今週の名言 : 三輪優奈さん(鷹匠) [ビジネスパーソン (女性)]
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好きなことに
理由はいらない…
============
ムクドリの騒音、
ハトやカラスの糞害など
人々の生活の中での
こうした鳥害が
増えつつある昨今
食物連鎖の
頂点に位置する
鷹を自由に操り
こうした害鳥を追い払うことに
情熱をこめて
活動を重ねている
女性鷹匠
『三輪優奈』
さんの言葉です。
まずは
優奈さんの鷹匠としての
活躍の様子を見てみましょう。
優奈さんは
2000年兵庫県神戸市の生まれ
鳥好きの両親の元で
鳥が大好きな女の子に育ちます。
学校に鳥類研究会がある
と理由で
高校は兵庫県立農業高校へ。
将来は、
バードショーや動物園の
スタッフなども考えましたが
この道20年以上という
ベテラン鷹匠との出逢いや
自分の好きなことで
世の中のお困りごと解決の
役に立ちたいとの想いから
害鳥対策専門の会社
「グリーンフィールド」に就職。
仕事を行ううえで
欠かすことのできない
大切なパートナーである
鷹とともに
自宅での共同生活
毎日のトレーニング
など
一般の方々が考えている以上に
大変な仕事だと言えそうです。
それでも優奈さんは
鷹匠の仕事は天職です!
と言い切ります。
多くの方々から頂く
どうしてそんなに鷹が好きなの?
という質問に
思わず言葉が詰まることも。
好きなことに
理由なんていらない。
好きだかこそ
鷹へ愛情を注ぎ続け
鷹との信頼が増していく
好きだからこそ
自然と鷹匠としての
知識・スキル・経験を
人一倍磨き続け
さらに世の中の
役に立てていく。
鷹匠による
害鳥対策は、
従来の
防鳥ネットや 薬剤散布、
音を発するなどの対策と比べても
景観を損なわず
鳥の保護の視点からもより良いと
今、注目度が
高まりつつあるそうです。
テーマパークやスタジアム、
神社や仏閣など
多い月には
50件を超す依頼も
来ることも。
好きだからこそ
高い意識と自発的な行動で
前を歩み続ける
優奈さんのあり方
とても魅力的ですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 幸後綿衣さん(女性鮨職人) [ビジネスパーソン (女性)]
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人生経験こそが
味になる…
==========
2023年11月
鮨の激戦区として知られる
麻生十番に
自分の店を
オープンさせると
早くも予約困難な店として
国内外の食通たちを
魅了している
「鮨めい乃」
の女性鮨職人
『幸後綿衣』
さんの言葉です。
めいさんは
1989徳島県の生まれ
ご両親の言葉を借りると
学校に呼び出されることも
たびたびで
めいさんの子育ては
正直大変だったけどおもしろかった
と言われています。
めいさんもご自身は、
・カフェの店員
・クラブのDJ
・・・
やりたいと思ったバイトを
様々経験されてきたようです。
将来は
海外で暮らしたいとの想いから
上智大学
ドイツ文学科に進学
「鮨職人」
になれば海外で働くことが
できるかも。
これが めいさんが鮨職人を目指す
きっかけだったそうです。
しかしもともと
鮨職人といえば男性社会
あまりにもの
下働きの過酷さに
あえぎ苦しんだり
ときに泣いてしまうこともある中
優しく
手をさしのべてくれたのが
めいさんが
これまで鮨を握らせて頂いていた
名店:鮨・新井
のオーナーでした。
めいさんは
親方である新井さんの
人間性や握る鮨のレベルの高さに
ほれこみ
いい鮨職人になるには
自分が理想とする人の
近くに身をおくことが大切と
その後
新井さんのもとで
厳しくも愛情のこもった
指導を仰ぐことになります。
自分のやりたいことはやる
想像したことは現実になる
をモットーに
時には鮨職人でありながら
フランス留学し
ワインソムリエの資格を取得
本当の食材の良さを知ることが
大切だという信念のもと
豊洲市場に通いつめたり
おいしい利尻昆布を求めて
北海道礼文島の
漁師のもとを訪ねたり
といった体験を
大切にされています。
やりたいと強く思うことが大事
強く思えば行動に現れる
行動の幅を広げてくれる
こうした日々の行動や体験の
積み重ねが未来を創る
師匠である
新井さんからは
独立したいまでも
辛い想いが「おいしい」を創る。
人生経験こそが味になる。
と厳しくも
優しい励ましを頂いているそうです。
人生経験こそが味になる。
私たちも心にとめて
日々過ごしていきたいですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 篠崎恵美さん(フラワークリエイター) [ビジネスパーソン (女性)]
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悩んでいるくらいなら
とにかく動いてみる…
==================
フラワーショップ
「edenworks bedroom」など
都内で3店舗を経営
その傍ら
店内装飾から
ウインドウ装花、
雑誌、広告、CM、MVなど
花にまつわる活動の幅は広く
数多くの
アーティストや有名ブランドと
コラボするなど
日本を代表する
フラワークリエイターとして
活躍されている
『篠崎恵美』
さんの言葉です。
恵美さんは
1981年栃木県宇都宮市の生まれ
幼少の頃
家のいたるところに
花が飾ってありました。
それは母親が
家族や大切な方から
もらった花束を
1つひとつ
ドライフラワーにして
残していたものでした。
誰にどんなときに
もらったものなのかを
いつも嬉しそうに
話してくれたそうです。
恵美さんは
学校を卒業すると
ファッションの道を
志していましたが挫折
そんな時に、
たまたま立ち寄った店で
花の魅力に改めて気づき
すぐに花の修行を始めます。
この行動力は
素晴らしいですね!
そして28歳で独立
初めて結婚式の装飾を
うけおったときのことでした。
とても衝撃的な事実を
目の当たりにして
倒れこんでしまいます。
それは
式の後にごみ収集車がきて
花が全部
捨てられていきました。
強烈に
「申し訳ない」
という感情が溢れます。
花という生き物を切って売って
まだ生きているのに
捨ててしまう
フラワークリエイターという
自分の仕事の身勝手さに
愕然とします。
この経験と
幼いころの母親の花への愛情が
重なり
花を捨てない世界を考えたい
花を長く楽しみたい
日常を花で満たしたい
との想いを
強く抱くようになり
しだいに活動の幅や
新しいチャレンジなどが
広がっていきます。
ドライフラワー教室を開始
生花の販売でも
いかに長く楽しむかの視点から
花瓶の大きさや水のやり方など
購入される
植物にあわせて
お客様にアドバイス
さらには
以下のような活動も
こうした
想いがあればこそです。
1つは 地元、
宇都宮市の
図書館での企画
誰もが
気軽に立ち寄ることのできる
図書館に
6,000本もの花を持ち込んで
ロープに1本1本
手作業でつるした作品を展示
展示期間の後半には
次第に
枯れていく花々を
ドライフラワーとして
プレゼントとしてお渡しして
ご家庭で
長く楽しんでいただく
などの活動
そしてもう一つは
紙フラワーへのチャレンジ
紙であれば
長く楽しんでいただけるし
日常を花で満たしやすくなるとの
想いからです。
この紙フラワーも
国内外で高い評価を得て
例えば
200年の歴史のある
登録有形文化財として
認定されている
由緒ある食事処の
床の間にも
採用されているそうです。
この食事処の女将は
恵美さんの紙フラワーをみて
恵美さんの
花に対する思想や
愛情・優しさが伝わってくると
尊敬の念を
抱かれています。
恵美さんは、
花を長く楽しんで頂きたい
日常を花で満たしたい
との想いを胸に
これからもまだまだ
チャレンジを続けていきたい
一方で
花の仕事は体力勝負
この先
年齢の積み重ねとともに
体力も少しずつ
衰えていってしまう。
だからこそ
新しいチャレンジも
アレコレ悩んでいるくらいなら
とにかく具体的に
行動した方が
どう考えてもいいはず。
とにかく
行動を大切に
歩み続けていきます。
想い行動すれば叶う!
と語られています。
こんな恵美さんの
想い×行動
のサイクルは
ぜひ私たちも
大切にしていきたいですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 松田悠さん(銭湯運営) [ビジネスパーソン (女性)]
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東山商店街が好き
湊河湯が好き…
===========
神戸の台所と言われ、
レトロな雰囲気と人情で人気の
東山商店街
そんな商店街に
1949年に開業し
長年愛され続けてきた
湊河湯(みなとがわゆ)
2022年12月
先代の急逝により
廃業寸前だった
この銭湯を引き受けて
その再生に
熱い情熱を注ぎ続けている
『松田悠』
さんの言葉です。
学生時代の
松田さんの趣味は、
軽音楽と
様々な商店街を散歩すること
ある日
ふと立ち寄ってみた
東山商店街の
その心地よさに
魅了されました。
女性が活き活きと活躍する姿
人情の厚い人々
昔ながらながらのレトロな雰囲気
そこでふと立ち寄ってみた
湊河湯の心地よさに
さらに魅了され
その後、
全国の銭湯巡りを
楽しむようになります。
一方で
大学は中退し
昔から大好きだった
音楽に近い仕事をしたいと
有名アイドルのマネージャー
イベント会社での企画運営
などに携わりながら
銭湯巡りをしている中
自分の将来を考えていると
以前訪れた「湊河湯」で
働いてみたい
という気持ちが
湧いてくるようになったそうです。
天からの知らせなのか
まさにこのタイミングで
湊河湯が
倒産寸前という情報を知った
松田さんは
絶対に
倒産させたくない!
との想いから
あるご縁をきっかけに
湊河湯を
引き継ぐことになりました。
(オープン初日の様子)
それ以来これまで
最も大切にしていることは
以下の2つだそうです。
◇地元の方々に愛されること
◇新しいお客様に関心を持って頂くこと
地元の方々に
心と体を癒してほしいと
毎日、
2時間かけてお風呂の掃除
銭湯に来られた
お客様全員との
きさくなコミュニケーション
普段仕事があって
なかなか銭湯にこられない
商店街の方々にも
楽しんでいただきたいと
正月3が日も
朝から銭湯をオープン
こうした
日々の地道な活動の
積み重ねこそが最も大切
だと言われています。
そして銭湯が
末永く続いていくためには
若い方々を中心とした
新しいお客様に
興味を持っていただく
必要があります。
銭湯に
立ち飲みカウンターを設置して
地元の クラフトビールや軽食を
楽しめるようにしたり
SNSでの発信や
11月26日(いいふろの日)には
ご自身が大好きだという
アーティストや漫才師を
銭湯に呼んで
イベント開催など
過去の仕事の経験も
活かしながら
新規のお客様の
獲得にもつなげていらっしゃいます。
歴史ある銭湯「湊河湯」の
2代目として
持ち前の
明るさと駆動力で
湊河湯の継続発展に
情熱を注ぎ続ける
松田さんの生き方、
とても魅力的ですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 田中りみさん(漁師) [ビジネスパーソン (女性)]
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女性の職業にも、
漁師という選択肢を、
つくりたい…
=============
和歌山県との県境に近い
三重県熊野市にある三木島湾は
リアス式海岸の
奥に位置していることから
台風などの
悪天候の時も
風の影響を受けにくい
穏やか海で
年間を通して
安定した漁獲量が
期待されるため
昔から
定置網漁が盛んでした。
ここには
全国でも珍しい
女性だけの
定置網漁師がおり
そのリーダーとして
舵を取っている
『田中りみ』
さんの言葉です。
りみさんは
1979年熊野市の生まれ
幼少の頃から
父親が漁に出る姿をみて育ち
いつか自分も
漁師になりたいという
願望を
抱くようになります。
しかしながら
日本全国の漁師界隈では
女性は船に乗せない
という習慣があり
もちろん父親も大反対。
やむなく
漁師をあきらめて
上京し
いくつかの
職を経験したのち
飲食店を展開する企業
「ゲイト」に入社します。
この企業は
熊野市に水産物の
加工場を持っており
りみさんも
Uターンをして
下降スタッフとして
働き始めます。
そんなある日のこと
たまたま加工場に
視察に来た社長に打ち明けます。
私、
本当は漁師になりたいんです!
その言葉を
しっかりと受け止めた社長は
地元の漁協に
掛け合ってくれました。
いつまでも昔の風習に
こだわっているのは時代遅れだ。
女性が
漁師でもいいじゃないか。
りみさんの想い、
社長の想い、
が受け入れられ
りみさんの
幼少の頃からの
夢が叶うこととなりました。
とはいうものの
男性でも大変だと言われる
漁師の仕事。
りみさんは
男性に追いつくのではなく
女性ならでは、
女性だからこそ、
の視点から
漁師を目指そうと
試行錯誤を重ねます。
市場での商品価値が
ないとの理由で
廃棄され続けてきた魚を
ゲイトの加工場に持ち込み
加工品として
販売するルートを開拓し
2022年には
農水省から賞を頂いたり
男性が漁に出るときの
10分の1サイズの
定置網を整えて
女性だけで
漁に出ることができる
体制を整えると
私も体験させてほしいと
全国の女性から
問い合わせが
来るようになります。
さらには
この10分の1サイズの
定置網を活用して
全国の
高校生たちを対象に
定置網漁
魚の調理
新鮮な魚の食べ比べ
といった体験企画を行っており
大好評となっています。
女性にも
漁師という選択肢を
つくりたい。
若い人たちに
漁師の魅力・魚の魅力を
知ってほしい。
1年中 魚と向きあう
りみさんの楽しみは
浜崎あゆみと
ソフトボール観戦
だそうです。
自分の心が豊かになる
こうしたりみさんの生き方
とても魅力的ですね。
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今週の名言:村井沙邦莉さん(和菓子職人) [ビジネスパーソン (女性)]
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笑顔をたやさず、
努力をおしまず…
============
兵庫県姫路市。
姫路城のすぐ側に佇む
1964年創業の和菓子店
「村井製菓」(HP)
和菓子に
新感覚の要素を
取り入れた商品が
可愛い
映える
おいしい
・・・
とSNSで
その認知度が高まり
ヒット商品を
生み出し続けている
『村井沙邦莉』
さんの言葉です。
まずは
沙邦莉さんが
この世に生み出した
ヒット商品を
いくつかご紹介いたします。
「生どら」
どら焼きと生クリームを
融合した商品。
最近では
コンビニなどでも
見かけるようになりましたね。
そして次に、
「どらべちーの」
さまざまな
カフェやスイーツ店をまわって
研究を重ねたのだそう。
主役のどらやきに
負けないよう
濃厚な生クリームを使用し、
とけても最後まで
美味しく飲めるよう、
濃いめの味に
調整しているのだとか。
良い風味のために
国産の上質な抹茶を点てるなど、
和菓子屋さんならではの
こだわりが感じられます。
このほかにも
数多くの人気商品が
生まれています。
沙邦莉さんご自身は
学校を卒業すると
銀行に就職をされています。
その当時は
村井製菓の2代目として
沙邦莉さんのご両親が
お店を経営されていました。
しかし村井製菓の経営を
揺るがしかねない
大きな出来事がおこります。
長年取引のあった
大手スーパーの
営業方針の変更により
取引が停止となってしまいました。
その後
コロナにより
さらにお客様が
離れていってしまいます。
苦難にたたされた
両親のために
何とか力になりたい!
そんな想いが
日増しに強くなっていくと
銀行を退社して
村井製菓で働くことを決意。
自分ならではの
新しい風をふかせたい
と日夜頑張るも
和菓子のことなど
分かっていない素人に
何ができるんだ!
と社員からは
大反発の日々
ベテランの職人とも対立
悔しさに涙する日も
あったそうです。
それでもこうした
悔しさをバネに
休日も返上して
和菓子を創る技術を
独学で習得していったり
今までにない
新しい和菓子の開発に
挑戦したりの日々を重ねるなか
沙邦莉さんの創る
和菓子スイーツが
SNSを中心に
人気を集めていくように
なっていきます。
これまで
和菓子と縁遠かった
子供たちやファミリー層、
海外のお客様からも
受け入れられるなど
和菓子のすそ野が
ひろがりつつあります。
周りからの反発や
対立の中にありつつも
自身の
信念と行動で
こうした
世界を切り開いていった
沙邦莉さんのあり方
とても魅力的ですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 永山裕子さん(建築家) [ビジネスパーソン (女性)]
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どうせなら
ワクワクすることを
やろうよ…
=============
ルイ・ヴィトン京都大丸店の外装
東急歌舞伎町タワー
など
数多くの代表作を手掛け
光を巧みにあやつるセンスに
高い評価が集まる
建築家
『永山裕子』
さんの言葉です。
永山さんは
1975年東京生まれ。
建築家って
かっこいい!
こんな想いから
高校生の頃に
建築家を目指すことを決心。
大学卒業後に就職した
設計事務所での
「スタッフは4年で卒業する」
というルールのもと、
朝から晩まで
必死になって建築を学び
26歳で独立、
自らの事務所を設立されています。
現在スタッフは16名。
そのほとんどが
永山さんのもとで
仕事がしたい!
と永山さんに
あこがれて
入ってきたメンバーばかり。
事務所の雰囲気が良すぎ!
建築の考え方に強く共感!
クールでかっこいい!
こうして
「想いが1つ」になった事務所から
生み出される建築は
必然的に
素晴らしいものに
なっていくのが
分かりますね。
こんな永山さんが
これまでの経験を通して
日々大切にしていることを
ここでいくつか
ご紹介してみましょう。
◇プロの世界で通用する自分の個性
◇建築に対するブレない考え方
◇仲間に力を発揮してもらえる人間力
◇プロの世界で通用する自分の個性
独立して事務所設立後に
コンペを勝ち取り手がけたのが
ルイ・ヴィトン京都大丸店の外装でした。
このコンペでの勝因こそが
その後の永山さんの代名詞ともなる
光を巧みに扱うセンスでした。
光のあたる角度で
見え方が変わる偏光板を用いた
永山さんならではの個性です。
◇建築に対するブレない考え方
建築物を立てることが
ゴールではなく
建築を通して
人々に幸せになってもらうことを
ゴールに定めています。
例えば、
JINSの創業地に建てた
JINS PARK 前橋
当時ご自身が
小さな子供を
育てながらの背景もあり
お母さんに優しい設計に
拘りました。
お母さんが
幸せになると家庭も幸せになる
幸せな家庭がたくさんあると
その地域ごと幸せになる
そのコンセプトと
魅力的な設計が高く評価され
世界三大デザイン賞の1つ、
iF Design Award 2023
を受賞されています。
たとえどんな仕事であっても
日々仕事を行う中で
ただ単純に作業として行うのか
それとも
大きな「目的」をもって行うのかによって
意識や行動にも違いが生まれてきますね。
◇仲間に力を発揮してもらえる人間力
近年、
従業員一人ひとりの
価値観や個性を
存分に発揮していただき
創造性や生産性を
高めていくために
従業員エンゲージメント
に注目した経営活動が
注目を集めるように
なってきています。
こうした活動を
うまくいかせるためには
リーダー自身の人間力が
欠かせません。
従業員の声に耳を傾け
従業員が気持ちよく主体的に
働ける環境を整えるなど
何年も前から
こうした従業員との向き合い方を
されてきたのですね。
お客様に喜んで
頂くためには
事務所のメンバーが
主体的にワクワクしながら
仕事に向き合うことが
いかに大切であるかが
伝わってきます。
一人目のお子さんを
出産した直後には
仕事をこのまま続けるのか
悩んだ時期も
あったそうです。
今、当時のことを
振り返り
自分の可能性を
あきらめなくてよかった
としみじみと
語られています。
2025年大阪万博では
2つのパビリオンを
任されています。
1つは
ファンタジックな
世界を表現する
パナソニック館
そしてもう1つは
ウーマンズパビリオン
としての日本館
ここでは
2020年ドバイ万博で
日本館を建築した際に使った
資材をリユースして
設計するそうです。
サステナブルを地で行く
知恵と工夫が生かされているのを
楽しめそうですね。
永山さんのように
基礎を土台に
仕事での個性を磨くこと
人としての
あり方や考え方を磨くこと
私たちも
大切にしていきたいですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 金城小百合さん(小学館 漫画編集者) [ビジネスパーソン (女性)]
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「これでいい」
と安易に妥協したくない…
==================
「サターンリターン」
「あげくの果てのカノン」
「往生際の意味を知れ!」
・・・
ドラマ化されるものも含めて
数々のヒット作に
携わり続けてきた
凄腕編集者
『金城小百合』
さんの言葉です。
小百合さんは
転勤族の家に生まれ
各地を転々とする
幼少期を過ごします。
そんなことが影響してか
たとえ友達や環境が
変わってしまっても
いつも変わらずそばにある
本が大好きだったそうです。
ご飯を食べたり
お風呂に入る時間を
惜しんでまでも
本を読んだり
映画を見ることに没頭。
恐らくこうした背景も
あってのことでしょう
國學院大學を卒業すると
秋田書店に入社をされています。
そして入社3年目に
「花のずぼら飯」
の連載を立ち上げると
これが
「このマンガがすごい!」
2012年版オンナ編第一位となり
テレビドラマ化もされています。
秋田書店での
こうした実績がかわれ
ヘッドハンティングをうけて
30歳の時に小学館に転職し
現在の活躍につながっています。
小学館への転職当初、
小学館の社員からは
あなたレベルの編集者は
この会社にはたくさんいるわ!
とイヤミも言われたそう
・・・
この言葉を聞いて
小百合さんは
逆に以前のように
自分一人で背負わなくていい
と随分気が楽になったそうです。
小百合さんご自身は
漫画編集者の仕事に対して
次のように語られています。
何の技術も持っていないし
何の資格も持っていなくても
なれる職業
だからこそ
「これでいい」
と思っちゃったら
別にそれでも
やっていけると思う。
でも私自身はそれを
「恥」だと思って
常に
「もっと」いいものがないかとか
「もっと」面白いことがないかとか
こうした姿勢こそが
漫画家の皆さんとの
「信頼」に
つながることを体験してきた。
だからこそ
日々の仕事の中でも
様々なこだわりを持たれています。
例えば、
無責任な相槌をうったりせず
ときに
漫画家に対しても
厳しい意見をお伝えする
リアルを求めて
現場の取材も
とにかく徹底して行う
作品を広げるために
取材やコンテストの審査員などの
オファーも
こういう形だったらという
漫画の認知につながるような
条件付きで積極的に受ける
・・・
いい作品を創りたいとの
こうした想いと行動が
漫画家の皆さんの
信頼とモチベーションに
つながっていることが
想像できますね。
漫画家の中には
金城さんのために頑張りたい
と言われる人もいらっしゃるそうです。
小百合さんは2023年に
第一子を出産されたことを
きっかけとして
今後の人生についても
次のように考えているそうです。
これまで
漫画編集者として
自分なりのブレない軸を
築き上げてきた
しかしこうして新しい
生命との出逢いを目の当たりにすると
もっともっと
自分が変わっていきたいと思う。
いっぱい考えて
いっぱい悩んで
自分らしい道を見つけて
また自分らしく
頑張ればいい・・・
自分の生き方とは・・・?
正解の見えない世界に対して
こうして未来に向かって
考え・行動を重ね続ける
小百合さんの姿勢に
とても共感が持てますね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 田淵寛子さん(OKOMUSU 店主) [ビジネスパーソン (女性)]
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私は私…
========
流行の発信地として知られる
パリのマレ地区にあって
いまや
超人気店として
フランス人に大絶賛の
お好み焼き店
「OKOMUSU」の店主
『田淵寛子』
さんの言葉です。
1981年
大阪府大阪市の生まれ
根っからの大阪人で
とにかく明るい性格
周りからの信頼も厚く
大将タイプ
高校卒業と同時に
青山学院大学進学のため
初めて東京へ。
せっかくの大学生
せっかくの東京暮らし
失敗してもかまわん
いろいろやってみよー。
まずは芸能事務所に入り
様々なレッスンを受けるも
将来像が見えず
数か月で辞めることに。
次に見つけたのが
お笑いへの道。
大手事務所の
お笑い部門に合格し
M-1グランプリの予選にも出場
しかし
自分のセンスのなさや
女性芸人の現状などを
知っていくうちに
この道も
辞めることに。
当時、
会計士になることを目指し
勉強していたとき
息抜きで訪れた
講演会で
学生起業の存在を知り
強い衝撃を受けます。
この当時
寛子さんの中で芽生えた
強い感情が
仕掛けられるより
仕掛けるほうになりたい!
ということでした。
そして在学中の
2005年に
有限会社Linkageを設立
ここで出会った方と
入籍するも
残念ながら
いい関係が続かず
結婚式を目前に破局
友人が企画してくれた
本当だったら
結婚するはずだったのに
しなかったパーティ
に友人の知り合いである
多くのフランス人が参加した際に
たまたまふるまった
お好み焼き
が大絶賛され
そうだフランスで
お好み焼き屋をやろうと決意
されています。
とはいえ
お好み焼きのノウハウも
お店の経営ノウハウも
全く持ち得ていないことから
さっそく行動に移します。
将来、お好み焼き屋に
なりたいので
バイトやらせてください
お好み焼き屋の大将に
直談判するも
焼き場に入るのに
3年かかると言われ玉砕
それでもあきらめず
次の手を考えます。
当時オタフクソース社が
行っていた
お好み焼き研修に参加
(6日間コース)
その後3年間
ひたすらお好み焼きを
焼き続け
自身の知識とスキルを磨き
ついにフランスへと渡ります。
フランスで
お好み焼き文化を
浸透させるために
寛子さんが
最も大切にしたことが
冒頭の言葉
私は私
でした。
ややもすると
人はまわりの環境に
寄せていきがちになりますが
寛子さんは
・自分の信念
・自分らしさ
・日本らしさ
にこだわり続けて
いらっしゃいます。
一例をあげると
お好み焼きの味
フランス人好みの
味に寄せるのではなく
本来の日本の
お好み焼きの味にこだわり
提供を重ねています。
ソースは、おたふく
マヨネーズは、キユーピー
お好み焼きの
風味の素晴らしさ
寛子さんの
まわりにこびるのではなく
「自分」を大切にする生き方
この両方が受け入れられて
今につながっているのですね。
流行の発信地として
世界の最高峰の環境に身をおき
自分の軸をぶらさず
お好み焼きの魅力を
発信し続けている
寛子さんのこうしたあり方は
とてもクールですね。
とはいえ
まだまだお好み焼きは
フランス人にとっては
マイナーな食べ物。
だからこそ
一生で一回だけのお好み焼き
だと思って焼く
という寛子さんの言葉から
日々真剣に生きる
エネルギーが伝わってきます。
近年日本でも
昔のようにまわりに
あわせるのではなく
自分らしさ
自分の価値観
を大切にする
風潮が高まっています。
人は人
私は私
これからも
こんな生き方をしてきたいですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 高橋萌さん(パティシエ) [ビジネスパーソン (女性)]
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才能がなくてもいい。
大事なのはやると決めること…
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2年に1度、
フランス・リヨンで開かれる
世界最高峰の
パティシエコンクールにて
日本に
16年ぶりの
優勝をもたらせた
『高橋萌』
さんの言葉です。
萌さんは
1986年千葉県の生まれ
小さいころから
母親の手作りケーキに
親しんだことがきっかけで
パティシエ
の道を目指すようになります。
国内の有名店舗で
修業を積むと
フランスにわたり
本場の技を学び日本へ帰国
インターコンチネンタル
東京ベイを経て
2021年から
東京五反田の超人気店
エキリーブルに
活躍の場を移します。
昔テレビで見た
パティシエコンクールで
準優勝を獲得した
徳永純司さん
(エキリーブルオーナーシェフ)
のもとで
仕事がしたい
私も将来は
世界最高峰のコンクールに出場し
優勝したい
そんな強い想いが
根底にあったそうです。
こうしてみてみると
・どこで働くか
・誰と働くか
つまり自分が身を置く環境が
自身の成長にとって
いかに大切であるかが
伝わってきます。
今の環境に不満や不安を
感じている人がいるとしたら
より良い環境に
身を置くことを
検討してみると
良いかもしれませんね。
世界最高峰の
パティシエコンクールの
大変さを熟知している
徳永さんはもともと
萌さんには
かなり厳しいのではないかと
思っていたそうです。
しかし萌さんとともに
仕事を行う中で
萌さんの持つ素晴らしい
才能に気づくようになります。
それは
努力する才能
継続する才能
萌さん自身も
次のようなことを
口グセとされているようです。
自分に抜きんでた才能はない!
あるのは努力をいとわぬ根気だけ。
芸術的なセンスもないし
得意でもない。
だけどやると決めたらやる。
器用ではないので時間がかかるが
それが私らしさ。
18歳のときに
病気で父親が他界
人生には限りがあることを痛感。
こうして
自分らしく生きていく姿勢
とてもクールですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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