辻正人さん(多賀少年野球クラブ監督) [その他]
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「好奇心」に
フタをしない…
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移住してでも
子供に通わせたい!
全国から子どもたちが
学びにくる
少年野球チームが
滋賀県にある。
練習時間は
ほかのチームの半分ほど、
しかも参加は自由、
指示は一切なしの
ノーサイン野球、
型破りな教えで
全国大会を連覇、
世界大会をも制した。
そんな 少年野球チーム
多賀少年野球クラブ(HP)
で監督をつとめる
『辻正人』
さんの言葉です。
辻さんは
1968年滋賀県多賀町の生まれ
幼少の頃を
思い返してみても
企業経営者だった父親に
遊んでもらった記憶が
いっさいなく
ただ
ご飯を食べさせてもらっている
ただ
寝る場所を与えてもらっている
・・・
父親からの
愛情をまったく感じないまま
幼少期を過ごすなか
しだいに
父親との距離が
離れていってしまいます。
そんな状況の中
中学生になり
野球と出会います。
チームのために尽くす
皆で勝利を目指す
家庭で味わうことのなかった
こんな心の通い合いが
とっても楽しく
野球にはまっていくように
なりました。
自分が育った環境や
世の中を見ていると
大人たちが
自分の都合の良いように
勝手に
規律を創り
子供たちの
可能性をつぶしていることが
あちこちに散見されることに
違和感を感じるようになります。
例えば、
泥沼で遊ぼうとする
子供たちに
危ないからと
ストップをかける大人
本心は
そのあとの洗濯が面倒だから。
子供たちが
何かチャレンジしようとすると
親や周りの大人たちが
リスクをできるだけ取り除いて
安全な枠の中で チャレンジさせる。
そんな環境で育った
子供たちは
しだいに
自分の好奇心にフタをしてしまい
大人たちの顔色を見ながら
生活することが
習慣化していきます。
こうして
本来持っているはずの
可能性を引き出せないまま
大人へと育っていって
しまいます。
ようやく大人になって
チャレンジをうながされても
できるはずもありませんね。
子供たちには
もっとこうした
大切な経験を
積ませたい
子供たちの好奇心を
育ててあげたいとの想いから
20歳の時に
地元多賀町に少年野球チームを
立ち上げて
今に至るまでの35年間
週5日の活動を
継続されています。
ただし
指導の中身は
いわゆる
技術指導が中心ではなく
心の指導が中心。
試合前には
ヒットを打った場面を想定して
心から喜ぶ練習を
させることもあるとか。
今の子供たちは
こうした感情を表に出すことも
抑え込まれていると
辻さんは
語られています。
練習や試合への参加は自由
服装や髪形も自由
とにかく
楽しくやること
全力でやること
これだけをモットーに
活動をされているのです。
(報道ステーション:3分50秒あたりから)
こうした指導方針に
全国から共感が集まり
ここで野球がやりたいからと
滋賀県に移住してくる家族
他県から
練習に参加する
生徒も多くいらっしゃいます。
中には
病気のために
学校に通うことも大変な生徒が
ここでの
野球の練習だけは
楽しく
参加されているといった
ケースもあるそうです。
辻さんは
35年間こうして
子供たちと接している中で
次のようなことを
語られています。
大人たちの都合で
子供たちの好奇心に
フタをしない
ことが大切
また大人たちも
仮に過去にこうした
フタをするような
育てられ方をしてきたとしても
これからの人生の中で
自分自身で自分の好奇心に
フタをしない
ことが大切
誰だって
無限の可能性を秘めている。
大人も子供の
自分の好奇心を大切にして欲しい。
また子供たちが
楽しく全力で野球に
向き合う姿を見て
今の大人たちの中で
これほど全力で生きている
人は少ないのではないか
自分も
子供たちに負けないよう
全力で生きていきたい!
こうした辻さんの
考え方・生き方
私たちも大切にしていきたいですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 福井響さん(自転車の洗車専門店「LAVAGGIO」オーナー) [ビジネスパーソン (男性)]
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自転車を
もっと身近に感じてもらいたい…
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空前の自転車ブーム
2020年度の
自転車販売市場は
過去最高の2100億円
そんな自転車が
好きで好きでたまらず
日本で初めて
自転車の洗車専門店
をたちあげた
『福井響』
さんの言葉です。
福井さんは
1993年大阪府の生まれ
保育園児のときに
三輪車にはまり
小学生では
早くも自転車で淡路島1周
(距離:約150km)
高校生になると
初めて本格的なロードバイクを
買ってもらうと
たまたま参加した
地元の自転車レースで優勝
このころは
将来は世界のトップになれる
と自信満々でした。
しかしその後
自転車部の強豪校である
鹿屋体育大学に進学すると
福井さんに
これまで味わったことのない
大きな挫折体験が
待ち受けていました。
それは自分と
周りの学生との
あまりにも大きな実力差
練習にもついていけない
試合にも出れない
あー俺には無理だ!
この先どうなっていくんだろう・・・
そんな思いを抱き続けながら
1年生の冬にサポート役として
参加した「ツール・ド・北海道」
ここは
これまでのような
学生だけの大会ではなく
社会人もプロも参加する大会
プロのチームでは
学生と異なり
レースに参加する
選手の自転車の整備や
レース中に発生する
メカニカルトラブル
などを専門に取り扱う
プロのスタッフがいて
とても高いプロ意識をもって
自分の役割に強い責任感をもって
向き合っている。
こうした姿に
衝撃的な感動を覚え
大好きだった自転車に
選手としてではなく
プロのスタッフとして
向きあい続けていきたい
そんな想いが
ふつふつと湧き上がってきました。
大学の監督に
何度も何度もお願いをして
ついに
日本の大学としては初となる
学生メカニック
の道へとチャレンジを始めます。
しかし
学生メカニックは前例もなく
何をしたらよいのかも
分からないものの
自転車ショップで働き
自転車の構造を学んだり
レースに参加している
メカニックの方に話を
聴くなどしていると
あるチャンスが
訪れました。
それは
欧州のプロチームでの研修
3年生の秋と
4年生の春の2回
合わせて4ヶ月
例えば秋の研修は
来シーズンのための
バイク製作過程を学びました。
機材の調達から
自転車の組み上げ、
そして選手への引き渡しまで、
来季1年間を
闘い抜くための
準備段階をみっちりと学びました。
そしてその後
何と縁あって5年間、
イタリアのロードレースチームの
専属メカニックとなり、
世界中で活動したのです。
帰国した福井さんは、
「自分の洗車技術で
自転車業界に貢献できるのでは」
と考え、
周囲から
「絶対にビジネスにならない」
と反対されながら、
2020年に
自転車洗車専門店を
立ち上げたのです。
自転車が好きで好きで
たまらない
人と交わるのが大好き
自転車好きな人と
もっともっとつながりたい
自転車を
もっと身近に感じてほしい
こんな強い想いをベースに
四六時中
自転車のことばかり
考えているそうです。
こうした想いをベースに
新しく始めた
各地に出向き行っている
洗車イベントなども大盛況
2020年お店を開店後
コロナ渦にあったにも関わらず
お店の方も
200台/月以上もの
洗車注文が入るほどの盛況ぶり
選手からプロの洗車へと
形は変わったものの
自分の夢をあきらめず
真剣に追いかけ続けてきた
福井さんの
生き方は
とてもクールですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 渡邉直子さん(登山家) [その他]
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自分の心に
素直に愚直に生きる…
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標高8000m以上の山々は
世界に14座しかない。
すべてヒマラヤ山脈にある。
そのうち13座の登頂に成功し
女性初の
14座登頂達成を目指す
登山家
『渡邉直子』
さんの言葉です。
直子さんは
1981年福岡県の生まれ
両親から
たっくさんの愛情を注がれて
すくすくと育っていきます。
しかし小学生のころ
直子さんにとって
とてもつらい体験がありました。
それはまわりの児童からの
壮絶なイジメ。
後年になって
当時のことを振り返り
次にように語られています。
もし私に
学校という選択肢しかなかったら
私はそのまま
つぶれてしまっていたと思う。
でも私には
学校以外にも「遊び塾」があった。
遊び塾では
登山や野外活動を通して、
引っ込み思案だった性格が
徐々に外向きに変化し、
体も心も強くなった。
チャレンジすることを
躊躇しない人間になれた。
学校以外の逃げ場が
あったことで救われたし
何より、
負けないぞという気持ちを
持つことができた。
こうして
遊び塾がきっかけで
登山にはまるようになっていきます。
そして
大学3年生の時に参加した
登山隊では保健係を担当し、
このときの体験がきっかけで
看護の道へ進むこと決意します。
長崎大学水産学部を
卒業すると
日本赤十字豊田看護大学で
看護を学び
現在では
現役看護師として働きながら
給料の大半を
遠征費用に充てて
「世界の屋根」
に通い続けています。
直子さんが
これほどまでに
山にとりつかれている背景には
小学生の頃のいじめ体験をばねに
自分に自信を持ち続けたいこと
普通の人にはできないような
体験に強い魅力を感じていること
そして
看護の現場での体験が
大きな原動力となっています。
病院では、
いきなり大病を宣告され、
若くして
亡くなっていく人も見てきた。
やりたかったことも
あったと思う。
だからこそ、
こんなことやりたいと思う
自分の心に素直に愚直に
後悔のない人生を
歩んでいきたい
との想いが強いそうです。
特に日本人は
自分の心にふたをして
やりたいことがあるにも
関わらず
今はお金がないから
今は時間がないから ・・・
と後回しにしてしまう
傾向が強いそうです。
ぜひ私たちも
直子さんのように
今の自分の心に
素直に愚直に
向きあっていきたいですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 中村美穂さん(パン屋「麦」店主) [その他]
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作ることが好き、
食べることが好き、
地域の人と接することが好き・・・
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一年を通して
参拝客で賑わう伊勢神宮。
その玄関口となる
外宮前の参道には、
100年以上も前から
飲食店や物産展が
軒を連ねています。
その一角にあって
「伊勢で1番おいしと思う」
と評判のパン屋
パン屋「麦」の店主
『中村美穂』
さんの言葉です。
美穂さんは
1995年三姉妹の三女として
三重県伊勢市に生まれ育ちます。
料理好きな
姉二人に影響を受け、
相可高校へ入学。
調理師免許が取得できる
食物調理科を専攻します。
そこで調理の基本と
接客をみっちりと勉強。
高校卒業後は、
地元で人気のフレンチレストラン
「ココット山下」へ就職。
その後、
料理人として
さらに腕を磨くため、
東京屈指の
人気フレンチビストロなどで
日々調理に励んでいました。
ところが、
以前働いていた
「ココット山下」の
オーナーシェフが開いた
パン屋さんが
コロナの影響で
職人が離れていってしまい
閉店するという話を聞いて
ショックを受けた美穂さん。
すると山下さんから
「よかったら店を引き継いでもらえないか」
という電話が・・・
美穂さんは
地元でとても人気だった味を
何とかして守りたい
との想いから
この店を引き継ぐことを即決。
しかし料理はできても
パンに関しては素人同然。
引き継ぐことは
決めたものの
どうやったら
できるだろうと
悩んでいると
山下さんからの一言。
「できるかできないか」ではなく
「やるかやらないか」だ。
パン職人の修業を開始。
朝から晩まで
毎日パンを焼きまくり、
2021年9月、
たった2か月で パン屋『麦』
をオープンさせたのです。
後になって
山下さんが
なぜ美穂さんに
あとを引き継いで欲しいと
思ったのか
次のように
語られています。
とにかく明るい
エネルギーに満ち溢れている
つまり人としての魅力
これらがあれば
技術は追いついてくるし
お客様からも
応援していただける。
その通り
今ではたくさんの
常連客もついて
大人気のお店と
なっています。
そんな美穂さんですが
前のお店の看板メニューである
「食パン」
をしっかりと守りながら
自身が料理人だった
ことを活かして
新しいチャレンジも
様々、取り組まれています。
◇食事に合うような
ハード系のパンの品ぞろえ
◇参拝客が減る夏場の週末の朝は
パンプレートなどのイートイン
◇気心の知れた近隣の
カフェやバーとのコラボ企画
◇SNSを使った発信
◇新店舗「レストラン」への
チャレンジ・・・
今では地元の人は
もちろんのこと
県外や海外からの
お客さんも
とても増えているそうです。
どうして
こんなに次々と 新しいことに
チャレンジできるのか
との問いに対する答えが
冒頭の言葉でした。
==================
作ることが好き、
食べることが好き、
地域の人と接することが好き・・・
==================
もともと
持ち合わせている
明るさや
エネルギッシュさを
自分に好きなことに
活用しながら
歩み続けている
美穂さんの生き方
とても魅力的ですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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