今週の名言 : 鈴木のりたけさん(絵本作家) [その他]
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迷いながらも
自分らしく・力強く・・・
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2023年上半期
最も売れた児童書
「大ピンチずかん」
牛乳をこぼしちゃった
トイレのかみがない
シャンプーが目に入った
・・・
日常生活で起こる
様々なピンチ
そんな場面を
ユーモラスに描いた
この絵本は
刊行から1年あまりで
累計40万部と突破する
人気ぶり。
冒頭の言葉は
この絵本の作者である
『鈴木のりたけ』
さんによるものです。
のりたけさんは
1957年静岡県浜松市の生まれ
中学時代には生徒会長
高校は地元の進学校
そして一橋大学に入学
その後JR東海に入社
はたから見ると
申し分のない人生を
歩んでいるようにもみえますが
実情は
そうではありませんでした。
JR東海に入社するも
「ここは自分にはあわない」
と2年で退職
ここまでの人生を
ふりかえってみると
自分の価値基準が
「偏差値が高いこと」
にあったとはたと気づきます。
もっと、自分にあった
もっと、自分らしい
生き方をしたい
と思いたち
JR東海を退職後
まずは独学で
イラストを勉強し
その後
デザイン事務所で
働き始めます。
しかしここでも
このままでいいんだろうか
と悶々とする日々を
過ごす中
入社8年目の時に
ご自身の苦しい胸の内と
もともとベースとして
備わっていた
ユーモラスな一面を表現した絵が
とある編集者の目に留まり
絵本作家の道を
歩み始めることになります。
同じ絵本作家でも
自分ならではの視点を
大切にしたいとの
想いから
先に紹介した
「大ピンチずかん」
シリーズでは
日常の中にも
おもしろい時間が
たっくさん転がっている
ことを
表現したいと
1日1日を愉しむこと
をモットーとする
のりたけさんらしが
表れています。
また子供たちに向けた
「しごとへの道」
シリーズでは
単に仕事の内容を
絵本で紹介するのではなく
様々な仕事についている人の
ストーリーに焦点をあてて
絵本を描かれています。
ここで
絵本描かれている人の中から
2人の方を紹介しましょう。
研究者の松田英子さんは、
東京大学大学院卒の研究者ですが、
中学時代に不登校になったり、
研究者になってからも
挫折を味わったりと、
悩みながら
人生を歩んできた方です。
パン職人の本行多恵子さんは、
自宅でパン教室を開く
母親のもとで育ち、
誕生日には
ケーキのかわりにレーズン食パンを
一斤丸ごと食べるという、
大のパン好き。
子どもの頃の夢
まっしぐらで、
そのままパン職人に
なるかと思いきや、
ホテル勤務や
北海道の牧場暮らしなど、
回り道をたどります。
のりたけさんご自身同様に
多くの社会人が
迷いながらも
自分らしく
力強く
歩んでいく姿
を描かれています。
そしてのりたけさんの
3人のお子さんにも
目を向けてみると
義務教育である
小学校・中学校には通わず
フリースクール
で勉強しているとのこと。
大人も子供も大切にしたい
のりたけさんの軸が伝わってきます。
・1日1日を楽しむこと
・自分を信じて前を向いて歩み続けること
こうした
のりたけさんのメッセージに
共感する人も
少なくないのではないでしょうか!?
ぜひ私たちも
日々楽しいことに意識を向けて
自分の挑戦をやり切っていきましょう。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 永松茂久さん(著者・事業家) [その他]
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For me
そして
For you・・・
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2021年
『人は話し方が9割』
がすべての書籍を含む
日本年間ランキングで
総合1位(日販調べ)
2022年には
ビジネス書部門で史上初の
3年連続1位(日販調べ)に輝き、
累計120万部を突破した
著者・講演家・事業家である
『永松茂久』
さんの言葉です。
永松さんは
1974年大分県の生まれ
先に紹介した実績をみると
ここまで順風満帆な人生を
歩んでこられたかのように
見えますが
決してそんなことは
ありませんでした。
編集の仕事
たこ焼き屋など
チャンレンジを重ねるも
失敗の連続
お金も底をつきる
・・・
まさに
もがき苦しむ日々
そんなときに
たまたま鹿児島の
宿泊先でみた
映画「ホタル」
激動の昭和を生き抜いた
特攻隊の生き残りである男と、
その妻の人生を
描く人間ドラマ。
ご自身が
ビジネスを始めるときに
世の中
そんなに甘くないぞ
ビジネスで行き詰ったら
知覧に行け!
という祖父の言葉を
思い出し
鹿児島県知覧を
何度も何度も訪問
あと数日後には
自分の命が絶たれるのにも
関わらず
特攻隊員の遺書からは
大切な方への愛と感謝
にあふれていました。
それまでの自分はと言えば
自分中心の生活
やがて
自分の大切な人を笑顔に!
をモットーに生きていこう
という想いが
強く心の中に
醸成されていくように
なります。
時を同じくして
幼少の頃
母親から
何度も繰り返し
教えられていた言葉
の真意が分かるように
なってきます。
自分中心な生き方はダメ。
周りから
喜ばれる人になりなさい!
それからは
目の前の人
自分にとって大切な人
お店に来てくださるお客様
の笑顔のために
何ができるか
を考えながら
行動を重ねていくように
なっていきます。
するとしだいに
たこ焼き屋をはじめとした
その他の新しいビジネスも
軌道に乗るように
なっていきます。
一例をあげると
お客様の中に誕生日の方が
いらっしゃると
全従業員とお客様全員で
バースデーの
お祝いパフォーマンスを実施
こうしたパフォーマンスは
お店の効率も悪くなり
コストもかかってしまうものの
大切な軸は「笑顔」
誕生日を迎えられたお客様
お店に招待したお仲間の方
パフォーマンスをする従業員
一緒に居合わせたお客様
・・・
みんなが
「笑顔」になる瞬間です。
永松さんは
大切な方の「笑顔」のために
(For you)
を提唱する活動を行う中で
1つだけ
注意喚起を促されています。
それは
自分を犠牲にしてまで行う
For youですと
継続性がないため
よくないと。
大切なのは
自分を大切にするFor meが
あったうえでのFor you。
知覧からの学び
母親からの学び
自分を大切にすること
そして
相手も大切にすること
私たちも
ぜひ実践していきたい
考え方ですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 鳥濱拳大さん(ホタル館トミヤ食堂館長) [その他]
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「愛」と「感謝」
に生きる・・・
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鹿児島県知覧。
大東亜戦争末期、
軍の指定食堂だった
ホタル館富屋食堂の
女将であった鳥濱トメさんは
「特攻の母」と呼ばれ、
明日飛立つ若者たちに
私財を投じて、
食べたいものを提供し、
届かないはずの手紙(遺書)を
彼らから直接預かり、
家族のもとへ届け、
特攻隊員の
最期の思いを叶えていた。
これまで、
映画や舞台、
ドラマや小説など、
多くのメディアに
取り上げられており、
数々の特攻隊員を
支えてきたホタル館富屋食堂。
今では
そのトメの生涯と
特攻隊員達の遺品や写真を
織り交ぜ、
特攻隊員達の
真実を展示している
資料館である
ホタル館富屋食堂館長
を引き継ぎ
三代にわたり
後世へと思いをつないでいる
『鳥濱拳大』
さんの言葉です。
父親であり
ホタル館の前館長であった
鳥濱明久さんは
2021年7月
病気のために
60歳の若さで
この世を去ることに。
戦争を全く知らない自分に
館長として語りべ活動が
つとまるのか
コロナで
来訪者がゼロのまま
どうやってトミヤ食堂を
継続させるのか・・・
様々な 課題ばかりがある中、
何度も自問自答を重ね
たどりついた結論が
自分が館長を
引き継ぐというものでした。
館長として
ふさわしい語りべとなるべく
膨大な資料を読み込み
伝え方を学び練習・・・
収入ゼロの中
なんとか施設を
維持したいとの思いから
クラウドファンディングに
挑戦すると
応募開始わずか2時間で
目標額に達し
最終的に
予定額を大幅に上回る
援助を頂けることに・・・
こうした活動を通して
自分の中で
「期待」と「使命」
を強く感じるようになっていきます。
そんな拳大さんが
2~3日後には
命をたつことになる
特攻隊員から
大切な方にあてた遺書を
読んでいると
1つの大切な
共通点が見えてくると
言われています。
死を目前にした
20代前後の若者たちが
遺書に記している内容が
「感謝」 「愛」
に集中しているということ。
特に
母親や父親、
妻や子供
フィアンセ
など大切な人への
感謝・愛
ここで数ある遺書の中から
1つだけご紹介してみましょう。
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穴沢利夫さん 享年 23 歳
出撃当日、
婚約者の智恵子さんにあてた手紙
あなたの幸せを願う以外に
何物もありません。
無駄に、
過去のことや過去の義理に
こだわってはいけません。
あなたは
過去に生きるのでは
ありませんから。
勇気をもって過去を忘れ、
将来に新しく生きる場を
見出すことです。
あなたは今後の、
一時一時の
現実の中に生きるのです。
穴沢は現実の世界には
もう存在しません。
………
いまさら何を言うのかと
自分でも考えますが、
ちょっぴり
欲を言ってみたいです。
1、読みたい本、
「万葉」「句集」…
2、観たい画、
ラファエルの「聖母子像」、
狩野芳崖(かのうほうがい)の
「悲母観音」
・・・
・・・
・・・
3、智恵子。
・・・
会いたい、
・・・
話したい、
・・・
無性に。
・・・
今後は明るく朗らかに。
自分も負けずに朗らかに
笑って征きます
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いかがでしょうか?
こうした遺書にふれてみると
日々の生活の中で
自分にとって大切な人が
「笑顔」
でいられることを
行うこと・願うことが
私たち一人ひとりにとって
とっても大切であることが
伝わってきますね。
「いつもありがとう」
と感謝の気持ちを伝える
大切な人の夢を応援する
大切な人に自分の
頑張っている姿を見せる
ちょっとした
気遣いを大切にする
自分や大切な方の
体と心の健康に気づかう
・・・
8月15日
間もなくむかえる
終戦記念日
あなたの大切な人の
「笑顔」
のために
どんな自分でありたいのか
一度立ち止まって
考えてみるのもいいですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 瀧澤克己さん(脳神経外科医) [その他]
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あなたの努力は
必ず報われる…
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直径1ミリにも満たない
脳の血管を縫っていく神業
世界からも
難易度の高い手術を
やってほしいと
依頼が殺到するなど
世界を代表する
脳神経外科医
『瀧澤克己』
さんの言葉です。
瀧澤さんは
1965年北海道の生まれ
もともと勉強が
好きだったこともあり
その流れで
何となく医学部に進学
当時は
使命感に燃えて
医師になりたい!
ということでは
ありませんでした。
しかし大学を卒業し
旭川赤十字病院脳神経外科に
勤務するようになると
瀧澤さんの人生に
大きな影響を及ぼす
人物との出逢いがありました。
当時の上司であり
「匠の手」と呼ばれ
血管バイパス手術で
日本一と定評のあった
上山博康氏との出会いです。
上山氏の
手術スキルの高さ(技術)
患者への向き方(人間力)
の素晴らしさに
強い感銘を受けて
自分もこの世界で
技術と人間力を
磨いていこうと決意。
しかし
手術を正確に行うための
知識はあるものの
いざ手術となると
緊張で手が震えてしまい
なかなか思うように
手術ができない日々。
上山氏から
手術には向いていないと
ダメ出しを出されてしまいます。
それでも
この世界で患者に貢献していきたい
との思いから
手術の腕を磨くための
猛特訓を重ねます。
なんと10年間もの間
特訓を継続されたことで
周りからも
一目置かれる
実力が
ついてくるようになりました。
するとやがて
海外にも瀧澤さんのことが
知られるようになり
初めて声をかけて頂いた
カンボジアでの手術を行うと
こうした
まだまだ手術のレベルの低い
海外での支援こそ
自分の使命
おおいに応えたい
との思いから
これまで 23か国200名の
手術を行ってきました。
日本の病院に
勤務していますので
こうした応援は
ご自身の休日を使って
無償で行っていらっしゃいます。
現地の手術では
現地の医師も立ち会わせ
手術の合間には
現地の医療レベルで
上手に手術を行うための
講義を行うなど
精力的な
取り組みをされています。
国内外どこにいようと
いったん手術室を出ると
いつもにこやかで
優しく話しかける人柄に
周りのスタッフも
患者さんも
笑顔が絶えません。
手術は向いていないと
言われても
諦めずに
努力し続けたことで
今では世界から
依頼が殺到する名医となった
瀧澤さんの冒頭の言葉
あなたの努力は
必ず報われる!
とても大きな勇気に
なりますね。
今、目標に向けて
頑張っている皆さんへ。
あなたの努力は
必ず報われます!
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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