今週の名言 : 片桐はいりさん(俳優) [芸能人 (女性)]
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自分の“存在感”を
磨き続ける…
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舞台や映画、ドラマなど
その守備範囲は幅広く
多彩な役柄を演じる一方で
業界内でも
唯一無二の存在として
その存在感を確立している
『片桐はいり』
さんの言葉です。
はいりさんは
1967年東京大森の生まれ
中学時代に
アルプスの少女ハイジが
好きすぎて
毎日主題歌を
歌っていたところ
「はいり」
のあだ名がつけられたとか。
芸名の「はいり」は
ここからきているそうです。
一方で当時は
ご自身の顔に対する
コンプレックスが強く
実際に周りからも
顔のことで
いじられることも
少なくなかったようです。
そんなはいりさんが
大学生になると
今までの自分とは違う
人生を歩んでみたい!
そんな思いから
大好きだった映画を
身近で感じていたいと
映画館でのアルバイトや
大学の演劇部での活動に
いそしむようになります。
映画が大大大好きだから
将来は映画館や
映画会社の宣伝部で働きたい
心の中で
こんな思いが
膨らんでいくように なります。
演劇部での活動を行う中で
普通の役を演じているのに
はいりさんが
舞台に登場するだけで
笑いがとれたことを
ご自身なりに
ポジティブにとらえ
それまで
コンプレックスに感じてきた
ご自身の顔だちが
面白みに役立つ!
ことを発見。
するとその後
舞台に立つはいりさんを
偶然見た電通の関係者より
ミスタードーナツの
CMキャラクターへの
オファーが舞い込んできます。
さんまさんと歌いながら
店を訪れ
「期待してきたんですけど」
と店員に迫る役を演じて
話題となり
一躍有名になります。
こうして
自分が抱いていた就職の
イメージとは異なり
偶然にも
俳優の道へと進んでいくことに
なります。
この業界で
サステナブルに
女優と生き残るためには
やはり
自分の存在感が大事
過去のコンプレックスを
自分の存在感に変えて
容姿、表現力、演技など
唯一無二の自分らしさを
磨き続けて今に至ります。
そうしたこともあり
今では幅広い仕事の依頼が
舞い込む日々
こうしたことへの
感謝の気持ちと
もともと映画館が
大好きだということもあり
時間のある時には
経営危機にたつ
全国の映画館をまわり
映画館のお手伝いをしたり
イベントに出演するなどの
活動もされていらっしゃいます。
自分らしく成長していくこと
周りの応援をすること
こうした生き方。
まさにはいりさんらしい
魅力的な部分ですね。
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タグ:片桐はいり
今週の名言 : 森且行さん(オートレーサー) [スポーツ (男性)]
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自分の人生。
後悔したくない…
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アイドルグループ
「SMAP」を脱退し
幼少期からの夢だった
オートレーサーに転身
それから
24年後の2020年
念願の日本一の座を
獲得した
『森且行』
さんの言葉です。
森さんは
1974年足立区の生まれ。
SMAP
オートレーサー
という
経歴だけを見ると
順風満帆な人生を
歩んできたかのように
思われがちですが
実情はその逆でした。
幼少のころに
両親が離婚。
兄とふたり
親戚の家を転々とする
日々を過ごされてきました。
本来であれば
親の愛情を受けて
青春時代を
謳歌したい年頃にあって
とても
寂しい思いで
過ごされてきたことでしょう。
周りにいる
普通の子供たちとは違う
自分の人生
卑屈になっても仕方がない。
現実を受け入れよう。
後悔しない人生を生きていこう。
小学生のころから
自分の人生に対して
こうした
意識を持つようになっていきます。
そして中学生になると
ジャニーズ事務所への入所に
チャレンジ
見事に実現すると
その後、
様々な活動を続ける中で
1991年にSMAPとして
CDデビューを果たします。
SMAPの一員として
後悔しない人生を歩む中
幼少期のころの夢が
ドンドン膨らみ続けてくると
1996年
SMAPを脱退&芸能界を引退し
オートレース選手へ
転身をされています。
SMAPをやめてまでも
実現したかっとこと。
後で後悔したくなかった。
転身後には
オートレースファンからは
厳しい野次・罵声を浴びせられる日々。
さっさと芸能界に戻れ
お前が来るようなところじゃない
それでも
後悔したくないの一心で
努力を重ね
転身後24年目にして
初めて日本一の座を
つかまれています。
しかし
それからわずか3か月後のこと
レース中に
生死をさまよう
大事故に巻き込まれます。
最高速度150km
ブレーキもない
オートレースでの
事故は
大惨事につながりやすい
ことで知られています。
一命はとりとめたものの
体中に数十本のボルトをいれ
歩くのすらままならない
状況にあって
自問自答した結果
次のような決心をされています。
もう一度
レースに復帰したい
このまま引退したくない
チャレンジをしないで
後悔したくない
こんな思いで今でも
リハビリと練習に励む
日々を継続されています。
なかなか思うように
できないことも多く
いらだち
不安
あせり
・・・
などを感じながらも
以前にお世話になった
親戚のおじ・おば
SMAPの仲間たち
たくさんのファンの皆さん
・・・
からの
あたたかい励ましの言葉に
たくさんの勇気を
頂いているそうです。
森さんのように
後悔しない人生
に強い共感を感じるとともに
こうして
周りから「応援」される人生
の素晴らしさも感じますね。
やらなくて
後悔するのではなく
ぜひ自分のやってみたいことに
チャレンジしていきたいですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 田淵寛子さん(OKOMUSU 店主) [ビジネスパーソン (女性)]
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私は私…
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流行の発信地として知られる
パリのマレ地区にあって
いまや
超人気店として
フランス人に大絶賛の
お好み焼き店
「OKOMUSU」の店主
『田淵寛子』
さんの言葉です。
1981年
大阪府大阪市の生まれ
根っからの大阪人で
とにかく明るい性格
周りからの信頼も厚く
大将タイプ
高校卒業と同時に
青山学院大学進学のため
初めて東京へ。
せっかくの大学生
せっかくの東京暮らし
失敗してもかまわん
いろいろやってみよー。
まずは芸能事務所に入り
様々なレッスンを受けるも
将来像が見えず
数か月で辞めることに。
次に見つけたのが
お笑いへの道。
大手事務所の
お笑い部門に合格し
M-1グランプリの予選にも出場
しかし
自分のセンスのなさや
女性芸人の現状などを
知っていくうちに
この道も
辞めることに。
当時、
会計士になることを目指し
勉強していたとき
息抜きで訪れた
講演会で
学生起業の存在を知り
強い衝撃を受けます。
この当時
寛子さんの中で芽生えた
強い感情が
仕掛けられるより
仕掛けるほうになりたい!
ということでした。
そして在学中の
2005年に
有限会社Linkageを設立
ここで出会った方と
入籍するも
残念ながら
いい関係が続かず
結婚式を目前に破局
友人が企画してくれた
本当だったら
結婚するはずだったのに
しなかったパーティ
に友人の知り合いである
多くのフランス人が参加した際に
たまたまふるまった
お好み焼き
が大絶賛され
そうだフランスで
お好み焼き屋をやろうと決意
されています。
とはいえ
お好み焼きのノウハウも
お店の経営ノウハウも
全く持ち得ていないことから
さっそく行動に移します。
将来、お好み焼き屋に
なりたいので
バイトやらせてください
お好み焼き屋の大将に
直談判するも
焼き場に入るのに
3年かかると言われ玉砕
それでもあきらめず
次の手を考えます。
当時オタフクソース社が
行っていた
お好み焼き研修に参加
(6日間コース)
その後3年間
ひたすらお好み焼きを
焼き続け
自身の知識とスキルを磨き
ついにフランスへと渡ります。
フランスで
お好み焼き文化を
浸透させるために
寛子さんが
最も大切にしたことが
冒頭の言葉
私は私
でした。
ややもすると
人はまわりの環境に
寄せていきがちになりますが
寛子さんは
・自分の信念
・自分らしさ
・日本らしさ
にこだわり続けて
いらっしゃいます。
一例をあげると
お好み焼きの味
フランス人好みの
味に寄せるのではなく
本来の日本の
お好み焼きの味にこだわり
提供を重ねています。
ソースは、おたふく
マヨネーズは、キユーピー
お好み焼きの
風味の素晴らしさ
寛子さんの
まわりにこびるのではなく
「自分」を大切にする生き方
この両方が受け入れられて
今につながっているのですね。
流行の発信地として
世界の最高峰の環境に身をおき
自分の軸をぶらさず
お好み焼きの魅力を
発信し続けている
寛子さんのこうしたあり方は
とてもクールですね。
とはいえ
まだまだお好み焼きは
フランス人にとっては
マイナーな食べ物。
だからこそ
一生で一回だけのお好み焼き
だと思って焼く
という寛子さんの言葉から
日々真剣に生きる
エネルギーが伝わってきます。
近年日本でも
昔のようにまわりに
あわせるのではなく
自分らしさ
自分の価値観
を大切にする
風潮が高まっています。
人は人
私は私
これからも
こんな生き方をしてきたいですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 高橋萌さん(パティシエ) [ビジネスパーソン (女性)]
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才能がなくてもいい。
大事なのはやると決めること…
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2年に1度、
フランス・リヨンで開かれる
世界最高峰の
パティシエコンクールにて
日本に
16年ぶりの
優勝をもたらせた
『高橋萌』
さんの言葉です。
萌さんは
1986年千葉県の生まれ
小さいころから
母親の手作りケーキに
親しんだことがきっかけで
パティシエ
の道を目指すようになります。
国内の有名店舗で
修業を積むと
フランスにわたり
本場の技を学び日本へ帰国
インターコンチネンタル
東京ベイを経て
2021年から
東京五反田の超人気店
エキリーブルに
活躍の場を移します。
昔テレビで見た
パティシエコンクールで
準優勝を獲得した
徳永純司さん
(エキリーブルオーナーシェフ)
のもとで
仕事がしたい
私も将来は
世界最高峰のコンクールに出場し
優勝したい
そんな強い想いが
根底にあったそうです。
こうしてみてみると
・どこで働くか
・誰と働くか
つまり自分が身を置く環境が
自身の成長にとって
いかに大切であるかが
伝わってきます。
今の環境に不満や不安を
感じている人がいるとしたら
より良い環境に
身を置くことを
検討してみると
良いかもしれませんね。
世界最高峰の
パティシエコンクールの
大変さを熟知している
徳永さんはもともと
萌さんには
かなり厳しいのではないかと
思っていたそうです。
しかし萌さんとともに
仕事を行う中で
萌さんの持つ素晴らしい
才能に気づくようになります。
それは
努力する才能
継続する才能
萌さん自身も
次のようなことを
口グセとされているようです。
自分に抜きんでた才能はない!
あるのは努力をいとわぬ根気だけ。
芸術的なセンスもないし
得意でもない。
だけどやると決めたらやる。
器用ではないので時間がかかるが
それが私らしさ。
18歳のときに
病気で父親が他界
人生には限りがあることを痛感。
こうして
自分らしく生きていく姿勢
とてもクールですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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