよう
と心に誓い
32歳の時に数多くの
能力開発セミナーに
参加したことが転機となり
今の活躍につながっています。
こんな吉井さんだからこそ
習慣形成のノウハウには
説得力がありますね。
吉井さんは、
習慣は「脳」との関りが
とても大きいと言われています。
人は、楽なことに快を感じ
人は、辛いことに不快を感じますね。
だからこそ
脳がワクワク感じるように
アプローチすることで
習慣形成に
役立つと言われています。
また一般的に人は
無意識のままでいると
マイナス思考に
陥りやすいことが知られています。
だからこそ
たとえ本心ではなくても
日々意識的に良い言葉を
自ら発するなどの
数多くのヒントを
書籍の中で紹介されています。
YouTubeなどでも 多くの人が
「習慣が10割」
を紹介されていますので
興味のある方は
まずはそちらを参考にされても
よいですね。
ここでは「クロマッキー大学」さんの
動画を紹介しておきます。
ぜひ皆さんも
習慣力を身につけて
より良い
人生を歩んでいきませんか…
こちらをクリック頂ると幸いです。
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今週の名言 : 古賀史健さん((株)バトンズ代表) [ビジネスパーソン (男性)]
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嫌われる「勇気」
幸せになる「勇気」
=============
10万部売れれば
大ヒットと言われる
出版業界において
国内外あわせた
出版累計数が
シリーズの2冊合計で
600万部をこえた
嫌われる勇気
幸せになる勇気
の著者の1人である
『古賀史健』
さんの言葉です。
古賀さんは
1973年福岡県の生まれ
映画監督を目指すも
大学の卒業制作(自主映画)で
集団作業で
リーダーシップを発揮する
能力に限界を感じ挫折。
それならばと
ひとりで創作可能な
文章の道を選ぶ。
大学を卒業すると
出版社に勤務するも
もっと
自分のやりたいことを
自由にやってみたい
との思いから
24歳でフリーに転身。
そして現在は
ライターとして活躍しながら
属人性の高い
ライターという職業を
組織化することに
挑戦して立ち上げた
Batons(バトンズ)の
代表取締役社長としても
活躍をされています。
そんな古賀さんが
2冊の書籍の
共著者であり
哲学者である
岸見一郎さんとの
出会いは
どんなことが
きっかけだったのでしょうか?
それは
古賀さんが
20代の頃に読んだ
「アドラー心理学」
の内容に深く感銘を
受けたことが きっかけでした。
このアドラー心理学の著者が
今回の共著者である
岸見一郎さんだったのです。
しかし
知り合いの編集者などに
岸見先生と一緒に
本を出したいと
いろいろと声をかけるも
全く賛同が得られず
時間がばかりが
過ぎていきます。
そして
アドラー心理学に
出会ってから
10年がたったときに
ある新聞社の企画が
きっかけとなり
ついに夢が実現することに
なります。
本を作り始めたころ
岸見さんは
父親の介護をされており
二人で会話をできるのは
父親が施設に行っている
限られた時間のみ
それでも
介護のために仕事が
ほとんどできなかった
岸見さんにとっては
違う人生の扉を
開くカギとなったと
当時を振り返っています。
そして
岸見さんの哲学者としての
知識・スキル・経験と
古賀さんのライターとしての
知識・スキル。経験が
足し算ではなく
掛け算でできあがった
ことが
ベストセラーに
つながっていることが
分かります。
これもある意味
名著「LIFE SHIFT」で
語られている
3つの無形資産が
活きていることが
伝わってきます。
嫌われる勇気
幸せになる勇気
こちらで
紹介されているのは
幸福に生きるための
考え方。
ここでは
複数あるポイントのうち
ほんの一部だけ
紹介いたします。
「他人に褒められようとしない」
「他人と自分を比較しない」
ある人が
同じことをしていても
周りの反応は様々ですね。
あなたの行動を
素晴らしいと
感じる人もいれば
逆に
なんでこんなことを
しているんだと
不満を感じる人もいます。
つまり
他人の評価は
あなたに決めることは
できません。
同じことを
違う視点から見ると
他人に褒められようと
行動することは
あなたの行動を
他人が決めること
とも言えますね。
だからこそ
他人に褒められることを
意識した行動を捨てて
自分のやりたいこと
自分のありたいこと
に軸をおいて
生きていくことが
大切になりますね。
結果
他人に嫌われても
いいじゃないか…
まさに嫌われる
「勇気」
を持ちましょう。
そして
そんな生き方をするためには
まず初めに
「自己受容」
が大切だと
言われています。
世界中のどこを探しても
完璧な人など存在しません。
今の自分を
受け入れること。
他人と自分を
比較しないこと。
自分の存在を
受けれ入れること。
「自己肯定感の教科書」
を書かれた
中島輝さんの
内容とも重なりますね。
頭が悪い
病気
スポーツができない
・・・
他人と比較して
できない自分を
悲観するのではなく
自分を受け入れて
成長をしていく。
こんな自分で
ありたいですね。
もう少し
内容を詳しく知りたい方は
以下の動画を
参考にしてください。
こちらをクリック頂ると幸いです。
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今週の名言 : 高田明さん(ジャパネットたかた創業者) [ビジネスパーソン (男性)]
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伝えること
から始めよう…!
===========
金利手数料は
ジャパネットが負担します。
今では
当たり前となっている
テレビショッピングを
日本に根付かせた
ジャパネットたかた
創業者
『高田明』
さんの言葉です。
世界でも
トップクラスの学生たちが
集まる
スタンフォード大学
オンラインスクール校長
星友啓さんが
100年時代を生きる
今の学生にとって
最も大切なことの
1つとして
共感力
をあげられています。
高田さんはこんな「共感力」に
早くから着目して
消費者への発信や
社員との
コミュニケーションの中で
トコトン
こだわり続けてきました。
また高田さんは
この共感力を
少し違う角度から
次のようにも言われています。
伝えると伝わるは
まったく違う!
思わず「納得」ですね。
恋愛もしかり
商品の販売もしかり
面接もしかり
・・・
そもそも
伝えるだけではなく
伝わることが
いかに大切であるかが
分かります。
例えば、
ビジネスの世界。
今や先進国では
モノ・サービス・情報で
あふれかえっています。
そんな中で
お客様にお金を払って
買っていただくためには
ただ一方的に
伝えるだけではなく
しっかりと
お客様に伝わり
そして共感頂けて
初めて購入につながります。
伝える⇒伝わる⇒共感⇒購入
ビジネスやプライベートでの
パートナーとの関係も
まさに同様のことが言えますね。
メーカー各社が
一生懸命に宣伝をしても
なかなか売れない商品であっても
高田さんによる
テレビショッピングでの
販売では
一気に売れてしまうという
事例がたくさんあります。
そんな高田さんが
伝わる⇒共感
を実践するための
ポイントとして
次の3つのことを
提唱されています。
ぜひ日々の生活の中で
意識を高めて
具体的に取り組んで
いきたいですね。
①パッション
②スキル
③ミッション
どうしても伝えたい
という想いがなくては
やはり
なかなか伝わりません。
そのためには
伝えたい相手のことを
どれだけ意識できるのか
が何よりも必要となりますね。
一方で
想いばかりでは
せっかくの良い内容も
残念ながら
相手には伝わりません。
どうしたら伝わるのだろう?
(②スキル)
自分自答してみたり
共感力のある人を参考にする
などしてみたいですね。
共感力
は短期間で一気に
磨かれるものではありません。
例えば
まずは身近にいる大切な人などに
しぼって
実践しながら
高めていきたいですね。
ここで
高田さんの経歴を
振り返ってみることに
しましょう。
大学入試では
第一希望に合格できず
学生時代は
英語とパチンコ、麻雀の日々
社会人になっても
入社した会社を早々に退社
新たに始めたビジネスも
軌道に乗せられず…
こんな経験をされている
高田さんは
若い人に向けて
次のような発信を
されています。
例えば
大学や会社が
自分の将来を
保証してくれるものではない。
過去を悔やんで
未来を悲観して
生きるのではなく
未来に向かって
「今」を生きてほしい!
チャレンジすることを
大切にしてほしい。
お金がない
時間がない
実力がない
経験がない
できない理由を
探すのではなく
どうしたらできるか
これこそが
今を生きる証
さていかがでしょうか?
できない理由と
どうしたらできるか
皆さんは
どちらの比率が
高いでしょうか?
改めて
自分を見つめてみると
実は思いのほか
どうしたらできるかの視点で
向き合っている方も
多いことと思います。
ぜひあなたも
今を生きながら
共感力
を高めてみませんか…
こちらをクリック頂ると幸いです。
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今週の名言 : 谷田千里さん(タニタ代表取締役社長) [ビジネスパーソン (男性)]
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============
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LIFE SHIFT
人生100年時代…!
=============
立教大学付属高校を
卒業すると
既定路線である
立教大学に進むのではく
自身の意志を貫き
調理師学校に進学
その後
タニタに入社すると
社員の大反対に
あいながらも
調理師学校での
経験を活かして始めた
タニタ食堂が大ヒット
タニタを
体重計のメーカーから
健康総合企業へと
変貌させた
タニタ代表取締役社長
『谷田千里』
さんの言葉です。
谷田さんが社長に就任した
2008年は、
世界中を震撼させた
リーマンショックの年
会社の業績悪化に加え
さらには体脂肪計の特許切れ
なども重なり大ピンチ
自分が会社を潰してしまい
債権者や株主、社員を前に
土下座して謝っているという
悪夢を毎晩のように
見ていたそうです。
厳しい経営環境の中
社員はみんな
一生懸命残業し
休日出勤もいとわず
働いているのに、
手取りが全く増えない
「報われ感」
が全くない状態が続きます。
こんな状況が続く中で
やがて精神的に
病んでしまう社員も現れてくる。
こんな現状をなんとか打破して
・社員の 「報われ感」を最大化すること
(働かされ感を最小化)
・手取りをアップすること
の両方を実現したいと
始めたのが
希望する社員には
タニタを退職してもらい
個人事業主(フリーランス)
として再契約をする取り組み
その名も
日本活性プロジェクト
です。
個人事業主(フリーランス)と
なった元社員は
タニタで
どの程度の仕事をするのかを
自由に決められる
さらには
自分の専門性を活かして
タニタ以外の企業や団体との
契約も自由に結ぶことができる
などのメリットがあります。
自由度が高く
多くの収入源があること
自分の専門性を
活かせることから
先の
・報われ館
・収入アップ
につながっています。
実際に
この制度を活用している
元社員の事例が
以下のサイトで紹介されています。
親の介護と収入確保を
両立させている社員
100年人生を見越して
収入の確保と
キャリアアップに
向き合う元社員…
書籍「LIFE SHIFT」が
ベストセラーとなり
多くの人々が
旧来の発想を転換して
いかに自分の人生を
生きていくのかを
主体的に考動することの
必要性に気づき始めています。
現在の20代の若者は
想定平均寿命は100歳超
旧来のように
65歳で引退していては
残り少なくても35年の
老後の資金を蓄えることが
難しいともいわれています。
終身雇用も崩れ
一つの会社で働くだけではなく
キャリアを活かして
同時に複数の企業で仕事をしたり
時には企業に属し
時にはフリーランスなど
が当たり前に
なろうとしています。
すると今後は
・自己投資(キャリアアップ)
・お金に対するリテラシー
・デジタルリテラシー
などをいかに主体的に
磨いていくのかが
大切な時代がやってくると
言えそうですね。
過去の常識だけでは
通用しない世の中が
訪れようとしています。
このようなことも
踏まえて
自分の人生を
切り開いていきたいですね…
この先の時代は
今までと何が変わるのか!
事前に学んでおくことで
よりよい人生の
第一歩としていきましょう。
こちらをクリック頂ると幸いです。
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今週の名言 : 湯澤剛さん [ビジネスパーソン (男性)]
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すべてのことは
過ぎていく…!
=========
早稲田大学を卒業後
念願のキリンビールへ入社
しかし
その後36歳の時に
疎遠にしていた父親が他界
なんといきなり40億もの借金を
背負うことに。
その後これまで何度も
ピンチを乗り越えて
借金を完済。
今では
父親から引き継いだ
居酒屋チェーンの経営のみならず
人材育成や不動産などの
ビジネスを展開する
『湯澤剛』
さんの言葉です。
湯澤さんの父親は
念願だった居酒屋ビジネスを
始めるも
思うように業績が伸びず
いつも社員に対して
高圧的な態度で当たり散らかす
幼少のころから
そんな父親が嫌だった
湯澤さんは
高校を卒業してからは
父親と疎遠な関係が続きます。
突然訪れた40億円の借金
法律にのっとり
相続放棄・自己破産などの
選択もとれましたが
父親の会社のために
頑張ってくれていた
従業員が路頭に迷う
納入業者が
二次倒産をしてしまうなど
周りの方々に
大きな迷惑を
かけてしまわいようにとの
想いから
父親のあとを継いで
社長に就任することを決意
とはいえ
居酒屋の店内は閑古鳥
従業員も仕事せず
店の裏でマージャン
自宅の妻にまで
借金取りが毎日のように
押しかける
心が折れるだけではなく
思わず電車に身投げしたい
衝動に駆られることも…
それでも 5年間と期間を決めて
それでダメだったら
あきらめようと
1日1日
試行錯誤を積み重ねていきます。
父親が事業拡大していた
様々な事業をすべてやめて
居酒屋一歩運に絞り
その中の優秀な人材に
居酒屋の店長をまかせ
工夫を重ねていくと
少しずつ売上・利益が
伸びていくようになります。
とにかく早く借金を完済したい
そんな思いから
コストを切り詰め
バイトの数をトコトン減らす
…
こんな状況の中で
大きな試練が訪れます。
ある店舗での食中毒の発生
別の店舗の火事による消失
…
すべては
借金返済最優先で
人のコストを削りすぎて
しまったことが
最大の要因でした。
もうあきらめようと
思っていた矢先
5年間は頑張りましょう
私たちもこの会社にかけているんです。
その後は借金返済のスピードは
少しずつだとしても
「人」
を一番大事にする
経営に徹するようになります。
従業員にとって
働きやすい店づくりを
推進した結果
従業員から様々の様々な
アイデアが
想定以上に売上・利益の
増加につながります。
そして父親の事業を
引き継いでから16年後に
見事40億円の借金を完済
初めて家族で1泊2日の
旅行にも行くことができました。
成長軌道にのった
湯澤さんのビジネスも
2020年度世界に猛威を
ふるっているコロナの
影響を受けて
売上・利益大幅ダウン
そんな中でも湯澤さんは
これまでの経験で
次のような
ことを学んだと語られています。
やはり心の在り方が大切
やはり人が大切
すべてのことは過ぎ去っていく
すべてのことは遠ざかっていく
今はつらく感じることも
いつかは振り返られる日が訪れる
あきらめなければ道は拓ける
朝の来ない夜はない
すべての人の人生には
良い時もあれば
良くないと思う時もあります
それでも
自分の心の在り方ひとつで
あの時の経験が
今の自分を強くしてくれている
こんな風に思える
過ごし方をしていきたいですね。
こちらをクリック頂ると幸いです。
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今週の名言 : 斎藤俊男さん(長ネギ王) [ビジネスパーソン (男性)]
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やればできる!
自分はできる!
============
これほどまで甘いネギに
今まで出会ったことがない
日本を代表する
レストランのシェフ達をも
うならせるほどの美味しさの
ブランドネギを生み出し
今では
飲食店500店舗
スーパー1200店舗
にこのブランドネギを
納入する農業法人の
代表を務める
『斎藤俊男』
さんの言葉です。
斎藤さんは、
1967年
日系ブラジル人2世として
日本からは遠く離れた
ブラジルの地で
生まれます。
幼少のころから
日本人の
心の素晴らしさを
父親から聞かされて育った
斎藤さんは
22歳で大学を
卒業すると
Japanese Dream
を夢見て
日本に出稼ぎに。
今では
大成功をおさめている
斎藤さんですが
ここまでの人生は
まさに波乱万丈そのものでした。
日本で初めて
働き始めた職場では
いきなり給料の1か月分を
仲間に騙し取られてしまいます。
そんな背景からその職場を退職。
今度は、
日本語が達者だったこともあり
ブラジル人と
日本の企業をつなぐ
仲介業の仕事を始めることに。
しかし斎藤さん本人が
外国人だから
というだけの理由で
不信感を抱かれて
なかなか契約がとれません。
それでも斎藤さんは
決してあきらめません。
苦労して
借りることのできた借金で
在日ブラジル人のための
社員寮や保育所を設立
在日ブラジル人の働きやすい
環境の整備などを進めていきます。
そこまでやっているのであればと
日本の企業の信頼を得ることで
次第に
契約者数も増え
ブラジル人仲介ビジネスが
成長軌道にのっていきます。
まさに
Japanese Dream
しかし
この成功も長くは
続きませんでした。
世界を震撼させた
リーマン・ショック
世界景気の悪化とともに
各企業から
一気に
契約解除の通達。
結果として残ったのは
行き場のないブラジル人従業員と
借金4千万円
天国から地獄
こんな状況の中でも
斎藤さんは
決してあきらめません。
仲間のブラジル人と
この先何をしたらよいかを
もがいている中で
思いついたのが
農業でした。
当時生活をしていた
埼玉県では
耕作放棄地がたくさんあり
この土地を借りて
農業ビジネスを
成功させようと奮い立ちます。
しかしながら
当時の日本は外国人に対する
偏見も強く
日本の農業をなめるな!
農業はそんな簡単じゃない!
農業の素人であり
かつ外国人だった
斎藤さんに
耕作放棄地を貸してくれる農家が
まったくあらわれません。
それでも
やっとの思いで
借りることのできた土地は
木や草が生い茂る荒れ地
決してあきらめない
やればやれる
来る日も来る日も
荒れ地の開拓をすすめ
そんな生活が3か月たったころ
ようやく畑として使える状態に。
しかし、さっそく様々な
野菜を育ててみるも
斎藤さんは農業の経験ゼロ
収穫できた野菜は
決して品質の良いものでは
ありませんでした。
さすがの斎藤さんも
悔しさにうなだれていると
わずか3か月で
荒れ地を畑にしてしまう努力や
毎朝5時半から
日が暮れるまで
畑仕事に向き合う姿勢に
共感した地元の農家の人々が
栽培の指導をしてくるように
なっていきます。
数ある野菜の中でも
特に長ネギの品質が
年々向上していき
長ネギ農家としての仕事が
軌道に乗り始めていきます。
ところが・・・
そんな矢先のこと、
今度は
東日本大震災が発生
風評被害により
ネギが売れなくなってしまいます。
またしても
大きな借金をかかえることに
それでもあきらめない
自分はできる
との想いから
人とは違う最高品質の長ネギを
つくりあげて
独自ブランド化を目指します。
全国をまわり肥料を研究して
あれこれと試行錯誤する中で
ようやく
今の品種にたどりつきます。
そして スーパーとの契約に
つなげるため
大型のハウス栽培の設備を導入
いよいよこれからだという時期に
今度は大雪でハウスが全壊し
大きな損害
なんでこんなことに
なってしまうのだろう
こんな思いをいだきながらも
それでも斎藤さんは
決して あきらめません。
今度も逆境をはねのけて
見事復活を果たされています。
この復活にあたっては
周りの日本人農家の方々の
サポートを多く受けています。
この地で農業を始めようと
決意してから
地域のごみ拾い・草刈りなどの
活動を行っていた姿勢
日本人以上に農業に
本気で向き合う姿勢が
地元の方々の
信頼につながっていったのですね。
さて
皆さんはいかがでしょうか?
どうせ自分なんて…
私には能力がないから…
一度や二度の失敗で
自分の夢や希望を
簡単に
あきらめたりしていませんか?
やればできる!
自分はできる!
ぜひ皆さんも
斎藤さんのように
自分を信じて
夢や希望を叶えていきませんか…
こちらをクリック頂ると幸いです。
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今週の名言 : 上田勝彦さん(魚食普及人) [ビジネスパーソン (男性)]
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サカナ伝えて、
国おこす!
==========
日本人1人あたりの
魚の摂取量。
2001年と比較して
2017年の消費量は
なんと60%にまで減少。
魚離れが進む水産業界を
立て直すために
魚食文化の復興に
全国を飛び回り、
汗を流す
魚の伝道師
『上田勝彦』
さんの言葉です。
上田さんは
1964年島根県の生まれ
小さい頃から
魚が大好きで
実家が漁師とか料理店
というわけでなかったものの
小学校3年生の時には
自分で包丁を研ぎ
魚を捌いていたとか
その後も
魚のことが学べるという理由で
長崎大学水産学部へ入学
その大学時代には
さらに魚好きが高じて
大学を休学して
日本各地の漁村を巡りながら
漁師としての仕事を始めます。
このまま漁師として
生きるのも悪くないなと
思い始めていたころ
せっかく大学に
行っているんだったら
中央に行って
漁師が抱える
人材不足や高齢化の
問題を解決して欲しい
と漁師仲間に頼まれたことを
きっかけに
27歳で漁師を辞め
国家公務員試験を受けて
1991年に水産庁に入庁。
水産庁での
上田さんの働き方は
多くの官僚とは異なり
机上の調査だけではなく
とにかく自ら現場に足を運び
漁師から消費者に至るまでの
様々な立場の人々の声に
耳を傾けていたそうです。
こうして現場に足を運ぶ
日々を積み重ねる中で
このまま水産庁にいたままでは
自分の想いは実現できない。
との想いから
50歳の時に水産庁の辞職を決断。
ウエカツ水産という会社を
立ち上げ
魚に関わる様々な相談に
のるようになります。
この会社の社是こそが
冒頭の言葉
サカナ伝えて、
国おこす
漁師
加工流通業者
小売り
飲食店
消費者
相談の内容は多岐に
渡りますが
水産庁時代に
現場を中心に仕事を
行ってきた経験と
ご自身の調理の腕
漁師としての実力などもあり
今では
数か月先まで
相談の予約でいっぱいとのこと。
こうして自分のやりたいことを
実践し続ける行動力、
本当に素晴らしいですね
さて皆さんは
いかがでしょうか
時間が無いから…
お金が無いから…
○○が無いから…
せっかく自分の
やりたいことがあるのに
できない理由ばかりを
並べて
あきらめたりして
いませんか?
ぜひ皆さんも
上田さんのように
自分の想いを軸にした
人生を歩んでいきませんか…
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今週の名言 : 三木谷浩史さん(起業家) [ビジネスパーソン (男性)]
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他人がどう言おうと
やりたいことをやる!
==============
今でこそ
インターネットでの
買い物は当たり前ですが、
わずか20数年前
日本人になじみのなかった
ネット販売会社を起業し
今では売上高1兆円をこえる
企業に育て上げた起業家であり
楽天の会長兼社長である
『三木谷浩史』
さんの言葉です。
一橋大学商学部を卒業した
三木谷さんは
当時の日本興業銀行
(現みずほ銀行)に入行
そして
社内留学制度を活用して
アメリカの
ハーバード大学にて
MBAを取得
このアメリカ留学中に
社会を変革する
起業家
という仕事に
あこがれを
持つようになります。
その後、
日本に帰国して
間もなくのこと
阪神・淡路大震災で
故郷の神戸が
瓦礫の山と化し、
敬愛していた
叔父叔母を
失ったことが
人生観に
大きな影響を与えます。
人生は永遠ではない!
とにかく自分が
やりたいことをやるべき。
間もなく銀行を退職し
起業を決意します。
その後
起業家として
世の中の常識を
くつがえすような活動が
時に大きな批判に
つながることも
度々ですが
それでも
それが起業家の使命として
人類社会の発展に
貢献したいとの想いから
他人がどう言おうと
やりたいことをやる
と心に決めて
前を向いて
突き進んでいきます。
さて皆さんは
いかがでしょうか?
特に日本人は
人と違うことを嫌う
風潮がありますね。
本当はこう生きたいのに
周りに笑われるから
と遠慮するようなことが
ありませんか?
誰でもない自分の人生
そして限りある人生
自分のやりことをやる
皆さんも
三木谷さんのように
こんな生き方を
していきませんか…
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