今週の名言 : さだまさしさん(シンガーソングライター) [芸能人 (男性)]
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生きがいも
幸せも
私が決めるもの…
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風に立つライオン
案山子
北の国から
など
誰もが
一度は耳にしたことのある曲を
半世紀の間
生み出し続け
70歳となり
同世代のアーティストたちが
一線を退く中で
今なお
現役として歌い続ける
シンガーソングライター
『さだまさし』
さんの言葉です。
さださんは
1952年長崎県長崎市の生まれ
3歳より
ヴァイオリンを習い始め
1963年、
小学校5年生のとき
毎日学生音楽コンクール
西部地区(九州地区)大会で3位
翌1964年、
小学校6年生で同大会2位。
ヴァイオリン指導者として
高名な鷲見三郎氏に認められ、
長崎市立西北小学校卒業後、
中学1年生のとき
ヴァイオリン修行のため
単身上京して
ヴァイオリンの指導を仰ぎます。
そして
目標としていた
音楽で名高い
高校を受験するも
残念ながら失敗。
人生で初めて
大きな挫折を味わいます。
ヴァイオリンしかなかった
自分はこれからどうして
生きていったらいいんだろう
・・・
ヴァイオリンに代わる
夢が見つからず
来る日来る日も
不安なこと
不満なことを
ノートに書き綴り
手当たり次第に
本を読み続けるも
わたしは誰?
どうやって生きていくの?
自分が見えなくなり
その後通っていた
別の学校も中退し
長崎に戻ります。
その長崎で
ふと再会したのが
昔の音楽仲間でした。
そこでグレープという
ユニットを結成して
活動を始めると
「精霊流し」
が大ヒットとなり
上京して活動を行います。
しかしその後
頑張りすぎが原因で
過労で倒れ
ユニットも解散。
再び挫折を味わい
長崎に戻ります。
その後、
心身が整ってきた
タイミングで
今度は
一人で再出発。
24歳のときでした。
それから3年後の27歳
夫から妻への不器用な愛
をつづった曲
「関白宣言」
が大ブレーク
しかし
ここでもまた
挫折を味わうことに。
それは
複数の団体などから受けた
強烈なバッシングでした
女性蔑視
差別助長
・・・
その後に出した曲でも
様々なバッシングを
受け続け
もうこれで
歌うのを最後にしようと
35歳の時に
地元長崎の皆さんへの
感謝の気持ちを込めて
自ら3,000万円の借金をして
長崎市民に向けて
無料のコンサートを実施
なぜか
こうしたことに対しても
売名行為
偽善者
・・・
とバッシング。
ここでさださんを
救ってくれたのが
地元長崎の人々でした
バッシングに負けるな
いつも応援しているよ
大好きだよ
やめないで
・・・
こうした声に
そっと背中をおされて
5年
10年
15年
20年
・・・
とその後も活動を継続して
今に至ります。
さださんは
これまでの人生を
振り返り
次のように
語られています。
自分の人生は
大きな挫折の連続だった
苦しくなると
地元に長崎に逃げ帰ってきた
すると
みんながいつも優しく
迎え入れてくれた
人生には
様々なことがあるけれど
どう生きるかは
他人が決めるのではなく
自分が決めればいい
自分らしく生きればいい
バッシングに負けて
歌手をやめなくて
本当に良かった
生きがいも
幸せも
自分で決めるもの
長崎への感謝
応援してくれた人への感謝
の気持ちがあるから
今も歌い続けている
それは、
自分で決めたこと
それが
自分にとっての幸せであり
自分にとっての生きがい
私たちも
こうした自分軸での生き方を
重ねていきたいですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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