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今週の名言 : 吉岡更紗さん(染織工房 染司よしおか 6代目社長) [その他]

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想いをのせるから


伝統が守られる…


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今では

化学染料を使うことが

当たり前の染め物業界にあって



化学染料を

一切使うことなく



天然の植物を原料として

気の遠くなるような

手間暇をかけて作る



天然の染料のみを

扱うことを旨とする



染織工房:染司よしおか

(そめのつかさよしおか)





の6代目社長を

つとめる



『吉岡更紗』

さんの言葉です。



230527 吉岡更紗さん ①.gif


「染司よしおか」

は江戸時代後期から200年続く

伝統ある染織工房



更紗さんはこの家に

3人姉妹の末っ子として

1977年に生まれます。



父親は

3人姉妹に対して、



将来この仕事を継いで欲しいとは

いっさい言ってきませんでした。



伝統ある工房と

娘たちには自分のやりたいことを

との対比からのことだったのでしょう。



そんなこともあり

更紗さんは大学を卒業すると



「イッセイミヤケ」 に就職し、

販売員として働き始めます。



しかし就職して

月日が流れていくと



しだいに

「よしおか」 の今後のことが

気にかかるようになり



ついには自分が

「よしおか」をつぐんだ

といった決意を固め



父親のもとで

工房の仕事を始めていきます。



230527 吉岡更紗さん ②.png


しかし

2019年突然のことでした。



旅行先で父親が倒れ急逝。


突然

6代目社長となる日が

訪れます。



染物は

たとえ同じ原料(植物)を

使ったとしても



作る人によって

最終的な出来栄えが

大きく異なってきます。



果たして

伝統を守るとは?



来る日も来る日も

自問自答を重ねます。



日本酒

歌舞伎

など



伝統ある家系や企業で

最も大切にしていることは



不易流行



変えてはいけないことを

変えないこと



そして

変えなくてはいけないことは

その時代にあわせて変えていくこと


 

この両方が備わってはじめて

伝統が守られていくことになります。



230527 吉岡更紗さん ③.gif


そのために更紗さんは

次のようなことを大切に

日々過ごされているそうです。



◇仕事のプロセス

◇原料の供給農家を訪ねて感謝を伝えること

◇先輩(年配)従業員への感謝を伝えること

◇お店に立って購入者の声を聴くこと



◇仕事のプロセス



今日、

染め物業界でここまで広く



化学肥料が

使われているのは

手間とコストがその理由。



植物を原料として

天然由来の

染め物を作るためには



気の遠くなるような

膨大な手間暇がかかります。



それでも

そのプロセスでの微妙な変化を

五感で感じ取り



より良い

染め物に仕上げるための



創意工夫

を怠りません。



どんな思いで

一瞬一瞬を過ごしていくか。



多くの社会人・学生の

皆さんにとっては



仕事や勉強のプロセスとして

ややもすると



単なる作業として

時間をやりすごし



結局のところ

ほとんど何も



身についていない

成長していない



といったことも

ありがちですね。



高いレベルで

輝き続けていくためには



こうした日々の積み重ねが

いかに大切であるかが

伝わってきます。



230527 吉岡更紗さん ④.png


◇原料の供給農家を訪ねて感謝を伝えること
◇先輩(年配)従業員への感謝を伝えること




 一方で

いくら自分一人だけで

頑張っていても



よい作品・商品は

出来上がってきません。



原料となる

植物の生産農家さん



一緒に働いて頂ける従業員の皆さん。

(父の代の社員の皆さん)



更紗さんの

伝統工芸に対する熱い想いと

周りへの感謝の気持ちが



こうして関わる一人一人に

しっかりと伝わり



共感応援

つながっています。



こうして

応援していただける

仲間の存在も大きいですね。



ここでは

強い想い感謝

がそのキーワードとなっています。



◇お店に立って購入者の声を聴くこと



そして

今の時代のお客様の声に耳を傾け

新しい時代を創っていく。



230527 吉岡更紗さん ⑤.png


不易流行



人としての「ありかた」にこだわり

新しい未来を創造していく

 


更紗さんの

こうした日々の過ごし方からも



私たちの

日々のあり方として



参考となる部分が

ありそうですね。





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今週の名言 : 大久保佳代子さん(お笑い芸人) [芸能人 (女性)]

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私のルーツは


家族にあり…


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長い長い

不遇の時代を乗り越えて



今では

週8本のレギュラー番組を

もつなど



女性お笑い芸人の

トップを走る



『大久保佳代子』

さんの言葉です。




230520 大久保佳代子さん ①.png


佳代子さんは

昭和46年

愛知県田原市の生まれ



先祖代々

事業で財をなしていた

大久保家



しかし

祖父母の代に事業に失敗



佳代子さんの父親は

中学卒業と同時に家を出て



遠く離れた

東京府中市で丁稚奉公



それから8年後

病気を理由に

田原市の実家に戻ります。



その後、

田原市で出会った女性と結婚



そして

佳代子さんが生まれます。



なんとか借金を返そうと

祖父母・両親ともに



ひたすら真面目に

働き続けるも

貧しい生活は変わらず。



しだいに

両親と祖父母の

関係性が悪くなり



両親の決断により

実家を出て

家族4人で暮らすことに。



こうした

貧しく険悪な状況にあって



佳代子さんは

周りの大人たちの言動などを

敏感に感じ取るようになり



家では

無口でおとなしい

子供だったそうです。



230520 大久保佳代子さん ③.gif


一方で後年、

こうした経験のおかげで



空気を読む力が

人一倍みについたとも

言われています。



そんな生活の中で

唯一の楽しみだったのが

お笑いでした。



千葉大学に入学すると

小学校から高校まで

同じ学校だった



光浦康子さんと

お笑いコンビを結成し



たまたま受けた

オーディションに合格



230520 大久保佳代子さん ②.png


お笑いの道へ

進んでいくことに



大反対だった母親とは

対照的に



自分のやりたいことを

やりなさいと



そっと背中を押してくれた

父親の後押しを受けて

芸能界へと歩みを始めます。



中学卒業以降



中学卒業と同時に

親元を離れて丁稚奉公など



やりたいこともできないまま

苦労の連続だった父親として



娘には

やりたいことができる

チャンスがあるなら



ぜひ頑張ってほしい

やらせてあげたい

との思いからでした。



それでも

すぐに今のような活躍が

できたわけでもなく



10年以上にわたり

企業に就職しながら



お笑い芸人としての活動を

続けます。



こうした不遇の時代を経て

今では人気芸人として



活躍されている

佳代子さんが



ご自身の人生を

振り返り



今の家族があるから

今の私があると

語られています。



230520 大久保佳代子さん ④.gif


◇実は真面目で一生懸命が基本

◇人一倍空気を読める力

◇貧しくても明るくいられる性格

・・・



ほとんどの人が

自分の育った環境の影響を

大きく受けて生きていきます。



どんな家族にも

それぞれ性格がありますね。



明るい家族や

暗い家族



前向きな思考の家族や

ネガティブ思考の家族



頑張り屋の家族や

怠惰な家族

・・・



佳代子さんも

家族の良い部分を

しっかりと糧にして



日々

頑張ってこられた

様子がよく伝わってきますね。



私たちも

自身の家族の「良い」性格を

引き継いで



より良い人生に

つなげていきたいですね。



230520 大久保佳代子さん ⑤.gif


皆さんの家族は

どんな性格でしょうか?

どんな魅力があるでしょうか?



ぜひ佳代子さんのように

家族の良い性格を



自分の人生にも

活かしていきたいですね。






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今週の名言 : さだまさしさん(シンガーソングライター) [芸能人 (男性)]

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生きがいも


幸せも


私が決めるもの…


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風に立つライオン

案山子

北の国から

など

 


誰もが

一度は耳にしたことのある曲を



半世紀の間

生み出し続け



70歳となり

同世代のアーティストたちが

一線を退く中で



今なお

現役として歌い続ける

シンガーソングライター



『さだまさし』

さんの言葉です。







230513 さだまさしさん ①.gif


さださんは

1952年長崎県長崎市の生まれ



3歳より

ヴァイオリンを習い始め



1963年、

小学校5年生のとき



毎日学生音楽コンクール

西部地区(九州地区)大会で3位



翌1964年、

小学校6年生で同大会2位。



ヴァイオリン指導者として

高名な鷲見三郎氏に認められ、



長崎市立西北小学校卒業後、

中学1年生のとき

ヴァイオリン修行のため



単身上京して

ヴァイオリンの指導を仰ぎます。



そして

目標としていた



音楽で名高い

高校を受験するも

残念ながら失敗。



人生で初めて

大きな挫折を味わいます。



ヴァイオリンしかなかった

自分はこれからどうして

生きていったらいいんだろう

・・・



ヴァイオリンに代わる

夢が見つからず



来る日来る日も

不安なこと

不満なことを

ノートに書き綴り



手当たり次第に

本を読み続けるも



わたしは誰?

どうやって生きていくの?



自分が見えなくなり

その後通っていた



別の学校も中退し

長崎に戻ります。



その長崎で

ふと再会したのが

昔の音楽仲間でした。



そこでグレープという

ユニットを結成して

活動を始めると



「精霊流し」

が大ヒットとなり

上京して活動を行います。






しかしその後

頑張りすぎが原因で



過労で倒れ

ユニットも解散。



再び挫折を味わい

長崎に戻ります。



その後、

心身が整ってきた

タイミングで



今度は

一人で再出発。

24歳のときでした。



それから3年後の27歳

夫から妻への不器用な愛

をつづった曲



「関白宣言」

が大ブレーク



しかし

ここでもまた

挫折を味わうことに。



230513 さだまさしさん ③.png


それは

複数の団体などから受けた

強烈なバッシングでした



女性蔑視

差別助長

・・・



その後に出した曲でも

様々なバッシングを

受け続け



もうこれで

歌うのを最後にしようと



35歳の時に

地元長崎の皆さんへの

感謝の気持ちを込めて



自ら3,000万円の借金をして

長崎市民に向けて

無料のコンサートを実施



なぜか

こうしたことに対しても



売名行為

偽善者

・・・



とバッシング。



ここでさださんを

救ってくれたのが

地元長崎の人々でした



バッシングに負けるな

いつも応援しているよ

大好きだよ

やめないで

・・・



こうした声に

そっと背中をおされて



5年

10年

15年

20年

・・・



とその後も活動を継続して

今に至ります。



さださんは

これまでの人生を

振り返り



次のように

語られています。



230513 さだまさしさん ④.png


自分の人生は

大きな挫折の連続だった



苦しくなると

地元に長崎に逃げ帰ってきた



すると

みんながいつも優しく

迎え入れてくれた



人生には

様々なことがあるけれど



どう生きるかは

他人が決めるのではなく



自分が決めればいい

自分らしく生きればいい



バッシングに負けて

歌手をやめなくて

本当に良かった



生きがいも

幸せも

自分で決めるもの



長崎への感謝

応援してくれた人への感謝



の気持ちがあるから

今も歌い続けている



それは、

自分で決めたこと



それが

自分にとっての幸せであり

自分にとっての生きがい



私たちも

こうした自分軸での生き方を

重ねていきたいですね。






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今週の名言 : 和田毅さん(プロ野球選手) [スポーツ (男性)]

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できるかできないか


ではなく、


やるかやらないか…


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日本を代表する

投手として



日米通算150を超える

勝利をかざり



42歳(2023年)

の今もなお



ダイエーソフトバンク

の最年長選手として



現役での活躍を

続けている



『和田毅』

さんの言葉です。




230506 和田毅さん ①.png


和田さんは

1981年山形県の生まれ



幼少期は

愛知県江南市で過ごします。



そして江南市立

藤里小学校1年の時に



地元の

「江南団地野球」に



入ったのが

野球を始めた

きっかけでした。



こうして今では

球界を代表する選手として

活躍をされていますが



ここに至るまでには

様々な苦労があったそうです。



高校2年には

島根県浜田高校の



エースとして

甲子園に出場するも



一回戦で

自身のエラーと四球で

サヨナラ負け。



230506 和田毅さん ②.png


その年の秋には

上腕三頭筋を断裂



高校球児といえば

球速140~150km/hが

普通の時代にあって



当時の和田さんは

中学生レベルの

120km/h程度。



同級生である

松坂大輔選手が



日本中の

人気物として

脚光を浴びる中



プロから

声がかかることもなく



悔しい思いを胸に

早稲田大学へと進学



230506 和田毅さん ③.png


その後

早稲田野球部の中で



和田ほどの練習を

こなした人はいない



と周りから言われるほどの

努力を重ね

早稲田のエースとして活躍。



そして念願だった

プロ野球ダイエーソフトバンク

への入団をはたします。



その後1年目の年から

14勝をあげ

満票で新人王を獲得



さらに31歳のときに

アメリカメジャーに挑戦



230506 和田毅さん ④.png


しかし

ここでまた試練が

訪れてしまいます。



トレーニング中に

左ひじに違和感を訴え



検査をしてみると

左ひじ靭帯損傷が発覚し

手術を受けられています。



それでも

高校時代

大学時代

日本のプロ時代

と同じように



このまま

アメリカでできるのだろうか

と悩んでいるのではなく



アメリカで

できるように挑戦していこう

と決意を固め



人一倍の

努力を重ね続けます。



後年、

ご自身の人生を振り返り

次のようなことを語られています。



人一倍

起伏の激しい

野球人生だった



でもどんな逆境に

立たされても



できるかできないか

ではなく

『やるかやらないか』



を大切に

ここまで生きてきた



松坂大輔投手

藤川球児投手

杉内俊哉投手など



同期には

有名選手が多い中



今でもこうして

現役の野球選手として



残っているのは

自分だけ



苦労があった分

トレーニングの工夫

食事へのこだわり

マッサージの取り入れ方

・・・



などへの

試行錯誤が

自分の財産となっている



230506 和田毅さん ⑤.gif


毎年1月には

こうした自分の経験を



ご自身の娘さんに

近い年齢の

若い選手たちに門戸を開いて



所属チームを問わない

合同自主トレを主催



持っている

知識・スキル・経験

をおしみなく



伝える活動も

継続されています。



自分の可能性を信じて

いまでも成長のための

挑戦を重ね続ける



和田さんの

こうした生き方



ぜひ

見習っていきたいですね。






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