今週の名言 : 李 承信さん(プロラグビー選手) [スポーツ (男性)]
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日本代表に「なりたい」
ではなく「なる!」・・・
==================
2023年
ラグビーワールドカップ
フランス大会
日本のラグビー史の中で
韓国籍として
初めて
日本代表の座を
獲得したラグビー選手
『李 承信』
さんの言葉です。
李さんは
在日韓国人3世として
2001年
兵庫県神戸に
3人兄弟の末っ子として
生まれます。
父親の影響をうけて
ラグビーを始めたのは
4歳のとき
今こうして
日本を代表する
ラグビー選手として
活躍する姿を見ていると
順風満帆なラグビー人生を
歩んできたかのように
見えますが
その実態は
全く逆でした。
ラグビーの練習に
明け暮れていた
小学校6年生のとき
「ワールドカップに
でるんやで~」
といつも
応援してくれていた
大好きだった母親が他界。
奇跡が起こることを祈り続けたが
奇跡は起こりませんでした。
信じたくなかった。
現実を受け止めるのに
かなり時間がかかった。
それでも
ワールドカップに出るという
母親との約束を
必ず果たす
という強い想いのもと
ラグビーの練習を重ねた結果
大阪朝鮮高校では全国大会に出場
高校日本代表の主将も務めるまでに
成長していきます。
その後多くの大学から
スカウトがくる中
ラグビー強豪校として名高い
帝京大学に進学するも
日本代表に選ばれるため
さらなる成長を目指すとして
大学1年生(19歳)のときに
自主退学し
ラグビーの本場
ニュージーランドへの
留学を志します。
ところが、
李さんにとっては
予想だにしなかったことが・・・
なんと新型コロナの影響で
留学が叶いませんでした。
すでに大学を退学しており
所属チームもなく
近くの公園で
毎日一人孤独に練習
自分のふがいなさに
悶々とする日々
それでも
自分のラグビー人生を
ここで終わらせたくない
母親との約束を必ず果たす
との想いのもと
一人練習を継続して
9か月の時が
経とうとしていたときに
日本を代表する
クラブチームである
コベルコ神戸スティーラーズ
より声がかかり
ようやく
集団での練習
試合への参加
といった環境に
身を置くことが出来るように
なりました。
ところが
李さんには
更なる
試練が待ち構えていたのです。
クラブチーム日本一を決める
大会でのとある試合中でした。
相手選手に
タックルに行ったときに
不運にも
敵チームのある選手のヒザが
李さんの顔を強打してしまい
眼窩底骨折
今度は怪我のために
練習ができなく
なってしまったのです。
これまで同様に
苦しいことがあっても
叔母や仲間たちが
いつもいつも応援してくれた
いつもいつも勇気を与えてくれた
こうして自分を支えてくれた
人たちのために
という想いを原動力に
自分を奮い立たせ
前を向いて歩み続けた結果
念願だった
日本代表の座を見事に獲得
その後も
韓国籍だからという理由で
李さんが
日本国家を斉唱することに対して
良くないことをいう人や
メディアもある中で
自分を応援し続けてくれている
人のために自分は頑張ると
決意を新たにされています。
李さんは
ここまでの人生を振り返り
次のように語られています。
どんなチャレンジも
スキルや能力・技術もさることながら
気持ちが大事
○○したい
○○できたらいいな
ではなく
必ず○○する
こういった
気持ちこそが大事
李さんの場合は
その気持ちの原動力として
今は亡き母親をはじめ
周りの方への『感謝』が
あるのですね。
どんな人にも
無限の可能性が秘められています。
そう、私にはそんな可能性なんて無い。
と思い込んでいるあなたにも。
その可能性の芽を
強い気持ちを持って
開花させていきましょう。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 和田毅さん(プロ野球選手) [スポーツ (男性)]
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できるかできないか
ではなく、
やるかやらないか…
==================
日本を代表する
投手として
日米通算150を超える
勝利をかざり
42歳(2023年)
の今もなお
ダイエーソフトバンク
の最年長選手として
現役での活躍を
続けている
『和田毅』
さんの言葉です。
和田さんは
1981年山形県の生まれ
幼少期は
愛知県江南市で過ごします。
そして江南市立
藤里小学校1年の時に
地元の
「江南団地野球」に
入ったのが
野球を始めた
きっかけでした。
こうして今では
球界を代表する選手として
活躍をされていますが
ここに至るまでには
様々な苦労があったそうです。
高校2年には
島根県浜田高校の
エースとして
甲子園に出場するも
一回戦で
自身のエラーと四球で
サヨナラ負け。
その年の秋には
上腕三頭筋を断裂
高校球児といえば
球速140~150km/hが
普通の時代にあって
当時の和田さんは
中学生レベルの
120km/h程度。
同級生である
松坂大輔選手が
日本中の
人気物として
脚光を浴びる中
プロから
声がかかることもなく
悔しい思いを胸に
早稲田大学へと進学
その後
早稲田野球部の中で
和田ほどの練習を
こなした人はいない
と周りから言われるほどの
努力を重ね
早稲田のエースとして活躍。
そして念願だった
プロ野球ダイエーソフトバンク
への入団をはたします。
その後1年目の年から
14勝をあげ
満票で新人王を獲得
さらに31歳のときに
アメリカメジャーに挑戦
しかし
ここでまた試練が
訪れてしまいます。
トレーニング中に
左ひじに違和感を訴え
検査をしてみると
左ひじ靭帯損傷が発覚し
手術を受けられています。
それでも
高校時代
大学時代
日本のプロ時代
と同じように
このまま
アメリカでできるのだろうか
と悩んでいるのではなく
アメリカで
できるように挑戦していこう
と決意を固め
人一倍の
努力を重ね続けます。
後年、
ご自身の人生を振り返り
次のようなことを語られています。
人一倍
起伏の激しい
野球人生だった
でもどんな逆境に
立たされても
できるかできないか
ではなく
『やるかやらないか』
を大切に
ここまで生きてきた
松坂大輔投手
藤川球児投手
杉内俊哉投手など
同期には
有名選手が多い中
今でもこうして
現役の野球選手として
残っているのは
自分だけ
苦労があった分
トレーニングの工夫
食事へのこだわり
マッサージの取り入れ方
・・・
などへの
試行錯誤が
自分の財産となっている
毎年1月には
こうした自分の経験を
ご自身の娘さんに
近い年齢の
若い選手たちに門戸を開いて
所属チームを問わない
合同自主トレを主催
持っている
知識・スキル・経験
をおしみなく
伝える活動も
継続されています。
自分の可能性を信じて
いまでも成長のための
挑戦を重ね続ける
和田さんの
こうした生き方
ぜひ
見習っていきたいですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 古橋亨梧さん(プロサッカー選手) [スポーツ (男性)]
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「未来」に向かって
「今」を歩んでいくのみ…
==================
現在50人以上の
日本人サッカー選手が
海外でプレーをする中
今シーズンにあげた得点が
日本人初となる
20得点越えを記録した
スコットランドの
セルテックFCで活躍する
『古橋亨梧』
さんの言葉です。
1995年
奈良県の生まれ。
小学1年の時に
サッカーを始めると
その魅力にとりつかれ
大阪の興國高校、
中央大学と
サッカーの名門校で
その実力を磨いていきます。
大学卒業後は
プロ選手として!
と強い想いを抱きながらも
厳しい現実を
目の当たりにします。
プロから
なかなか声がかからない中
当時J2(2部リーグ)だった
FC岐阜に
なんとか加入が決定。
ここで結果を残さなければ
この先のサッカー人生が
終わってしまうという
強いプレッシャーによる
ストレスが原因で
吐いて
吐いての日々
サッカー選手として
小柄な古橋選手は
これを
弱点ではなく
強みに変えようと
スピードと
俊敏さを磨き
たくみな ポジショニングから
得点を奪うことができると
一目置かれた存在となり
しっかりと
結果を残し
J1(1部リーグ)の
ヴィッセル神戸に移籍
レベルの高いリーグの中でも
成長を重ねようと
大切にしてきた
習慣があるそうです。
それは
ポジティブノート(日記)
今日、
できなかったことではなく
できたことを書いたり
気持ちをポジティブに
するための想いを書いたり
こうしたことも功を奏し
ここでも結果を残し
さらに高みを目指して
現在のセルティックFCに移籍
そして
冒頭の活躍へとつながっています。
小さいころからの夢だった
ワールドカップの日本代表が
グッと近づいていたかのように
思われましたが
2022年11月11日
森保監督の日本代表メンバー発表の
26名の中に
古橋選手の名前は
残念ながら
ありませんでした。
最大の夢が
途絶えた日の日記には
次のような言葉が
つづられていました。
この悔しい経験は
絶対に強くなれる。
たくさんの人が
応援してくれて支えてくれている。
だからこそ前を向き続けて、
成長して
チームが勝つゴールを決める。
苦しい時に
流れを変えられる人に
自分のゴールで
チームやファン・サポーターの
みんなを元気にさせられる人になる
アクシデントがあって
いつでも呼んでもらえてもいいように
イメージを作って
調子を上げて
ゴールを決め続ける。
明日はレアル戦
ものすごく大事な試合、
最高の相手と最高のスタジアムで
プレーができる。
すごく楽しみで ワクワクしている。
とにかくサッカーを楽しんで
ゴールに向かって走り続ける。
自分を信じて
チームを信じて。
絶対にゴールを決め
て みんなで笑う。
感謝。
ありがとう。
弱点を強みに変える。
ポジティブノートで
未来に向かって歩み続ける。
どんな人にでも訪れる
困難や壁を乗りえるための
勇気とヒントを
与えてくれているかのようですね。
古橋選手、
日本代表入り目指して
頑張ってください!!
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 佐々木朗希さん(プロ野球選手) [スポーツ (男性)]
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『悔しさ』を
原動力にする…
==========
甲子園への
出場経験はないものの
大船渡高校のエースとして
高校球児最速の163kmを
記録するなど注目が集まり
高校卒業と同時に
プロ野球界に進むと
3年目の2022年4月に
プロ野球史上最年少20歳での
*完全試合を達成
(*1人も塁に出さないこと)
日本記録となる
13連続奪三振
日本タイ記録となる
1試合19奪三振も成し遂げた
令和の怪物
『佐々木朗希』
さんの言葉です。
2001年
岩手県陸前高田市の出身
兄の影響で野球を始め
小学3年生の時に
地元の
高田野球スポーツ少年団に入団
千葉ロッテマリーンズに
入団後からの
現在の華々しい活躍の姿を
見ていると
これまで
順風満帆な人生を
歩んできたかのように
見えますが
決して
そうではありませんだ。
2011年3月11日
東日本大震災
海岸からわずか
1kmのところにある
小学校で授業を受けていると
これまで経験したことのない
大きな揺れ
生徒全員が
校庭に避難していると
教師の一人が 大声で叫びます。
津波が近くまで来てるぞー
みんな全速力で高台に逃げろー
佐々木選手も
必死なって逃げきると
兄弟3人は
高台で合流
不安な夜を過ごしながら
翌日には母親とも合流
しかし
大好きだった父親・祖父母とは
ついに
合流することができませんでした。
震災のあった日の朝
父親がかけてくれた約束
「帰ってきたらキャッチボールな」
が叶うことは
ありませんでした。
佐々木選手のために
新品のグローブを
買ってくれていたようです。
その後
プロ野球選手として
活躍するようになるまで
様々な苦労や経験を重ねた
佐々木選手ですが
それでもこうして
前を向いて歩んでこられた
原動力・モチベーションは
震災を
単なる悔しい出来事
単なる悲しい出来事
で終わらせたくはない
悔しさ・悲しさを
バネに成長し
自分の未来を輝かせていくんだ
そんな想いが
ベースにあるそうです。
大切な試合に負けてしまった
頑張った試験に合格できなかった
理不尽とも思える待遇を受けた
・・・
多くの人が
悔しい思い・悲しい思いを
経験しています。
しかし時間がたつと
なぜか忘れてしまう人が
少なくありませんね
私たちも
佐々木選手のように
こうした悔しさ・悲しさを
心にグッととどめ
日々、
頑張る原動力と
していきたいですね。
そう自分の未来のために・・・
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 森且行さん(オートレーサー) [スポーツ (男性)]
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自分の人生。
後悔したくない…
============
アイドルグループ
「SMAP」を脱退し
幼少期からの夢だった
オートレーサーに転身
それから
24年後の2020年
念願の日本一の座を
獲得した
『森且行』
さんの言葉です。
森さんは
1974年足立区の生まれ。
SMAP
オートレーサー
という
経歴だけを見ると
順風満帆な人生を
歩んできたかのように
思われがちですが
実情はその逆でした。
幼少のころに
両親が離婚。
兄とふたり
親戚の家を転々とする
日々を過ごされてきました。
本来であれば
親の愛情を受けて
青春時代を
謳歌したい年頃にあって
とても
寂しい思いで
過ごされてきたことでしょう。
周りにいる
普通の子供たちとは違う
自分の人生
卑屈になっても仕方がない。
現実を受け入れよう。
後悔しない人生を生きていこう。
小学生のころから
自分の人生に対して
こうした
意識を持つようになっていきます。
そして中学生になると
ジャニーズ事務所への入所に
チャレンジ
見事に実現すると
その後、
様々な活動を続ける中で
1991年にSMAPとして
CDデビューを果たします。
SMAPの一員として
後悔しない人生を歩む中
幼少期のころの夢が
ドンドン膨らみ続けてくると
1996年
SMAPを脱退&芸能界を引退し
オートレース選手へ
転身をされています。
SMAPをやめてまでも
実現したかっとこと。
後で後悔したくなかった。
転身後には
オートレースファンからは
厳しい野次・罵声を浴びせられる日々。
さっさと芸能界に戻れ
お前が来るようなところじゃない
それでも
後悔したくないの一心で
努力を重ね
転身後24年目にして
初めて日本一の座を
つかまれています。
しかし
それからわずか3か月後のこと
レース中に
生死をさまよう
大事故に巻き込まれます。
最高速度150km
ブレーキもない
オートレースでの
事故は
大惨事につながりやすい
ことで知られています。
一命はとりとめたものの
体中に数十本のボルトをいれ
歩くのすらままならない
状況にあって
自問自答した結果
次のような決心をされています。
もう一度
レースに復帰したい
このまま引退したくない
チャレンジをしないで
後悔したくない
こんな思いで今でも
リハビリと練習に励む
日々を継続されています。
なかなか思うように
できないことも多く
いらだち
不安
あせり
・・・
などを感じながらも
以前にお世話になった
親戚のおじ・おば
SMAPの仲間たち
たくさんのファンの皆さん
・・・
からの
あたたかい励ましの言葉に
たくさんの勇気を
頂いているそうです。
森さんのように
後悔しない人生
に強い共感を感じるとともに
こうして
周りから「応援」される人生
の素晴らしさも感じますね。
やらなくて
後悔するのではなく
ぜひ自分のやってみたいことに
チャレンジしていきたいですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 井上尚弥さん(プロボクサー) [スポーツ (男性)]
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基本にこだわり
挑み続ける・・・
============
現在、ボクシング界には
4つの団体が存在しています。
仮に
その中の1つの団体で
チャンピオンになったとしても
他の団体の
同じ階級(体重)同士での
強さの比較は
分からないのが現状。
こうした現実に異を唱え
4つの団体すべての
タイトル戦に挑戦を重ね
2022年12月
ついに4団体すべての
チャンピオンの座を勝ち取り
前人未到の
偉業を成し遂げた
『井上尚弥』
さんの言葉です。
尚弥さんが
ボクシングを始めたのは
6歳のとき
父親の練習風景を
日々見ていたことが
きっかけでした。
小6の卒業文集に書く
将来の夢では
本来であれば
世界チャンピオンと
書きたかったものの
インターハイ優勝と
書かれています。
世界チャンピオンと
書いてしまうと
相当の覚悟をもった
練習をすることに
少しおじけづいたとのこと。
こうした
夢を語る=夢を実現する
のステージで
人生をとらえている
その考え方が
他の人にはあまりない
大切なマインドとして
心の底にあることが
伝わってきます。
そんな尚弥さんが
どれだけ強くなろうとも
日々大切にされていることが
2つあるそうです。
① 基本にこだわること
② 挑み続けること
これらをもう少し
具体的に確認していきましょう。
まずは、
基本にこだわること。
こうしてみてみると
ありきたりの言葉として
受け止める方も
いらっしゃることでしょう。
しかし
基本へのこだわりの深さ
にその本質があります。
3分×15ラウンドを
戦い続けられる
体力やリズム感を養うための
足腰のトレーニング
数あるボクシングの
基本テクニックを
徹底してマスター
さらなる上を目指して
課題を徹底してつぶしていく
・・・
次に、
常に挑み続けること
ご自身が最も恐れているのは、
挑まないことと言われています。
自分よりも強い相手に
挑み続ける
自分に足りていない
技術や課題に挑み続ける
こうして
基本にこだわり挑み続けるため
「環境」
を大切にされているそうです。
いつも同じジムでの
練習ばかりでは
練習法や思考が
凝り固まってしまうからと
渡米し
アメリカの最強のジムで
トレーニングを重ねる
自分よりも階級の上の人との
練習を重ねる
・・・
こうした
世界を代表する
プロボクサーの本質は、
私たちの日々の生活でも
実践していくことで
未来の成長につながる
イメージが湧いてきますね。
◆基本にこだわり挑み続ける
◆環境を大切にする
成長につながる「基本」とは?
成長につながる「環境」とは?
自分の頭の中でイメージして
取り組んでいきたいですね。
井上選手の今後の活躍を
これからも
応援し続けていきたいですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 須江航さん(仙台育英高校野球部監督) [スポーツ (男性)]
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「思考力」が
幸せを引き寄せる・・・
============
2022年夏の甲子園
史上初めて、
白河の関を超え
東北の地に
深紅の大優勝旗を
持ち帰った
仙台育英高校
野球部監督
『須江航』
さんの言葉です。
須江さんは
1983年埼玉県の生まれ。
甲子園優勝校の
監督というと
野球のエリートだった人という
印象が強いですが
須江監督は
そうではありませんでした。
小2で野球を始めると
甲子園出場を夢見て
仙台育英高校に進学。
野球部に入部するも、
周りのレベルの高さに圧倒され
2年秋に
選手から学生コーチに転身
ここで大きな
挫折を味わうことに・・・
それでも
将来は野球部の監督を
との想いから
その後
八戸大(現八戸学院大)でも
学生コーチを務めます。
大学卒業後、
夢だった教師となり
2006年から
仙台育英系列の
秀光中軟式野球部監督となり、
2014年に
見事、全国制覇。
そして2018年1月から
仙台育英の監督に
就任されています。
全国の名だたる強豪校の
監督と大きく異なり
野球選手として
挫折を味わい
ずっと学生コーチの
経験を積み重ね
そして長い間
教師として
生徒たちと向き合う中で
須江さんならではの
野球部員たちとの向き合い方が
2022年夏の甲子園優勝にも
つながっています。
そんな須江さんが
最も大切にされていること
それは、
生徒一人ひとりの「思考力」
言葉を変えると、
監督やコーチから言われたことを
ただただこなすのではなく
自分で考えて行動する
力を磨くこと
試合の中では
・アウトカウント
・ランナーの有無
・ストライク・ボールの状況
・・・
様々な状況に応じて
戦い方も全く異なってきます。
それぞれの状況に応じて
1人ひとりが
どう向き合ったらよいのかを
瞬時に判断して
行動に移せるかどうかが
勝敗の別れ目
と言い切られています。
そんな須江監督の
目指すところは
こうした指導を通して
甲子園で勝利すること以上に
大切にされている想いがあります。
それは 生徒たちが
大人になり
社会的責任を
追うようになったときにこそ
大切になる
「思考力」 の土台を
高校3年間で醸成すること。
そのためにも
大人たちが
ああしなさい
こうしなさい
というのではなく
まずは自分たちが
・どうしたらいいのか
・どうしたいのか
を考えて行動させること
こうした
プロセスには失敗がつきもの
その失敗からも
学ぶべきものがたくさんある
選手をあきらめた
挫折体験が
あったものの
それを単なる失敗に
終わらせず
ご自身の
今の成長につなげている
須江監督らしい指導法ですね。
そんな須江監督の
甲子園優勝インタビューの
発言が
2022年
流行語大賞特別賞と
なりました。
「青春って、すごく密なので」
↓↓ 1分57秒あたりから:感動のインタビューです
この言葉に凝縮された想いを
後日次のように語られています。
生徒たちのことを
本当に大切にされている
想いが伝わってきます。
コロナ禍の子どもたちは、
大人が想像している以上に
苦しいなか、
本当に懸命に
努力をしていると思います。
全国の大人の皆さんには、
自分たちが過ごした高校時代とは
まったく違う
学生時代を過ごしている子たちが
身近にいるということを
理解してもらいたい
また、
新型コロナの感染拡大が続き、
いまも思うような
学校生活を送れていない学生には
終わりがなかなか見えず、
苦しいこともあると思いますが、
この3年間、
多くの学生がしたように、
知恵と情熱、工夫をもって
現状に立ち向かうことができれば、
コロナ禍が終わった世の中で、
経験したことや体験したこと、
我慢したことが生きて、
きっと大きな花が咲く人生が
待っていると思います。
一緒に
乗り越えていけたらなと思っています。
こんな須江監督が
こだわり続けている
思考力:自分で考えて行動する。
私たちも
大切にしていきたいですね・・・
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 橋本大輝さん(体操選手) [スポーツ (男性)]
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一番大事にしていることは、
体操を楽しむこと・・・
==============
2021年
東京オリンピック
日本体操界に
新たなエースが誕生。
個人男子総合を
史上最年少
19歳355日で制した
『橋本大輝』
さんの言葉です。
大輝さんは
2001年千葉県に
3人兄弟の末っ子として
生まれます。
兄たちにならい
体操を始めたのは
6歳のときでした。
最初の頃は
どちらかというと
練習に行くのも
イヤイヤというのが
本音のようです。
こうしたこともあって
最初のうちは
決して
全日本レベルというわけでは
なかったようです。
しかし
月日を重ねる中で
自分の中で
体操に対する
心境の変化が表れるように
なっていきます。
そう
「体操は楽しい」
と思うようになっていったのです。
(していったのです)
すると
全日本ジュニアでの成績も
少しずつ
伸びていくようになりました。
中学1年生 52位
中学3年生 19位
高校1年生 19位
高校2年生 5位
高校3年生 1位
日本を代表する
体操選手となった今でも
一番大事にしていることとして
体操を楽しむこと
を挙げられていらっしゃる
大輝さんが実践されている
体操を楽しむための
具体的な事例について
いくつかご紹介していきます。
①実際の演技に楽しさを
「見つける」「感じる」
・鉄棒で飛んでいるときの爽快感
・地上とは見える景色が違う
②楽しいと思える環境に身を置く
現在、順天堂大学に通われています。
その理由は、
・レベルの高い学生が多いこと
・自主性を主体とした練習
・練習環境のすごさ
・・・
③体のケアはプロに頼る
腰痛や体の痛みは日常茶飯事。
プロにまかせることで
余計な不安・負担をのぞける
他にも
まだまだたくさんありますが
こうして
体操に楽しく向き合えるよう
・(潜在)意識を楽しく仕向ける
・環境を整える
・・・
などの工夫を
されている様子が伝わってきます。
自分なりのアイデア1つで
今日からでも
今のチャレンジを
楽しむための工夫を
日々の生活の中に
取り込んでいけそうですね。
・気分の高まるモノを持つ
・心休まるところで生活する
・通勤・出勤時間に負担をかけない
・チャレンジが成功した時の
活躍の様子を『鮮明に』イメージする
・理想とする人・活躍している人に会う
・こうした人の書籍・セミナーなどで学ぶ
・日々、今日の成長を確認
一番大事にしていることは
体操を楽しむこと
と言い切る大輝さんですが
日々の練習の中では
次のような考え方を
大切にされているようです。
「集中力」
練習中に集中できていなければ
本番で集中できない。
練習中に集中できていなければ
成長につながらない。
「失敗が大事」
集中して難しい技に
チャレンジする中で
失敗がとても大事。
何度も失敗するところは
自分にとって
不安な部分であることが
明確になるから。
「誰のせいでもない自分のせい」
腰が痛い
誰々がサポートしてくれない
集中力が湧かない
・・・
体操を楽しくするためにも
・自分の考え方を整えること
・自分が身を置く環境を整えること
いずれの内容も
自分自身にあてはめてみることが
できそうですね。
楽しみながら体操に打ち込む
大輝さんの今後の活躍を
応援していきたいですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 斎藤立さん(柔道家) [スポーツ (男性)]
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地道にコツコツと・・・
===============
身長191cm
体重130kg
恵まれた体格と裏腹に
柔軟でしなやかな体を活かした
切れ味鋭い
技で勝負を繰り広げ
2022年4月の
柔道全日本選手権では
わずか20歳の若さで
見事日本の頂点にたった
『斎藤立』
さんの言葉です。
立さんは
2002年大阪府の生まれ。
立さんの父親は
知る人ぞ知る
日本柔道界の
スーパースター
斎藤仁さん。
84年ロス
88年ソウル
2度のオリンピックで
2連覇(金メダル)されています。
そんな父親にあこがれて
柔道を始めるも
決して順風満帆な
道のりではありませんでした。
負けが続く
ケガが重なり
思うように練習できない
様々な苦悩を
乗り越えて今があります。
父親の仁さんは
立さんが中1のときに
わずか54歳の若さで
癌のために亡くなられています。
自身のがんと闘いながらも
息子の立さんに
柔道の指導を行ったり
亡くなる前日も
自分の看病は必要ないから
練習に行け
と立さんが
強くなることに
愛情を注いでいらっしゃいました。
冒頭の言葉
「地道にコツコツと」
のその意味合いの
深さが伝わってきます。
最終的には
「自分はこれだけやったんだ」
ど自信をもって言える状態で
大会にのぞめることが
立さんにとっての
「地道にコツコツと」
と言われています。
メディアからは
父親と比較する
コメントを求められたり
期待をかけられたり
することも少なくありませんが
立さんご自身は
「父親を目標にするのではなく
1つひとつの大会で勝つことが目標」
と言われています。
大きな夢や目標に向かって
まずは目の前の目標達成のために
地道にコツコツと
向き合う姿に共感が持てますね。
体格の良さではなく
体の柔らかさ
技の切れ味
で勝負する立さんは
練習後の柔道着は
自分できちんとたたんでおく
食事は決して
食べ過ぎることなく
バランスよく食べる
など
柔道以外のところでも
人としてのあり方を
大切にされているそうです。
こんな立さんの
今後の活躍に 期待したいですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 姫野和樹さん(プロラグビー選手) [スポーツ (男性)]
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大好きなラクビーを
続けられることは
当たり前ではない・・・
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2019年
初めて日本代表として出場した
ラグビーワールドカップ
タックルで
倒れた相手から
ボールを奪う得意技
”ジャッカル”で
幾度となく
日本のピンチを救い
その年の
流行語大賞にもノミネート
現在は、所属する
トヨタヴェルブリッツで
キャプテンを担う
『姫野和樹』
さんの言葉です。
姫野さんは
1994年愛知県の生まれ
両親、姉妹との
5人暮らし。
中学に入学すると
その体格の良さを高く評価され
当時のラクビー部の
顧問の先生から
勧誘を受けたことがきっかけで
ラグビー部に入部
何とそのタイミングで
将来、
ラグビーのプロになることを
自分に誓います。
すると
その後はメキメキと実力を磨き
中学在学中に
愛知県選抜に選ばれます。
しかし理由があって
合宿などへの参画を
辞退されています。
その理由とは
実家が「貧乏」だったから。
合宿に参加となると
数万円の遠征費が
必要となります。
当時の姫野家では
そのお金を払う
余裕がなかったのです。
6畳2間のとても古いアパートに
家族5人で住み
両親ともに
昼夜を問わず働くも
小学校の時には
給食費も払えず滞納
周りの友達が
駄菓子屋でお菓子を
買って食べているのを
横で眺めていることしか
できません。
こんな経済的に厳しい
状況の中でも
こうしてラグビーをやらせて
もらえていることは、
決して当たり前のことではなく
「有難い」こと。
将来、プロになる宣言は、
そんな両親、姉妹を
ラグビーでプロになって
お金を稼ぎ
幸せにしてあげたいという
中1の姫野さんの
心の底からの誓いだったのです。
その後も
実力を磨き続け
ラグビー名門校として
知られている
春日丘高校
帝京大学
トヨタヴェルブリッツ
と進化を
遂げられています。
そんな姫野さんですが
今に至るまでには
多くの失敗や
ときには嗚咽をするほどの
挫折を経験されています。
こうした経験を通して
姫野さんが常に大切にされている
中学時代の恩師の
言葉があるそうです。
一流であれ。
ただし
一流とはすごい結果を
出す人のことではない。
失敗しても
すぐに立ち上がって
考えて
行動できる人間のこと。
2021年には
日本を離れて
ラグビーの世界最高峰の1つと
言われている
ニュージーランドの
プロリーグに参戦し
見事、
新人賞を獲得されています。
現地での仲間たちからの
あだ名が
パッション
だったそうです。
中学時代の
先生の言葉を胸に
誰よりも、努力を重ね
誰よりも、体を張って
誰よりも、走って
誰よりも、泥臭く
ラグビーに向き合ってきた
様子が伝わってきますね。
当たり前のように思えることも
決して当たり前ではない。
感謝の気持ちを抱きながら
1日1日を価値ある時間と
していきたいですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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