今週の名言 : 幸後綿衣さん(女性鮨職人) [ビジネスパーソン (女性)]
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人生経験こそが
味になる…
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2023年11月
鮨の激戦区として知られる
麻生十番に
自分の店を
オープンさせると
早くも予約困難な店として
国内外の食通たちを
魅了している
「鮨めい乃」
の女性鮨職人
『幸後綿衣』
さんの言葉です。
めいさんは
1989徳島県の生まれ
ご両親の言葉を借りると
学校に呼び出されることも
たびたびで
めいさんの子育ては
正直大変だったけどおもしろかった
と言われています。
めいさんもご自身は、
・カフェの店員
・クラブのDJ
・・・
やりたいと思ったバイトを
様々経験されてきたようです。
将来は
海外で暮らしたいとの想いから
上智大学
ドイツ文学科に進学
「鮨職人」
になれば海外で働くことが
できるかも。
これが めいさんが鮨職人を目指す
きっかけだったそうです。
しかしもともと
鮨職人といえば男性社会
あまりにもの
下働きの過酷さに
あえぎ苦しんだり
ときに泣いてしまうこともある中
優しく
手をさしのべてくれたのが
めいさんが
これまで鮨を握らせて頂いていた
名店:鮨・新井
のオーナーでした。
めいさんは
親方である新井さんの
人間性や握る鮨のレベルの高さに
ほれこみ
いい鮨職人になるには
自分が理想とする人の
近くに身をおくことが大切と
その後
新井さんのもとで
厳しくも愛情のこもった
指導を仰ぐことになります。
自分のやりたいことはやる
想像したことは現実になる
をモットーに
時には鮨職人でありながら
フランス留学し
ワインソムリエの資格を取得
本当の食材の良さを知ることが
大切だという信念のもと
豊洲市場に通いつめたり
おいしい利尻昆布を求めて
北海道礼文島の
漁師のもとを訪ねたり
といった体験を
大切にされています。
やりたいと強く思うことが大事
強く思えば行動に現れる
行動の幅を広げてくれる
こうした日々の行動や体験の
積み重ねが未来を創る
師匠である
新井さんからは
独立したいまでも
辛い想いが「おいしい」を創る。
人生経験こそが味になる。
と厳しくも
優しい励ましを頂いているそうです。
人生経験こそが味になる。
私たちも心にとめて
日々過ごしていきたいですね。
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今週の名言 : 博多華丸さん(お笑いタレント) [芸能人 (男性)]
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愛と感謝を
行動で示す…
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芸名に「博多」を
つけるほどの
ふるさと愛にあふれ
東京を拠点に
お笑いタレントのほか
ドラマや舞台など
俳優としても活躍する中、
今でも毎週、
福岡の「地域番組」に
出演を続けている
『博多華丸』
さんの言葉です。
華丸さんと言えば
児玉清さんのモノマネが
ブレイクのきっかけと
なりましたね。
そんな華丸さんは
昭和45年福岡県に生まれます。
両親ともに
共働きだったことから
祖母に
面倒を見てもらいながら
幼少期を過ごします。
華丸さんの祖母は
根っからの明るい性格で
地域の人気者
そんな祖母の影響もあってか
高校時代には
学校の先生などのモノマネで
拍手喝采の日々だったそうです。
その後、
父親が経営していた
土木会社を継ぐつもりで
福岡大学の
土木工学科に進学。
そして大学にあった
落語研究会に入ると
ここで
運命の出逢いを果たします。
そう
博多大吉さんとの出逢いです。
在学中に
大学を辞めて
お笑いの世界に進みたいと
父親を説得するも
なかなか「賛成」とは
いかない中
「やりたいことをやりなさい」
と母親が全面的に応援。
イベントがあると聞くと
親戚にも声をかけて
応援に駆け付けるなど
されていたそうです。
その後も
芸人としての活躍を目指して
活動を続けていたある日のこと
父親から1本の電話が入ります。
不慮の事故により
母親が亡くなれたのでした。
親として
口ではなく行動で示すことが大事
をモットーに
職場の仲間たちからも信頼の厚い
働き方を続けていた母親
売れない時代に
無償の愛情をもって
応援を続けてくれた母親
そんな母親の愛情への
恩返しが
華丸さんの
日々の活動の原動力
となっているそうです。
母親への愛と感謝
地元福岡への愛と感謝
こんな想いを大切に
日々努力を重ねる
華丸さんの生き方、
とても魅力的ですね。
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今週の名言 : 篠崎恵美さん(フラワークリエイター) [ビジネスパーソン (女性)]
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悩んでいるくらいなら
とにかく動いてみる…
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フラワーショップ
「edenworks bedroom」など
都内で3店舗を経営
その傍ら
店内装飾から
ウインドウ装花、
雑誌、広告、CM、MVなど
花にまつわる活動の幅は広く
数多くの
アーティストや有名ブランドと
コラボするなど
日本を代表する
フラワークリエイターとして
活躍されている
『篠崎恵美』
さんの言葉です。
恵美さんは
1981年栃木県宇都宮市の生まれ
幼少の頃
家のいたるところに
花が飾ってありました。
それは母親が
家族や大切な方から
もらった花束を
1つひとつ
ドライフラワーにして
残していたものでした。
誰にどんなときに
もらったものなのかを
いつも嬉しそうに
話してくれたそうです。
恵美さんは
学校を卒業すると
ファッションの道を
志していましたが挫折
そんな時に、
たまたま立ち寄った店で
花の魅力に改めて気づき
すぐに花の修行を始めます。
この行動力は
素晴らしいですね!
そして28歳で独立
初めて結婚式の装飾を
うけおったときのことでした。
とても衝撃的な事実を
目の当たりにして
倒れこんでしまいます。
それは
式の後にごみ収集車がきて
花が全部
捨てられていきました。
強烈に
「申し訳ない」
という感情が溢れます。
花という生き物を切って売って
まだ生きているのに
捨ててしまう
フラワークリエイターという
自分の仕事の身勝手さに
愕然とします。
この経験と
幼いころの母親の花への愛情が
重なり
花を捨てない世界を考えたい
花を長く楽しみたい
日常を花で満たしたい
との想いを
強く抱くようになり
しだいに活動の幅や
新しいチャレンジなどが
広がっていきます。
ドライフラワー教室を開始
生花の販売でも
いかに長く楽しむかの視点から
花瓶の大きさや水のやり方など
購入される
植物にあわせて
お客様にアドバイス
さらには
以下のような活動も
こうした
想いがあればこそです。
1つは 地元、
宇都宮市の
図書館での企画
誰もが
気軽に立ち寄ることのできる
図書館に
6,000本もの花を持ち込んで
ロープに1本1本
手作業でつるした作品を展示
展示期間の後半には
次第に
枯れていく花々を
ドライフラワーとして
プレゼントとしてお渡しして
ご家庭で
長く楽しんでいただく
などの活動
そしてもう一つは
紙フラワーへのチャレンジ
紙であれば
長く楽しんでいただけるし
日常を花で満たしやすくなるとの
想いからです。
この紙フラワーも
国内外で高い評価を得て
例えば
200年の歴史のある
登録有形文化財として
認定されている
由緒ある食事処の
床の間にも
採用されているそうです。
この食事処の女将は
恵美さんの紙フラワーをみて
恵美さんの
花に対する思想や
愛情・優しさが伝わってくると
尊敬の念を
抱かれています。
恵美さんは、
花を長く楽しんで頂きたい
日常を花で満たしたい
との想いを胸に
これからもまだまだ
チャレンジを続けていきたい
一方で
花の仕事は体力勝負
この先
年齢の積み重ねとともに
体力も少しずつ
衰えていってしまう。
だからこそ
新しいチャレンジも
アレコレ悩んでいるくらいなら
とにかく具体的に
行動した方が
どう考えてもいいはず。
とにかく
行動を大切に
歩み続けていきます。
想い行動すれば叶う!
と語られています。
こんな恵美さんの
想い×行動
のサイクルは
ぜひ私たちも
大切にしていきたいですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 松田悠さん(銭湯運営) [ビジネスパーソン (女性)]
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東山商店街が好き
湊河湯が好き…
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神戸の台所と言われ、
レトロな雰囲気と人情で人気の
東山商店街
そんな商店街に
1949年に開業し
長年愛され続けてきた
湊河湯(みなとがわゆ)
2022年12月
先代の急逝により
廃業寸前だった
この銭湯を引き受けて
その再生に
熱い情熱を注ぎ続けている
『松田悠』
さんの言葉です。
学生時代の
松田さんの趣味は、
軽音楽と
様々な商店街を散歩すること
ある日
ふと立ち寄ってみた
東山商店街の
その心地よさに
魅了されました。
女性が活き活きと活躍する姿
人情の厚い人々
昔ながらながらのレトロな雰囲気
そこでふと立ち寄ってみた
湊河湯の心地よさに
さらに魅了され
その後、
全国の銭湯巡りを
楽しむようになります。
一方で
大学は中退し
昔から大好きだった
音楽に近い仕事をしたいと
有名アイドルのマネージャー
イベント会社での企画運営
などに携わりながら
銭湯巡りをしている中
自分の将来を考えていると
以前訪れた「湊河湯」で
働いてみたい
という気持ちが
湧いてくるようになったそうです。
天からの知らせなのか
まさにこのタイミングで
湊河湯が
倒産寸前という情報を知った
松田さんは
絶対に
倒産させたくない!
との想いから
あるご縁をきっかけに
湊河湯を
引き継ぐことになりました。
(オープン初日の様子)
それ以来これまで
最も大切にしていることは
以下の2つだそうです。
◇地元の方々に愛されること
◇新しいお客様に関心を持って頂くこと
地元の方々に
心と体を癒してほしいと
毎日、
2時間かけてお風呂の掃除
銭湯に来られた
お客様全員との
きさくなコミュニケーション
普段仕事があって
なかなか銭湯にこられない
商店街の方々にも
楽しんでいただきたいと
正月3が日も
朝から銭湯をオープン
こうした
日々の地道な活動の
積み重ねこそが最も大切
だと言われています。
そして銭湯が
末永く続いていくためには
若い方々を中心とした
新しいお客様に
興味を持っていただく
必要があります。
銭湯に
立ち飲みカウンターを設置して
地元の クラフトビールや軽食を
楽しめるようにしたり
SNSでの発信や
11月26日(いいふろの日)には
ご自身が大好きだという
アーティストや漫才師を
銭湯に呼んで
イベント開催など
過去の仕事の経験も
活かしながら
新規のお客様の
獲得にもつなげていらっしゃいます。
歴史ある銭湯「湊河湯」の
2代目として
持ち前の
明るさと駆動力で
湊河湯の継続発展に
情熱を注ぎ続ける
松田さんの生き方、
とても魅力的ですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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