今週の名言 : 渡辺愛香さん(宮崎市ぎょうざ協議会会長) [ビジネスパーソン (女性)]
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宮崎県を
"ぎょうざ県"にしたい!
=============
ギョーザと言えば
宇都宮や浜松の
イメージが強い中
2021年
ダークホースだった宮崎市が
支出金額日本一の座に輝き
ギョーザ界に衝撃が走ります。
その大逆転劇の立役者であり
宮崎を”新・ギョーザ日本一の街”
へと導いた
『渡辺愛香』
さんの言葉です。
愛香さんは
1981年宮崎市の生まれ
愛香さんが
15歳(1996年)のとき
愛香さんの父親が
ギョーザの製造販売を行う
有限会社アピールを創業。
今でこそ様々な場所で
宮崎県産の餃子を目にしますが、
当時、宮崎市の
スーパーに並ぶギョーザは
ほとんどが県外産。
宮崎の方々に
宮崎のギョーザを
味わって頂きたい!
そんな想いからの
創業だったそうです。
その後
順調に売り上げを伸ばすものの
2014年(愛香さん33歳)
その父親に胃がんが見つかり
胃の3/4を切除
以前のように
働くこともできず
廃業するしかないと
思い悩んでいた時に
当時、
人気ラーメン店:屋台骨を
経営されていた田中社長が
声をかけて下さり
事業継続できることとなりました。
このタイミングで
愛香さんも屋台骨に
パートとして入社し
新設された餃子事業部での
仕事を始められています。
田中社長からは
毎日のように
優しく声をかけて頂きます。
自分でお客さんが
喜んでくれるような
プランを考えて、
一花咲かせてみらんね?
ギョーザに使う
野菜や肉はすべて
宮崎県産を使用
ギョーザで使用する食材は
小さく切るので
不揃いや不格好な野菜でも
使用が可能
こうすることで
農家の皆さんにも
貢献したい
こうした努力を重ねる中で
屋台骨のギョーザの人気が
ドンドン高まっていきます。
父親の創業の想い
事業を継続させてくれた
田中社長への感謝
農家の皆さんへの想い
・・・
こんな想いから
宮崎県を"ギョーザ県"にしたい
という想いが年々強まり
2020年に
宮崎市ぎょうざ協議会会長
に就任すると
持ち前の
負けん気と行動力で
様々な仕掛けを行い
2021年見事に
宮崎市を日本一の座へと導きます。
今では、
・屋台骨の専務取締役
・宮崎市ぎょうざ協議会会長
・2児の母親
などと忙しくも
充実した日々を送る中で
愛香さんはもう1つ大切な
役割を担われています。
それは胃がんを経験したのち
認知症をわずらう
最愛の父親の面倒をみること
今の自分があるのは
何と言っても父親のお陰
病気のため
自分の言葉を理解して
もらえていないかもしれないが
今、自分にできることを
することで
感謝の気持ちを表したいと
語られています。
ご自身の子供たちには
どんな分野でもいい
1番を目指しなさい!
と教育されているようです。
頑張った結果
残念ながら1番に
なれなかったとしても
そのプロセスが
成長につながる。
そんな想いからの教育。
宮崎市の
2年連続一位を目指して
日々、
孤軍奮闘されている
愛香さんの行動力、
とても魅力的ですね。
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今週の名言 : 南しずかさん(スポーツフォトグラファー) [ビジネスパーソン (女性)]
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どういう自分で
ありたいか
を大切にしたい!
===========
23歳の時に
写真を学ぶために
ニューヨークへ武者修行
その後は
アメリカの有名写真誌で
年間大賞を受賞するなど
スポーツフォトフラファーとして
活躍されている
『南しずか』
さんの言葉です。
1979年
東京都の生まれ
車のナンバー
野球の打率
など
小さい頃から
とにかく「数字」が大好きで
根っからの理系気質
東海大学では
航空宇宙学科で学び
卒業後は
エンジニアを目指します。
そんな中、
大学時代の恩師が
ドキュメンタリー番組の
密着を受けることになり
南さんも
サポート役を任されます。
これまで
エンジニアになることしか
頭になかったものの
こうした
人の人生のストーリーや
人の感情を追いかけるような
仕事にも
興味を抱くように
なっていきます。
答えが変わることのない
「数字」の世界に
人によって
答えの異なる
「フィーリング」
をかけ合わせることが
できたら
とっても楽しそうだな。
心がワクワクしそうだな。
もしかしたら
「カメラ」だったら
それが実現できるのでは・・・
そう感じた南さんは
写真を学ぶために
ニューヨークへと向かいます。
その後
スポーツフォトグラファー
として活躍する中で
他のカメラマンとの
違いとして
最も意識し続けている点は
その人の「表情」を撮りたい
その人の「ストーリー」を伝えたい
ということ。
例えば、
大谷選手がホームベースに
スライディングして
得点をあげるシーン
ほとんどのカメラマンは
滑り込んだ瞬間の写真を
撮りますが
南さんは
その後立ち上がり
嬉しそうに
雄たけびをあげるシーンを
撮影します。
南さんは
スポーツ選手の
こうした感情だけではなく
ご自身の感情に
向き合うことも大切にされています。
その結果、
スポーツだけではなく
世界中のお祭りの撮影にも
精力的に向き合っています。
それはズバリ、
撮っていて自分が楽しいから
自分がワクワクするから。
選手の表情を撮りたい
自分のワクワクする
祭りを撮りたい
こうして
自分がこうありたいと
思うことに
継続的にチャレンジを
重ねている姿勢は
とても共感が持てますね。
そして南さんが
こうありたいという想いで
今、無償で
取り組んでいる
ことがあるそうです。
それは
コロナで思う存分に
練習や試合を
行うことのできない
学生スポーツ部の皆さんを
写真家として
応援すること。
『GIVE & TAKE』
スポーツや祭りの写真は
いわゆるTAKEばかり
海外のプロのスポーツ選手は
みな慈善活動(GIVE)を
行っている。
そんな姿を見て
すごいなと言っているだけではダメ
自分で何かできることが
ないかなと思って
今の活動を
始められているそうです。
いずれの活動も
そのど真ん中には
南さん自身の
自分はこうありたい
がありますね。
こんな南さんの生き方
とても素晴らしいと感じます。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 豊島雅信さん(焼き肉店従業員) [その他]
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弱さもみがけば
個性になる!
===========
海外のグルメガイドで
日本№1と評価される
3時間半待ちの
大行列ができる
この焼き肉店の名物は、
「日本一」
の呼び声高い
牛の内臓肉・ホルモン。
そのホルモンをもとめて
国内外から
一般客はもちろんのこと
料理人も足しげく通うほどの
おいしさを
引き出すその実力から
ホルモンの神様
と慕われる
『豊島雅信』
さんの言葉です。
豊島さんは昭和33年
精肉店を営む
両親のもとに生まれます。
2歳のときでした・・・
店にあった
ひき肉の製造機に
誤って手を入れ
右手の指を
失います。
生活するうえで
不自由を感じることは
なかったものの
学校に通うようになると
意識をせざるおえませんでした。
例えば、
本来であれば
楽しいはずのフォークダンス
周りの女子からは
「嫌だ」
「気持ち悪い」
「触るの嫌だ」
こうした屈辱の連続は
今でも脳裏に
しっかりと焼き付いています。
もう学校にはいきたくない。
そんな想いから
中学を卒業すると
就職することを決意
知人の口利きで
神戸のステーキ店を
紹介してもらうも
いざ働く段になると
「右手が悪い子は働けません」
と門前払い。
強いショック
やるせない気持ち
様々な感情が
湧き出てきます。
やむなく実家に戻り
精肉業の傍ら営んでいた
焼き肉店で働き始めます。
自分はこの世に
必要のない人間!?
仕事にも身が入らず
毎日遊びまわるように。
こんな日々が
15年続いたある日のこと
仕入れに訪れた食肉市場で
ある光景を目にしました。
カルビやロースなどが
次々と引き取られるその脇で
売れ残ったホルモンが
大量に置かれていました。
どこか
自分と重なって見えました。
俺も
このホルモンみてえなもんだな。
この世から
半分は脱落したような自分
この日から
ホルモンを買い取っては
売るために工夫を
来る日も来る日も重ねます。
雑味やにおいを
取るための洗い方
舌触りを
良くするための
刃先の入れ方
15時間/日
左手一本での仕込み
それでも売れない
日々は続きますが
もうあきらめたくは
ありませんでした。
やらないうちから
できないなんて
言うのはやめよう!
捨てるのも、
拾うのも、
自分
こう自分に
言い聞かせながら
試行錯誤を続けて
数年後
ぽつりぽつりと
地元では見かけない客が
店を訪れるようになります。
それから30年
今では豊島さんの
ホルモンを求めて
連日、
お客さんが訪れてきます。
豊島さんは
ご自身の人生を振り返り
次のように語られています。
若いときは、
自分の右手が憎くて
しょうがなかった
そう思ってたのに
今では反対に
この右手があったから
今の俺がある
感謝している
この右手に感謝している
この右手がなかったら
ここまで
こうして
焼肉道
に邁進してこれなかったと思う。
誰にでも存在する
自分の弱さ
こうした弱さも
自身の行動の原動力に変えて
日々一歩ずつ
未来に向かって
歩み続けてきた
豊島さんの生き方
とても素晴らしいですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : KUNIKAさん(クッキーアーティスト) [その他]
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「こんなはずじゃなかった」
って笑うような人生が楽しい!
===============
9年前から、
趣味で始めた
クッキーアートを
SNSにアップし始めると
たちまち話題となり
インスタグラムのフォロワーは
10万人を超え、
サンリオなど
大手企業からのオファーも
殺到する
クッキーアーティスト
『KUNIKA』
さんの言葉です。
KUNIKAさんは
1989年千葉県の生まれ
3歳から水泳を始めると
メキメキと実力を磨き
中学時代には
ジュニアオリンピックに
出場するほどに成長します。
しかし自分の実力では
水泳では食べていけないと悟り
水泳をスパッと辞めると
高校時代には
ひょんなきっかけから
高飛び込みを始めます。
高い所だと
10mもの高さから
命綱もなしに
プールに飛び込むこともある
危険を伴う競技
ときに
「何でこんなことやってんだろう」
と思いつつ
「だから人生って面白いな」
と想像のつかない人生を
楽しむような生徒でした。
中学1年生の職業体験で
行ったケーキ屋さんで
自作した
デコレーションケーキを
家に持ち帰ったところ
お母さんと祖母が
とても喜んでくれた経験が
忘れられず
高校卒業後は
日本菓子専門学校で
お菓子作りの基礎を学ぶと
その後20歳で
マンダリンオリエンタルホテル東京
でパティシエとしての
道を歩み始めます。
しかし
当時休みを利用して始めた
ダイビングにはまると
22歳の時に
ホテルでの仕事をスパッと辞めて
何のあてもなく
突然、沖縄に移住。
周りからの
「お前、大丈夫か!?」
の言葉も気にすることなく・・・
石垣島の沖縄料理屋で
住み込みで働いたり
古着屋で働いたりする中で
趣味で始めた
クッキーアートを
SNSで発信すると
大きな共感を呼び
大手企業からのコラボ依頼
個展の開催
書籍の販売
・・・
一躍、
脚光を浴びるようになります。
まさに
想像がつかない人生ですね。
こうした生活を
数年間送る中で
好きで始めた
クッキーアートなのに
仕事として活動していると
ときおり
嫌いになりそうな瞬間があり
本当に自分が
作りたいものって何だろう?
自分を見失いそうになると
クッキーアーティスト
としての活動をスパッとやめて
今度もまた
何をするかも決めず
突然、
イギリス・ロンドンへ
拠点を移すことを決意
今では
ロンドンの三ツ星レストラン
「sketch(スケッチ)」で
アフタヌーンティーの
スイーツを提供する
パティシエとして
活躍をされています。
そして現地で知り合った
アルバニア人の男性と結婚
様々な価値観を学びながら
楽しい日々を過ごす中で
改めて
自分がやりたい
クッキーアートの
チャレンジを
再開されています。
この先どんな世界が
広がっていくのか
想像がつかない
楽しさがある
と言われています。
最後に
そんなKUNIKAさんが
若い方々に向けて
発信されている内容を
ご紹介して
終わりにしたいと思います。
49%の不安があっても
51%の楽しみがあれば
それでいい。
最初の一歩は
いつでも誰でも
何歳になっても
怖いものです。
でもその一歩を
踏み出さなければ
何も始まらないし、
その先の世界を
見ることは一生できません。
行動しなければ
奇跡も起きない。
夢も叶わない。
歯車を回すのは自分。
舵を切るのも自分。
失敗してもそれは経験で、
そこから学んで、
また挑戦すれば良い。
やらなかった後悔よりも、
当たって砕けたほうが
ずっと気持ちが良い。
周りの環境や人の声、
様々な壁が立ちはだかっても、
ほんの少しの勇気を出せば
案外世界はとてもクリアで、
追い風も吹くものです。
せっかくの
一度きりの人生なら、
沢山の奇跡を手繰り寄せて、
ドラマチックに生きていけたらと、
私も日々悩んだ時は
自分に言い聞かせています。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 右近由美子さん(おにぎり店女将) [その他]
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おにぎりとは
心と心をつなぐもの
============
日本一の呼び声高い
その味を求めて
常連のサラリーマンから
家族連れ
果ては
スーツケースを抱えた
旅人までが
「おにぎり」の聖地として
全国から訪れる超人気店。
食事時でなくても
雨が降ろうとも
行列の絶えない
おにぎり専門店
「ぼんご」の女将
『右近由美子』
さんの言葉です。
由美子さんは
1952年新潟県の生まれ
食事の礼儀作法
湯のみの持ち方
靴の脱ぎ方
敷居のまたぎ方
ゴミの捨て方
さらには
女に勉強は必要ない
など
とにかく
至る所に厳格な父親と
そりが合わず
19歳の時に家出をし
紙袋1つだけを持ち
上野にたどり着きます。
お金もない
寝る所もない
そんな状況の中で
飛び込みで仕事を探していると
なんとか
住み込みでの喫茶店の
仕事にありつきます。
しかし
東京での食事が口に合わず
母親の味が懐かしい
おいしい白米が食べたい
いつもそんなことを
考えていた時に
友人に今のお店である
「ぼんご」
に連れていってもらうと
あまりにもの
おいしさに感動して
涙がこぼれそうになった
そうです。
その後、
「ぼんご」を経営されていた
ご主人と結婚
それからは
「ぼんご」のお客さん
としてではなく
女将として
お客様に感動を与える
おにぎりの研究を重ねます。
お昼前のオープンにあわせて
朝7:00~ 仕込みを始めます。
おにぎりに使う
具の多くは手作り
どれだけ手間をかけたかが
そのまま味にあらわれるから。
1番人気の鮭は
脂ののった紅鮭を使い
指先でていねいに
フワッとほぐしていきます。
生卵を2日間冷凍したのち
卵黄部のみを取り出して
醤油漬けにすることで
人気の具材として
高い評価につながっています。
ご飯の炊き方蒸らし方にも
こだわりをもち
1粒1粒にふっくらと
仕立てていきます。
そして
おにぎりを握るのではなく
ふわっとまとめることで
おにぎりを
手にとってもこわれず
口の中で
はらりとほどける
やわらかさを醸し出しています。
現在の具はなんと57種類
さらに1つのおにぎりで
3種類まで組み合わせ可能
こうした具材の組み合わせも
実はお客さんからヒントを頂くことも
あるようです。
これまで
お客さんの笑顔のために
との想いで
試行錯誤を繰り返しながら
おいしいおにぎりを提供することを
考え続けてきた由美子さんですが
メニューアイデア以外でも
お客さんから 頂くことの方が多い
と言われています。
「美味しかったよー」
の言葉とともに
満面の笑みを向けてくれる
お客さんを見ていると
こうしたお客さんが
いてくれるお陰で
由美子さん自身も
仕事ができているし
もっともっと
お客さんの笑顔が見たいという
想いが湧きあがり
さらに自分の成長を
後押ししてくれる。
まさに冒頭の言葉
おにぎりは心と心をつなぐもの
ですね。
2022年9月時点で
70歳の由美子さん
もっともっと
お客さんに喜んでもらおうと
長年続けてきた店をたたみ
10月に新店を オープンさせるとのこと。
この年齢でのチャレンジ
本当に素晴らしいですね。
こうしたお客様のためにの想いが
お客様からの応援と勇気を頂く
原動力になっている様子が
とてもよく伝わってきます。
私たち1人ひとりの
日々の生活も同じことが
言えそうですね。
お客様のために
大切な人のために
こうした気持ちを
これからも大切に
し続けていきたいですね。
TVでも取り上げられていました。
約1分後あたりから始まります。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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