今週の名言 : 和泉希洋志さん(カレー料理人) [その他]
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周りの評価ではなく
自分にとって
楽しい生き方をする
=============
ここ数年
巷を騒がせている
スパイスカレー
多くの日本人が
イメージする
小麦粉を使った
昔ながらのカレーとは
一線を画し
食欲をそそる
官能的な香りに
人々を虜にする
刺激的な味わいが特徴
そんなスパイスカレーの
聖地と言われる大阪にあって
ミュシュラン
「ビブグルマン」にも
選出実績があり、
「食べログカレー百名店」で
2017年から2022年連続受賞
というカレーの名店
「SOMA」の店主
『和泉希洋志』
さんの言葉です。
和泉さんは
1968年香川県の生まれ
実は・・・
幼少の頃から
自分自身に対して
強い「コンプレックス」を
抱きながら生きてきました。
それは
人と話すのが苦手
コミュニケーションが苦手
ということ。
俺の人生
どうなっていくんだろう・・・
ときに思い悩むことも
あったそうです。
しかしご両親からの
豊かな愛情を受け続ける中で
自分の苦手な部分に
目を向けるのではなく
自分のやりたいこと
やらずにはいられないこと
を見つけて生きていくと
きっと
幸せな人生が歩めるはず
だという意識が
少しずつ 醸成されるように
なっていきます。
幼稚園から絵画を習い
中学で音楽に目覚めます。
大阪芸術大学に進学すると
有名美術雑誌に取り上げられたり
展覧会の依頼も殺到
音楽の活動では
著名ミュージシャンに認められ
英国の
インディーズレーベルから
CDを発売
芸術家として
音楽家として
今でも
やりたいこと
やらずにはいられないことで
満ち溢れた日々を
過ごされています。
そんな和泉さんが
カレー店を始められたのは
40歳の時
たまたま行っていた
アルバイトで
スパイスに興味を持ち
自身でカレー制作に
没頭するようになります。
そして2011年
東日本大震災を機に
自身の表現の場として
「SOMA」
を立ち上げられています。
お店の営業は
12時~15時までの3時間
開店前には
お客様が列をなし
売り切れごめんのスタイルで
15時前には店を閉めると
すぐさま
自分の芸術活動・音楽活動に
没頭する日々
自分のやりたいこと
やらずにはいられないこと
ができている毎日は
とても充実していて
生きている実感を
感じると語られています。
他人の価値観で生きる
Have to の比率よりも
自分の価値観で生きる
Want to 比率を高めて
和泉さんのように
自分らしい
人生を歩んでいきたいですね。
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今週の名言 : 間渕則文さん(救急医) [その他]
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自分のやりたいことを
ひたむきに・・・
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「助かる命を救いたい!」
強烈な信念のもと
ご自身が50歳の時に
岐阜県中津川市で
日本で初となる
乗用車型ドクターカーの
運用を開始。
これまで
5,000件もの
出動要請にこたえ
たくさんの命を
救い続けてきた救命士
『間渕則文』
さんの言葉です。
間渕さんは
1958年名古屋市の生まれ
開業医だった祖父
薬剤師だった両親
といった家庭で育つなか
自身も医師を目指すようになり
名古屋市立大学医学部を
卒業すると
同大学病院の
麻酔科とICUに勤務
救急医療を志した
30代のとき、
救命センターへ搬送中の
9歳の男の子が
亡くなる姿を目の当たりにし
「医者が病院で
待っているだけでは駄目だ」
という想いを強く
抱くようになります。
その後40代となり
研究の一環として
ヨーロッパを巡っていた時に
ドイツで乗用車型の
ドクターカーに出逢います。
医者が病院で待つだけではなく
医者がみずから車を運転して
現場に駆けつけ
現場から治療を開始
するという
まさに
間渕さんが
ずっと探し求めてきた
モデルがそこにありました。
ただし
日本では法律の規制
税負担の増える住民の理解
などもあり
これまで
まったく前例のないことでした。
通常の医師であれば
本当はやりたいんだけど
前例がないから
やっぱり無理だなと
あきらめてしまいそうですが
間渕さんは 違いました。
その背景には
自分の大好きで尊敬する
祖父の存在がありました。
祖父は70歳まで
開業医として仕事を続けると
その後その病院は
身内に任せ
ご自身は
静岡県の無医村に
入って
診療活動を
始めたのです。
それを目の当たりにしてきた
間渕さんは
自分も
祖父のように
「やりたいことをやる」
常々こうした気持ちを
抱いていたそうです。
医療関係者が
業務として一般道を運転しても
よいという法改正
さらには市議会での
プレゼンテーションを重ね
市民の共感も頂きながら
プラスの税負担を獲得
こうした甲斐もありその後
驚くことに
それまで3%しかなかった
中津川市民の救命率が
今では19%にまで
達しています。
参考までに
救命率の全国平均は12%
施設の整っている東京でも18%
いかにこの数字が
素晴らしいかが伝わってきます。
チームで
9日勤務5日休みシフトをとり
365日×24時間体制を整えています。
間渕さん自身も
9日間の出勤時には
いつ呼ばれていいように
病院のすぐ近くに寝泊まりし
食事はスキマ時間で
作り置き
トイレはドアを開けたまま
お風呂も週に1回短時間
お昼などの外食は必ず先払い
体力をおとないよう
筋トレをかかさず
夜中の呼び出しにそなえて
夜9時にはいったん就寝
こうした方々の
活動のお陰で
救命率19%が
実現できているんですね。
ストレスのたまる
9日間の勤務を終えると
休みの5日間は
実家に戻り
大好きな90代の
母親の作る
カニクリームコロッケに始まり
大好きなお酒や
大好きなクラシックカーを
楽しむなど
リラックスすることを
大切にされているそうです。
◆自分のやりたいことやる
◆オンとオフの切り替えを行う
間渕先生の
こうした生き方は
ぜひ私たちも
学び実践していきたいですね。
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今週の名言 : 柗井のの子さん(花火師) [ビジネスパーソン (女性)]
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自分のやりたいことを
がむしゃらに
そして、繊細に・・・
=============
創業123年、
伝統を守りながら、
新しいものを
生み出し続ける
花火の職人集団
「伊那火工 堀内煙火店」
花火の世界大会
日本代表になるなど
数々の実績と
お客様に感動を与え続ける
この会社で
女性花火師として
活躍されている
『柗井のの子』
さんの言葉です。
高校生くらいまで
ずっと花火屋さんになりたかった
というのの子さんですが
高校を卒業すると、
花火師とは関係のない
多摩美術大学に進学
ここで
デキスタイルデザイン
(布関係のデザイン)
を学ぶと
大学卒業後は、
使うためのものでなくても、
存在しているだけで、
価値のある布。
そんな布に惹かれ、
ずっと布関係の作品を
手掛けていました。
そんな自分の作品を介して、
出会える人がいることは
とても贅沢なことだな、
とても幸せなことだな
だからこそ
魅力あるものを創りたいし
こんな自分の人生は
いい人生だなと
感じる日々でした。
テキスタイルデザインの
作品を創って展覧会に出し、
いくばくかのお金をいただき、
でもそれでは足りず、
アルバイトをかけもち。
こんな生活を送りながら
のの子さんが
30歳を迎えるタイミングで
ふと、
「この人生をずっと進んでいくのかな?」
と考えたとき、
以前、自分が
「花火屋さんになりたい!」
って思っていたことを思い出します。
すると
すぐさま行動に。
アルバイトを募集している
花火店を検索し、
最初にヒットしたところに
「アルバイトをさせてください」
とお願いにいったのが
何を隠そう今の会社だったのです。
花火師として
一人前になるのに
10年かかると言われています。
さらに
この花火師の世界は男性社会
女性でしかも30歳の年齢での
チャレンジは異例。
それでも
自分のやりかった花火師の仕事
早く仕事を覚えて
早く一人前になりたい
男性花火師にはない
自分らしさを磨いていきたい
こんな想いから
基礎を徹底して磨くこと
さらには自分らしさとして
「繊細」な色合い
「繊細」なコンビネーション
の花火を作ることに
拘るようになります。
たくさんの写真をとり
毎日の反省花火日記をつけ
時間があれば
世界中の花火を
動画でチェックし
がむしゃらに
基本と繊細さ(自分らしさ)
を追い求めます。
そして
夏場はイベントが続き
ほとんど休みもない日々が
続くことから
仕事のオンとオフの切り替え
心と体の健康のため
食事や睡眠は
もちろんのこと
自分がリラックスできる
環境を整えること
も 大切にされています。
一人前になるのに
10年かかると言われている
この業界にあって
わずか5年で
一流の花火師の仲間入りを
果たしている
のの子さんは
とても威力的ですね。
今では
のの子さんの所属する
伊那火工堀内煙火店の
花火が一番好き
のの子さんの
花火が大好き
こうした花火ファンも
いらっしゃるそうです。
自分がやりたいことを
自分らしくやり続ける
のの子さんの
こんな生き方
とてもクールですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 北村麻子さん(ねぶた師) [その他]
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前例がないなら
自分でつくればいい・・・
=============
東北三大祭の1つで
国指定重要無形民俗文化財
でもある
「青森ねぶた祭」
街を練り歩く
大型ねぶたは
幅9m・奥行7m・高さ5m
世界最大の
「ペーパークラフト」とも
呼ばれています。
2022年現在
14名存在するねぶた師の中で
唯一無二の
女性ねぶた師として
活躍されている
『北村麻子』
さんの言葉です。
麻子さんは1982年
青森県生まれ
地元の
公立高校を卒業すると
神社の巫女
接客業など
様々な仕事を行うも
なかなか自分にあっている
仕事が見つからない日々
20代半ばになったとき
「このままじゃダメだ」
と真剣に自分の生き方について
考えるようになります。
「たった一度の人生、
自分が好きなこと、
得意なこと、
を仕事にしたい」
こんな想いが強くなり
アート・デザイン関係の
仕事を探しますが
残念ながら見つからず。
そんなときに
第6代名人ねぶた師である
父親が足を悪くして
ねぶた師を
止めざるおえないのでは
といった状況に陥ります。
それでも
必死になって頑張り続ける父親
なんとそんな状況のなか
その父親が2007年に
ねぶた師にとっての最高賞である
「ねぶた大賞」を獲得
どん底から這い上がる
父の姿を目の当たりにして
父の代で
ねぶたを終わらせてはダメだ
との強い想いから
この道に入ることを
決意します。
しかしねぶた師の仕事は
大量のハリガネで
巨大なパーツを制作
トンカチ、のこぎりを使って
土台を作り、
さらには高所作業も多いため
危険が伴います。
毎年、夏に開催される
ねぶた祭りに向けて
1年かけて
準備が必要なため
体力も忍耐力も必要なため
多くの方から
次のような言葉を
頂きます。
前例がない、
女性には無理だ、
やめておけ、
・・・
それでもこうした
周りからの反対を
押し切り
25歳の時に
父親のもとに弟子入りします。
その後、
29歳のときに独立して
ねぶた師としての活動を開始
この道に入って5年目に
初めて最優秀賞を
獲得さするまでに成長。
元来、ねぶたは
男性的な力強さを
表現することを
求められてきました。
それでも麻子さんは
これまでの歴史を
大切にしながらも
自分の創りたいものを
素直に創って勝負したい
これまでのねぶたにない
新しい流れを
私の手でつくっていきたい
見てくれる人に
「私ならでは」のねぶたで
喜んでもらいたい
一緒にねぶた作りに
協力してくれるスタッフも
楽しみながら
ねぶたを作ってほしい
そんな幸せを感じたい。
日々こんな想いを抱きながら
活動を積み重ねています。
こうした麻子さんの
◆「自分らしさ」で勝負
◆前例は自分で作ればいい
考え方・あり方、とっても素敵ですね。
限りある人生
私たちも
麻子さんのような
生き方をしていきたいですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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