今週の名言 : 坂本花織さん(フィギュアスケーター) [スポーツ (女性)]
スポンサードリンク=========
私は
私らしく…
=========
群を抜くスピード
ダイナミックなジャンプ
力みのない踏みきりで
宙に舞う演技の優美さなど
目の肥えた
フィギュアスートファンを
魅了し続け
2021年12月に行われた
フィギュアスケート
全日本選手権で
3年ぶり2回目の
優勝を果たし
今年行われる
北京五輪代表に
決まった
『坂本花織』
さんの言葉です。
2000年
兵庫県の生まれ
4歳の時に
テレビで見た
NHK連続テレビ小説
「てるてる家族」で
主人公の姉が
フィギュアスケート選手
だったのを見て
興味を持ち
スケートを始めます。
負けず嫌いの性格が
功を奏して
どんどん実力を磨き
中学生の頃には
世界レベルで
戦うまでに成長していきます。
またスケートを離れると
お茶目な一面を持っており
とくかく明るい
とにかく面白い
フィギュアスケート界では
珍しい「お笑いキャラ」で
ボケと突っ込みが激しく
誰かがボケたのを
すぐに拾ってツッコム。
演技後の
ガッツポーズも
フィギュア選手の中では
とても珍しいですね。
ところが今年開催される
北京オリンピック
出場権獲得を目指して
大事な
2020年~2021年にかけて
坂本さんを始めとした
スケート選手にとっ
て 大きな逆境が
待ち構えていました。
そうそれは
コロナ。
大事な時期に
練習ができない。
大事な時期に
遠征ができない。
特に坂本さんは
他の選手以上に
練習を積み重ねて
演技を磨き上げていくタイプ
さらに
演技で大切な振付師は
フランスのコーチ
オンラインでの指導を
試みるも
細部まで詰め切れず
プログラムの完成が
予定よりも
大幅に遅れてしまいます。
いつも笑顔を絶やさない
坂本さんの顔から
いつしか
笑顔が消えていって
しまいます。
不安
苦しみ
悲しみ
逃げ出したい思い
・・・
いろんな負の想いが
渦巻くなく中で
最後に
いきついたことは
こうして苦しんでいるのは
自分だけではない
周りの選手たちも
同じ環境にあるはず
そんな中にあって
自分自身とどう向き合うか
がやはり大事
自分の思い
応援してくれている
周りの方々への感謝
それに応えるには
自分を信じて
今できる
精一杯のことを
繰り返すのみ
周りの選手よりも
プログラムの完成が
かなり遅れているけれど
私は
私らしく
愚直に
頑張っていこう。
誠実な努力は
いつか必ず報われるはず。
オリンピック代表が 決まる
12月の 全日本選手権の
直前まで
もがき
続けていましたが
全日本選手権では
見事に優勝を果たします。
演技後の
ガッツポーズが
とても印象的でした。
2月に開催される
北京オリンピックでも
ぜひ
頑張っていただきたいと
思います。
私は私らしく。
誠実な努力は報われる。
どちらも
心にささる言葉ですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
スポンサードリンク
今週の名言 : 倉橋香衣さん(車いすラグビー選手) [スポーツ (女性)]
スポンサードリンク=========
楽しく、
気楽に
=========
「殺人競技」
とも呼ばれる
激しいぶつかりあいが
繰り広げられる
車いすラクビー
女性として
初めて日本代表に
選ばれ
2020
東京パラリンピックでは
感動の
「銅メダル」
獲得に大きく貢献した
『倉橋香衣』
さんの言葉です。
1990年
兵庫県の生まれ
小さい頃から
とっても活発な女の子
いろんなことに
興味を抱き
たくさんの習い事に
取り組む中で
最も興味を抱いたのが
体操でした。
小学1年の終わりから
体操のクラブチームに
入ると
高校3年生まで
体操を続けます。
しかし
なかなか自分の思うようには
上達できず体操を断念。
一方で
小さい頃からの夢は
小学校の先生になること
その夢を実現するために
文教大学教育学部に進学
小学校と中学校の
教員免許を取得されています。
大学に入ると
体操に代わり新たに
トランポリン部に入部
そして
大学3年生の時に
倉橋さんの人生を
大きく変えてしまう
出来事が起こります。
埼玉県越谷市の大会で
決勝戦本番前の
アップ中のこと
空中で回転する技に失敗し
頭から落下
診断は、
頸髄損傷でした。
ちなみに
障害の程度はとても重く
一例をあげると
次のようなイメージだそうです。
・鎖骨から下の感覚がほとんどない
・動かせるのは方や上腕の一部だけ
・自律神経の働きが弱まり
血圧調節ができにくくなる
しかし
そんな絶体絶命の局面でも
持ち前の明るさが
香衣さんを救います。
ICUで治療を受けている時は
「やってもうた‥」
「明後日、飲みに行く約束をしていたのに‥」
「大学の体育館が二階なので、
どうやってそこまで上がろうかな‥」
などと考えていて、
意外と
「歩けなくなった、どうしよう、
人生終わった」
と落ち込むことは
なかったそうです。
やってしまったものは
しょうがない。
ベッドから頭を上げられた、
座れるようになった、
字が書けるようになった、
手紙が書けるようになった、
体を起こして友達と喋れる、
ご飯を食べることができた
とか、
一つ一つできるようになることが
楽しかったとも言われています。
このような意識で
自分自身と向き合えたのは
根っからの
前向きさと明るさに加えて
次のような出会いも
大きく影響をしています。
車いす生活が
始まった当初は
不慣れなことばかり。
そんなとき、
担当の理学療法士さんが、
香衣さんのノートに
大きな字で
「楽」
と書いてくれたそうです。
それ以来、
「楽」という字は、
香衣さんのお気に入りの一字。
気分が
滅入ってしまうようなときは
頭の中に
「楽」
という字を
大きく思い描きながら
「楽しく!」
「気楽に!」
と自分に
言い聞かせているそうです。
そうすると、
少しずつ状況が好転し始めて、
本当になんとかなってしまう
何度もこのような経験を
してきました。
そしてそんなときに
出逢ったのが
車いすラクビー
障害の程度が軽い
人たちだけを出場させることの
できないルールとなっており
女性をメンバーに入れたり
障害の程度の重いメンバーを
構成したりすることで
それぞれが
自分ならではの役割を
果たすことが求められます。
日本人女性として
初の日本代表に選出
ここでも
「楽しく」
「気楽に」
最善を尽くことで
どんどん
実力を磨いたばかりでなく
明るく元気なチーム作りにも
大きく貢献し
その活躍は
今回の東京パラリンピックでも
様々なメディアで
取り上げられましたね。
改めて
皆さんはいかがでしょうか?
人生の中では
様々なことが起こります。
そんなときは
香衣さんのように
心の中で
「楽しく」
「気楽に」
を自分に投げかけながら
日々一歩一歩
歩んでいきませんか。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
スポンサードリンク
今週の名言 : 石川佳純さん(女子卓球選手) [スポーツ (女性)]
スポンサードリンク=========
自分を励まし
自分を褒める…
=========
2012年
ロンドンオリンピック
当時の日本女子では
最上位の4位
次こそはメダルと
意気込んで臨んだ
2016年
リオデジャネイロでは
まさかの初戦敗退
そして自身3回目の
オリンピックとなる
2020東京大会で
女子シングルスに続き
女子団体戦でも
活躍が期待される
女子卓球選手
『石川佳純』
さんの言葉です。
佳純さんは
1993年山口県の生まれ。
初めてラケットを
握ったのは1歳のとき。
その後
7歳から本格的に
卓球を始めます。
日を追うごとに、
着々と実力を磨き
日本女子卓球界を
引っ張る存在として
成長していきます。
ところが
そんな順風満帆に見えた
佳純さんの
卓球人生に
大きなスランプが 訪れます。
メダルを期待されて臨んだ
リオデジャネイロ
オリンピック(2016年)では
まさかの初戦敗退。
その後、
東京オリンピックを目指す中で、
伊藤美誠さん、
平野美宇さん、
早田ひなさん
といった
10代の有望な若手が台頭し、
卓球がドンドン
高速化していく中で、
オーソドックスな
スタイルの佳純さんは
世界はおろか
日本でも
勝てなくなっていきました。
2017年の全日本選手権で
16歳の平野にV4を阻まれると、
2018年の大会では
伊藤に準決勝で敗れます。
石川はもう限界か、
石川の時代はもう終わり、
そんな声が 耳に入ってきます。
そういった状況のまま
東京2020大会の
シングルス代表候補の
選考レースが始まるも
格下の相手にも
簡単に負けてしまうなど
代表争いから
出遅れていきます。
これまでは
ここぞというときには
自分にプレッシャーをかけて
必ずチャンスをゲットしてきた。
ところが2019年当時は
自分にプレッシャーをかけると
それが重荷になり
守りに入り積極的になれない。
「何で勝てないんだろう・・・」
人前で弱気な姿を
見せたことのない佳純さんも
インタビュー中ですら
思わず涙を流します。
勝負弱くなる自分
もがけばもがくほど
深みに入っていく自分
ずっとトンネルの中にいて
光が見えてこない
もう無理だ
もう壊れちゃう
卓球を辞めたい
何100回と
諦めそうになります。
佳純さんは
当時のことを
次のように
振り返られています。
本当につらかった。
それでも
ずっと何とか
走り続けていれば
ある日突然「あっできる!」と
思える日が来ると信じて
今この瞬間だけ
今日1日だけ頑張ろうを
繰り返してきた
当時は 「卓球を好きだ」
と言える余裕もなくなっていた。
そんなどん底で思ったのは、
「楽しむ気持ちを思い出そう」。
そして、
「目の前の試合を一生懸命全力でやろう」
こうして臨んだ
選考レース最終戦で優勝し
見事代表の座をつかみます。
この試合を終えた
佳純さんのコメントを
以下に紹介いたします。
攻める気持ちが強いと、
自然といいプレーが出てくる。
いかに気持ちで
いい状態にあるかが大事。
常に自分が
自分に一番厳しい存在で
なくてはいけないと思いますが、
つらいときや助けが
必要なときには、
自分が自分を励まし、
褒めてあげることが
すごく大事だと感じました
様々なことを乗り越えてきた
佳純さんならではの
重みがありますね。
多くの人が
思うようにいかない
もどかしさや
悔しさを
経験してきたはず。
中には今まさに
その真っただ中という人も
いるかもしれません。
そんな時には
ぜひ佳純さんのように
自分で自分を励まし
自分で自分を褒めてみる
そんな自分で ありたいですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
<span style="font-size: 1
スポンサードリンク
今週の名言 : 池江璃花子さん(女子水泳選手) [スポーツ (女性)]
スポンサードリンク=========
きっと、
大丈夫…!
=========
東京オリンピックに向け
オーストラリアでの
強化合宿中に
突然襲った体調不良。
緊急帰国。
診断の結果は、
衝撃の一言でした。
急性リンパ性白血病
1年にわたる
この病気との戦いに
打ち勝ち
2024年
パリオリンピックに向けて
一歩一歩
始動を始めた
『池江璃花子』
さんの言葉です。
2019年7月30日現在、
個人種目11個とリレー種目5個、
計16種目の日本記録を保持。
2020東京オリンピックでも
金メダルが確実視されていた
璃花子さんの
白血病の発表に
日本中が騒然となりました。
闘病生活は
想像以上に苦しく
連日40度を超える熱
あまりに激しい頭痛
とまらない嘔吐・・・
おきているのがつらい
生きているのがつらい
こんなに苦しいんだったら
いっそのこと命を…
ご自身のある日の
Twitterでは
次のようにつぶやいています。
思ってたより、
数十倍、数百倍、数千倍
しんどいです。
でも負けたくない
そんな璃花子さんが
苦しく辛い闘病生活を
経験されて今おもうこと
それは、
自分が
ここにいることが奇跡だし、
生きていることが奇跡
それまで
当たり前だと思っていたことが
当たり前ではなかった
普通に生活できていることが
いかに有難いことか
いかに幸せなことか
病気になったことは
決して良かったことではないが
この病気が
今後の人生のターニングポイント
になった。
璃花子さんは
KingGnuさんの「告白」の
歌詞に自分を重ね合わせます。
戻れないよ、昔のようには
煌めいて見えたとしても
明日へと歩きださなきゃ
雪が降り頻ろうとも
真っ新に生まれ変わって
人生一から始めよう
そして病気の経験を経て
自身の人生への向き合い方も
大きく変わりました。
それまでは
ライバルとのたたかい
記録とのたたかい
が中心でしたが
今は
「誰かのために」
生きたいと言い切ります。
特に今でも
つらく苦しい病気とたたかっている
人のために生きていきたい。
だからこそ
昔の自分と比べたら
体力も筋力も
水泳のタイムも
まったくおいついていない
中でも
今の自分ができることを
1つひとつ積み重ねて
ほんの少しずつでも
成長していく姿を
様々な形で発信されています。
こうして
自分の成長の姿を発信することで
勇気を与えたい。
それこそが私の使命とまで
言われています。
今でも
白血病との戦いを続ける
璃花子さんは
SNSに
かなりのベリーショートヘアの
写真をアップされています。
治療で抜けた髪が
生えて来たばかりの姿で
「この自分自身に
誇りを持っているので、
隠す必要もありません」
「こんな私のメッセージが
一人でも多くの方の希望になれば
うれしいです」
と書いています。
どん底から
這い上がってきた今、
最も伝えたい
メッセージこそが
冒頭の言葉
=========
きっと、
大丈夫…!
=========
病気の人
辛いことで悩んでいる人
そんな人々に向けた発信が
たくさんの勇気を与え続けています。
皆さんはどんな思いを抱いて
どんな日々を過ごしていきますか…
こちらをクリック頂ると幸いです。
スポンサードリンク
今週の名言 : 川井梨紗子さん(レスリング日本代表) [スポーツ (女性)]
スポンサードリンク==========
悔しい経験が
あるからこそ
今がある!
==========
レスリング教室を
開いていた
両親の影響を受けて
10歳の時にレスリングを
始めると
根っからの負けず嫌いが
功を奏して
2016年
リオデジャネイロオリンピック
63kg級金メダル
そして
2020東京オリンピックでも
57kg級の代表が内定
女子レスリング会の
新時代のエース
『川井梨紗子』
さんの言葉です。
梨沙子さんにとって
初めてのレスリングは
たまたま両親が経営している
レスリング道場に
遊びに行っていたときのこと。
父親からの
「少しやってみるか」
の投げかけがそのきっかけでした。
技も何も知らないまま
いきなり男子と試合をして
当たり前のように
負けたのが悔しくて
レスリングに
夢中になっていきます。
そして中学3年の時には
全国中学生選手権52kg級で
見事優勝を果たすと
高校は親元を離れ
レスリングの指導で
有名な至学館高校へと
進みます。
その後もメキメキと実力を
つけていき
やがて全日本クラスの
選手へと成長していきます。
しかし
梨紗子さんにとって
ここから
様々な苦難が
立ちはばかることになります。
当時の梨沙子さんにとっては
本来であれば55kg級が
自分の最も力の出せる階級
しかしそこには
世界のレジェンド
吉田沙保里さんがいる
やむなく階級を1つあげて
58kg級で
リオデジャネイロ
オリンピックを
目指すも
今度は
1つ上の階級から
オリンピック3連覇中で
圧倒的な強さを
誇っていた
伊調薫さんが
58kg級に移ってくることに。
心から尊敬していた
栄和人監督からも
伊調さんには勝てない
との理由から
さらに階級を上げて63kg級へ
移ることを進められます。
オリンピックでは
その63kg級で
見事金メダルをとるも
自分の心の中には
やはり悔しさが残ります。
次の東京オリンピックでは
自分の好きな
57kg級で戦いたいとの思いから
あの強い
伊調薫さんのいる階級に
移ることを決意
ところがあろうことが
この決断が
日本中からの
バッシングを浴びることに
なります。
ちょうどそのころ
伊調選手の告発により
尊敬する栄和人監督が
パワハラ問題で
バッシングを浴びていたときでした。
さらには
リオオリンピック後に
レスリングから離れていた
伊調選手が
東京オリンピックを
目指して選手復帰を決め
日本中が
伊調選手の5連覇に期待する
ムードが高まっていたころでした。
川井は何を考えてるんだ~!
栄監督から刺客として
伊調つぶしに
送りこまれたのか~!
容赦のない非難の声が
梨紗子さんを苦しめます。
選手復帰して
わずか2か月あまりの
伊調選手に試合で負けるなど
どん底の
悔しい経験をすることに。
選手をやめたい!
こんな思いのまま
数か月がたつ中で
この経験をバネにして
もっともっと強くなろう
こんな
思いが醸成されていきます。
そして伊調選手との
直接対決に
やっとの思いで
勝つことができ
自分が目指してきた
57kg級での東京オリンピック
という夢を勝ち取りました。
心も体も
良い状態で仕上げてきていた
さなかに
今度は
東京オリンピックの延期
それでも
梨紗子さんはこう言いきります。
私はこれまで
何度も何度も悔しい思いを
積み重ねてきた
お陰で心が強くなった
今はどんなことが
あろうとも
決して
揺らぐことはありません。
前を向いて
もっともっと強くなるだけ
過去の悔しい経験を
自分の心の成長につなげている
様子が伝わってきますね。
さて皆さんは
いかがでしょうか?
悔しい、苦しい、つらい
こんな思いを経験したことの
ない人など
この世の中には 存在しません。
この経験を
自分のプラスの財産に
変換するのか
それとも
単なる嫌な経験で
終わらせてしまうのか
たったこれだけのことで
人生も大きく変わってきますね。
あなたは
どちらの人生を選んで
生きていきますか…?
こちらをクリック頂ると幸いです。
スポンサードリンク
今週の名言 : 渋野日向子さん(女子プロゴルファー) [スポーツ (女性)]
スポンサードリンク============
ありのままの自分で
やればいい!
============
「スマイリングシンデレラ」
トレードマークの笑顔から
つけられたニックネームで
多くの方から親しまれ
日本人として史上初めて
世界メジャー大会の1つである
全英オープンを
初出場で優勝した
女子プロゴルファー
『渋野日向子』
さんの言葉です。
そんな日向子さんは
1998年に
三姉妹の次女として
岡山県に生まれます。
幼少の頃から
活発な女の子で
小学校2年生の時に
ゴルフと ソフトボールを
同時に始めると
持ち前の負けん気と努力で
どちらもメキメキと実力を磨き
ゴルフの強豪校として名高い
地元岡山県の
作陽高校に入学。
2年生のときには
全国高等学校ゴルフ選手権大会の
女子団体戦で
見事日本一の座を獲得します。
しかし高校を卒業して
自信を持って臨んだ
プロテストに不合格
悔しくて悔しくて
たまらなかったと
当時を振り返ります。
さらに
全英オープンでの初優勝後
突如
多くのメディアから
注目を集めるようになると
これまで感じなかった
プレッシャーなども重なり
なかなか以前のような
実力を発揮できず
スランプに陥ることも…
周りからは、
日向子はもうダメなのか?
笑顔が減ってきたんじゃないか?
こんな声がささやかれるように
なっていきます。
自分の中でも
どうしたらいいのか分からず
もがき苦しんでいるなか
実家の父親からの
アドバイスが
強く深く心にささり
復活を遂げています。
その言葉こそ
冒頭の言葉
===========
ありのままの自分で
やればいい!
===========
突然注目を集めるようになり
あれもしなくちゃ
これもしなくちゃ
と色んなプレッシャーを
自分にかけてきていた日々
そんな日向子さんに対して
実家の父親からの言葉が
いろんな迷いを吹き飛ばして
くれたのですね。
日向子は日向子らしく
生きていけばいい
日向子の人生は
日向子のものだから
そして
日向子さんの
トレードマークである
スマイルは
実家の母親からの
アドバイスを受けてのもの
いつもスマイルでいた方が
自分も幸せだし
周りも幸せにできるでしょ
どちらも最愛の我が子を想う
深い愛情が込められた
素敵なアドバイスですね。
日向子さんのゴルフを
指導し続けているコーチからみた
日向子さんの特徴は
次の2つだと言い切ります。
「素直さ」
「継続力」
信頼する両親やコーチの
アドバイスを「素直」に受け入れて
誰よりもトコトン
「継続」を積み重ねていく
こんなところに
日向子さんらしさの
本質があるのですね。
さて皆さんは
いかがでしょうか?
皆さんにとっての
「自分らしさ」って
どんなところでしょうか?
それを磨くために
トコトンどんな「継続」を
していきますか?
光り輝く未来の自分のために
日向子さんのように
あなたも自分らしさを
磨き続けていきませんか…
スポンサードリンク
今週の名言 : 中西摩耶さん(パラ陸上競技選手) [スポーツ (女性)]
スポンサードリンク===========
未来を、
あきらめない!
===========
31歳で自己ベストを更新し
日本新記録を樹立
同年リオでジャネイロでの
パラリンピックでは4位となり
メダルまであと一歩と迫った
日本パラリンピック
走り幅跳びの
トップランナーとして
その名を轟かせている
『中西摩耶』
さんの言葉です。
摩耶さんは
1985年大阪生まれ。
子どもの頃から、
卓球やピアノなど
なんでも器用に
こなすものの
長くは続かず
色んなものに
興味を抱いていたようです。
その後中学で
ソフトテニスと出あい
ソフトテニスの名門
明豊高校に入学をします。
しかし当時の
摩耶さんにとって
厳しい日々が続くことに。
全寮制のソフトテニス部では
毎朝1年生が4時に起きて
食事作り
無名の中学から
来たというだけでの
嫌がらせ
そして3年生の
最後の大会の団体戦で
負けてしまったことで
周りから
かなり厳しい発言も…
こんなことから
大学でのスポーツも
就職にも気力がわかない
日々を過ごします。
こうして20歳を迎えた頃、
このままこんな生活をしてては
自分がダメになる
もう一度
不完全燃焼まま止めてしまった
テニスで国体に出場したい
そんな思いが湧き上がり
国体出場を支援してくれる
親友のお父さんの
会社(鉄骨塗装業)に就職し、
大分国体に照準を合わせ
トレーニングに励んでいました。
そんな時でした!
作業中に5mの鉄骨が
彼女の足に倒れかかってきたのは。
これまでに経験したことのない
人生の挫折を味わいます。
それでも
自分に出した結論は
自分の未来を
自分で諦めることだけは
したくない
毎日
自分の思ったことを
全力でやれる人生を
歩んでいきたい!
そんな中
義足との出会い
陸上との出会いが
摩耶さんの人生を
大きく変えていきます。
今では
パラリンピックの
走り幅跳びの選手として
日本のトップに君臨する
摩耶さんですが
摩耶さんの
スポーツを行う環境は
決して恵まれたものでは
ありませんでした。
自分でスポンサーを探し
自分で練習場を探し
自分で街中に出かけて
遠征費用などの募金活動
お金がないことから
レストランでも
私はお金を持っていません。
皿洗いするから
何か食べさせて
もらえませんか?
と頼みこんだことも
1度や2度ではなかったそうです。
さらに
こんなお金の苦労だけでなく
単身アメリカでの修行中には
障がい者というポジションを
利用して金儲けしている
日本を捨てて
アメリカに渡った裏切り者
こんな心ない誹謗中傷が
彼女の心をズタズタにしました。
周りに認められない
悲しさ虚しさ、
自分自身の努力する意味を見失い、
疲れきっていた彼女は
2012年の
ロンドンパラリンピック後に
引退を決めました。
それでも自分を応援してくれる
周りの方々
そして自分の人生を
自分らしく後悔なく生きる
こんな思いから
次の東京パラリンピック出場を
目指します。
2019年にドバイで開催された
世界大会では
そんな摩耶さんの努力が
身を結び
自身初の金メダル
そして
東京パラリンピック出場獲得
本当に素晴らしいですね。
こうして改めて
摩耶さんの人生を
振り返ってみると
決して楽な
道のりではありませんでした。
そんなとき摩耶さんは
自分の未来を諦めたくない
そんな一心で
日々を積み重ねて
来たのですね。
摩耶さん自身は
自分の人生を
次のように
振り返られています。
私、自信があるように見えて、
自信がない自分がいるんです。
こんな私が
ずっとやり続けてきたことは
「勇気を出す努力」です。
これには才能も何も要らないんです。
今日からすぐできるんです。
さて皆さんはいかがでしょうか?
やってみたいけれど
発言してみたいけれど
勇気がなくて
一歩を踏み出せない
こんな経験をしたことのある人も
多いのではないでしょうか。
もしかしたら
あなたもそんな
一人かもしれません。
自分の未来を諦めない
摩耶さんのように
勇気を出す努力で
具体的な1歩を
踏み出してみませんか…
スポンサードリンク
今週の名言 : 湯浅麗歌子さん(柔術家) [スポーツ (女性)]
スポンサードリンク============
信じてやれば、
大丈夫。
============
日本の柔道がブラジルで
形を変えて発展した
ブラジリアン柔道
2015年から
2018年にかけて
世界選手権で
日本人初となる4連覇
並びに2階級制覇という
快挙を成し遂げた
『湯浅麗歌子』
さんの言葉です。
やると決めたら
一番になれ
幼少の頃からの
父親の教えもあり
自他ともに認める
努力家
週4日
ブラジリアン柔道の
インストラクターとしての
仕事をしながらも
毎日朝9時から
みっちり6時間の練習を
欠かすことがありません。
こうしてみると
辛く厳しい生活を
日々過ごしていると
感じてしまいがちですが
麗歌子さんは
毎日をいかにハッピーに
過ごすのかということを
大切にされています。
練習前のランニングでは
あー今日もあの美味しいそうな
アイスクリーム屋さんの前で
立ち止まることなく
通り過ぎることができた。
この練習をやれば
絶対強くなれると思うと
ハッピー
大好きな
初音ミクと同じ髪形で
今日もハッピー
今日から左手で
ご飯を食べてみよう!
今日もよく
頑張ったな~
ちょっとした
小さなことでも
自分を褒めること
ハッピーに過ごすことの
積み重ねが
今の麗歌子さんの
原点だと分かります。
ちなみに
大会前などにお参りに
行くときのお賽銭は
111円だとか。
1が3つも並んで
ハッピーだから。
一方で麗歌子さんの
引き締まった体型を見ると
その練習の質と量が
一目で分かります。
どんなことも
ハッピー目線に変換して
自分の力にしているのですね。
大会前の減量では
1日1食1000Kカロリー
それでも
時にはどうしても
我慢しきれない時のために
大好きな
虎屋のようかんを
こっそり保管しているとか
どんな時でも
自分を信じて
自分を褒めながら
楽しく生きていく姿は
とても素敵ですね。
ここで
麗歌子さんのモットーを
1つご紹介したいと思います。
後で後悔するくらいだったら
最初からやっておこう!
さて皆さんはいかがでしょうか?
この世の中には
完璧な人など
世界中のどこにも
存在しませんね。
だからこそ
自分を信じて
チャレンジしていくことで
新たな可能性が
開けてくることにもなります。
ぜひ皆さんも
自分を信じて
ハッピーに歩んでいきませんか
そう、
麗歌子さんのように…
スポンサードリンク
今週の名言 : 小林咲里亜さん [スポーツ (女性)]
スポンサードリンク============
自分に負けないで!
============
柔道をやっていた父親の
影響を受け
小学3年生から
柔道をスタート。
その後、
厳しい父親の指導のもと
メキメキと実力を磨き
中学時代
高校時代
ともに
柔道で日本一の座を
獲得した
『小林咲里亜(さりあ)』
さんの言葉です。
中学時代
初めての全国大会で
完敗したことをきっかけに
それまで以上の
練習を積み重ねる
咲里亜さん
朝、登校前からトレーニング
夜は11時くらいまで
父親の道場で
練習をする日々
こんな努力の甲斐あって
中高時代に見事日本一の
座を手にします。
将来は金メダルに
最も近い逸材と期待され
柔道の名門
東海大学柔道部に入学。
しかし入学式前の
新入生メディカルチェックで
咲里亜に
思いもよらない
現実が突き付けられることに…
なんと
5歳までしかかからないといわれる
神経芽細胞腫という小児がん。
このガンは
生存率がきわめて低く
生存されている方の中でも
元気に生活をしている人は
非常に少ないことで知られています。
やがて咲里亜さんは
様々な症状に苦しむように
なります。
頭が割れそうになるくらいの頭痛
ヒドイ吐き気
もちろん髪の毛も抜けてくる
体調がすぐれない時には
ずっとベッドの上…
手術では腫瘍の摘出の他
副腎や腎臓もとることに
柔道で世界一
を目指してきた日々が一転
生きること
を目指す日々に…
「なんでわたしが~」
「どうしてなの~」
体の痛み
心の痛み
厳しく辛い闘病生活
そして
同じ病室で仲良くしていた
子供たちが亡くなっていきます。
「なんであんな小さな子が亡くなり、
私が生きているの…」
弱気な気持ちになっていたときに
その子の母親から投げかけられた言葉
「さりあにはまだこうして
生かされている意味があるんだから
使命を全うしないと…」
「うちの子の分も
がんばって生きるのよ…」
思わずハッとさせられます。
そしてそんな日々を過ごす中
柔道をやっていた時の
ある父親の言葉が
自分の病と闘う
最大の言葉となって
咲里亜さんの心を大きく
つつみこんでいきます。
咲里亜
自分に負けるな!
咲里亜
最大の敵は他人でなく自分や!
咲里亜
何があっても自分に負けるな!
咲里亜
お父さんはいつも応援しているよ!
自分に負けない心を胸に
病と闘いを重ねた結果
医者も驚くほどの奇跡を
起こします。
元気な生活を取り戻したこと
父親への感謝の気持ちを表すために
柔道の大会へ出場し
涙の握手をかわしたこと
お子さんを出産されたこと …
自分に負けないという
心のあり方が
いかに大切であったかが
伝わってきます。
後年、咲里亜さんは
ご自身の病気を次のように
振り返られています。
病気になって失ったものも
多かったけれども、
病気になって
得たものも多かった。
もう少し丁寧に言うと
病気になって得たものの方が
多かった。
今では、
病気になって得たものの方が
重要な部分だったなと
思うので
あのまま世界一を目指して
柔道をずっと続けていたかった
という気持ちはありません。
生きることへの向き合い方が大切。
病室から見る外の風景が
憧れになる感覚。
普通のことが普通にできない環境で
強く優しく生きてきたこと。
一日一日の大切さ。
生きることの本質。
前までは、
結果がでないとダメ!
結果を出すために頑張る!
といった感じだったけれど、
ガンを経験してみて、
命があれば何でもできる、
生きていたら
ずっとチャンスはあるやん
こんな気持ちになりました。
さて皆さんはいかがでしょうか?
それぞれの状況の中で
つらく苦しい想いをしている方も
すくないことでしょう。
それでも 自分に負けるな!
そんな気持ちも
大切にしていきたいですね…
スポンサードリンク
今週の名言 : 中田久美さん(バレーボール全日本女子監督) [スポーツ (女性)]
スポンサードリンク==========
何度でも
立ち上がれ!
==========
女子バレーボール日本代表の
セッターとして
3度のオリンピックを経験
その後紆余曲折をへて
久光製薬スプリングスの
監督就任1年目で
いきなり優勝の快挙
その他の大会でも
優勝を積み重ねた実績をかわれ
バレーボール女子日本代表の
監督をつとめる
『中田久美』
さんの言葉です。
中田さんがバレーボールを
始めたのは中学生の時
女子日本代表監督の経験のある方の
英才教育チームに所属
その関係から
バレーボールに専念するため
高校は通信制の
NHK学園高校に通い卒業。
バレーボール漬けの環境で
才能を開花させた久美さんは、
史上最年少の15歳(中学3年生)で
全日本代表に選出されています。
その後も日本女子チームの
中心的存在として
チームを引っ張り続けてきました。
何でも完璧にこなし
順風満帆にバレー道を
突き進んできたかのように見える
久美さんですが、
実際には
そんなイメージとは
真逆の連続だったようです。
自分の思うようにいかないことも
何度も何度も経験した。
たくさんの負けも経験をしてきた。
何度も悔しい想いをした。
そんな経験をするたびに
もっと強くなるためには
どうしたらいいんだろう?
もっと上手になるためには
どうしたらいいんだろう?
必死になって考えて
必死になって実践することの
繰り返しの人生だったようです。
結局は
「自分に負けたくない」
っていうのが強いからこそ諦めない
だからこそ こういう経験を通して
何度でも立ち上がってきた。
とご自身の過去を振り返り
語られています。
指導者の立場で
選手を見ていると
大きく2つのタイプに
分かれると言われています。
指示待ちのタイプ
自分で動くタイプ
やらされ感の強い指示待ちのタイプは
なかなか成長していかない。
一方で
自分で動くタイプというのは
ときに
うまくいかないことがあっても
とにかく自分で考えて
自分で動いていく人。
つまり
どれだけ自分に問いかけたのか。
その量で
成長や結果が変わってくると言います。
何度、失敗してもいい
何度、負けてもいい
何度でも、立ちあがればいい
さて皆さんはいかがでしょうか?
普段の生活の中で
上司・親・先生・友達・パートナーに
言われてイヤイヤ動いている割合と
自分で考えて自分で行動している割合
果たして
どちらの割合が多いでしょうか?
自分で考え主体的に生きる。
皆さんも
久美さんのような人生を 歩んでいきませんか…
スポンサードリンク