今週の名言 : 小川聡子さん(JR九州クルーズトレイン本部) [ビジネスパーソン (女性)]
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今しかできないことに
チャレンジしたい・・・
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1泊2日で
ひとり65万円から
3泊4日で
最高170万円という
高額コースながら
世界中から
応募が絶えない
豪華寝台列車
JR九州が
社運をかけて投入した
「ななつ星」
の責任者として
活躍されている
『小川聡子』
さんの言葉です。
小川さんは
1970年福岡県の生まれ
その後
福岡にある短大を卒業すると
1990年に
日本航空に入社
国際線の
キャビンアテンダントとして
活躍されていました。
しかしそんな中、
飛行機の中にずっといると
空調も整えられていて
いつが春で
いつが秋で
っていうのが飛んでしまう。
日本が大事にしてきている
四季の変化を
自分の体で体験したい!
そんな想いが
日を追うごとに
強くなっていくと
入社17年目で
日本航空を退職し
自然の中での暮らしを求め
熊本県阿蘇市に移住を決意。
自然だったり
食だったり
繋がりだったり
あったかい風土が
どこへ行っても同じ感じ
まさに
理想の場所でした。
様々なチャレンジを重ねながら
充実した日々を過ごす中
移住後6年が過ぎたころに
聡子さんにとって
大きなニュースが
飛び込んできます。
世界一を掲げた
「ななつ星」
のクルー一期生募集のニュース。
阿蘇のまちで
まだやりたいことが
たくさんあったものの
世界一っていう
列車を作るチャレンジは
「今しかできない」
との想いからチャレンジを決意
そして今に至ります。
「ななつ星」
に乗車されたお客様の
感動ポイントして
単にお金をかけた
豪華な旅ではなく
九州の方々の
温かいおもてなし
と語る方が
とっても多いのが
最大の特徴の1つです。
聡子さん自身が
大好きだという
自然
食
繋がり
温かい風土
・・・
この「ななつ星」の
土台としてしっかりと
活かされているのですね。
阿蘇への移住
ななつ星への挑戦
こうした
今しかできないことへ
チャレンジする姿勢、
とても魅力的ですね。
誰にでもきっとある、
今しかできないこと。
皆さんなら
どのように向き合っていきますか・・・
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 伊堂寺まいさん(ラーメン店「芛堂寺」店主) [ビジネスパーソン (女性)]
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普通はイヤ。
唯一無二で
お客様の心に残ってほしい・・・
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店の看板メニューは、
とろみあるスープで味わう
濃厚な鶏白湯(ぱいたん)
常連客からは、
「といかくおいしい!」
「おいしいしかでてこない!」
とまで絶賛される
至福のラーメン。
行列必至の人気店
「芛堂寺 (いぼうじ)」
の店主
『伊堂寺まい』
さんの言葉です。
まいさんは
和食店を営む
両親の元に生まれ
厨房に立ち続ける
父親の姿を見て育ちます。
高校時代に
お笑いコンビを結成
するなど
笑顔と明るさが
とても魅力的な女性です。
高校を卒業すると
アルバイトをしていた
ミスタードーナツへ
そのまま就職。
やがて店長を
つとめるまでに・・・
しかし
「25歳で自分の店を持ちたい」
という思いが膨らむ中、
つくばらーめん
鬼者語(おにものがたり)の
店主に声をかけられラーメンの道へ。
まいさんの
そのひたむきさが
店主に認められ、
修業わずか半年で
茨城・つくばに
現在の「芛堂寺」を
オープンされています。
日本全国には
約25,000店舗の
ラーメン店が
しのぎを削る厳しい世界
そんな中にあって
普通のラーメン屋で
終わりたくない。
やるからには
お客様から
「芛堂寺」
じゃなきゃダメだ
と言われるほどの
唯一無二の
存在であり続けたい
との想いから
3つのことに
徹底的に
こだわり続けています。
まず1つ目が
何と言っても
鶏白湯
の味へのこだわり。
普通であれば
原料を準備して
ていねいに熱を通して
できあがり
となりますが
まいさんは
こうしてできた
鶏白湯スープを
数日間冷凍させてから
再度過熱して使用される
ほどのこだわりよう。
こうした手間をかけることで
鶏白湯の深みが
ギュッと増すのだそうです。
こうした
こだわりのベースを
使った特徴あるメニュー
「深み鶏(鶏白湯)」
「濃厚つけ蕎麦」
・・・
はもちろんのこと
日々数種類用意している
限定メニューは
いずれも絶品で大人気。
そして2つめが
替え玉など含めた
変わりメニューへの
こだわりです。
多くのお店が
味噌、しょうゆなどの
限られたスープカテゴリーの中で
ネギやチャーシュー、
煮卵などの
限られた食材の工夫を
掛けあわせる中、
まいさんは
独自の発想で
普通のラーメン屋にはない
独創的なメニューを
日々研究し提供されています。
一例をあげてみると
「冷製和出汁~トマトジュレ~」
「トマトのイタリアンつけ蕎麦」
「ピリ辛トマト麺」
「濃厚ジェノベーゼ」
「熟成あん肝味噌仕立て」
「冷製サーモンチャウダー」
「冷製クリーミー檸檬」
・・・
味の志向性が近い
限られたお客様だけではなく
どのような方が
来られても楽しめるように
との強い想いの表れだそうです。
そして3つ目のこだわりが接客。
あえてカウンターのみの
店構えとして
お越しいただける
お客様との対話を
とても大切にされています。
古い業界にありがちな
ラーメン屋はこうあるべきだ!
といった
型にはまる(have to)ことなく
「自分はこうしたい!」
(want to)
という自分のやりたいことを
している日々が
とっても
楽しいと言われています。
これまでの
ご自身の過去を振り返り、
どんな環境でも楽しむ
そんな生きる力が
自身の人生を
豊かにしてくれていると
まぶしい限りの
笑顔で語らています。
我慢するばかりの
人生ではなく
楽しむ人生
こんな視点で
自分の人生を
充実させていく姿
とても 魅力的ですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 土井善晴さん(料理研究家) [その他]
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家庭料理は、
ええかげんでええんです・・・
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日常の食事は
ご飯と具沢山の味噌汁で十分
味噌汁は出汁をとらなくてもいいし
具材には何を入れたっていい
発行部数30万部を超える
ベストセラー
『一汁一菜という提案』
読んで気持ちが楽になった
人生を共にする一冊に出会った
など
今なお多くの人々の
心を揺さぶり続けている
料理研究家
『土井善晴』
さんの言葉です。
土井さんは1957年
偉大な父親のもとに生まれます。
土井さんの父親は、
戦後の日本に「家庭料理」という
ジャンルを確立させると
テレビの普及とともに
有名人に。
その父親が立ち上げた
料理学校も大成功をおさめるなど
土井さんにとって
父親がとてもまぶしい存在でした。
そんな父親の姿を見ながら
ご自身は父親と同じ
家庭料理ではなく
プロの料理人として
生きていきたいという想いを
つのらせ
フランスへの留学後は
名店:吉兆で修業を重ねるなど
着々と
日本を代表する料理人への
道を歩み始めていました。
こうして自分の人生を
切り拓いていく中で
突然父親から
経営が苦しくなった
料理学校を
手伝ってほしいという
依頼が舞い込んできます。
土井さん自身
本音をいうと
プロの料理人として
家庭料理を下にみていたもの
やむなく
料理学校を手伝うことに。
しかしその後も
経営はうまくいかずやがて破綻。
父親も他界。
こんな自分の人生に
悔しさを感じつつも
このままでは終わりたくない。
せっかく家庭料理の世界に
入ったのであれば
他人にはない
自分ならではの家庭料理を
極めていこう!
こう心に誓うと
全国各地の生産者や
家庭の主婦のもとを訪れるなか
やがて自身の中で
とても大事なことに
気づくようになります。
人々の「日常」を支える
かざりけのない「家庭料理」こそが
命の要
家庭料理を下に見ていた
土井さんの気持ちが変わる
瞬間でした。
だからこそ
誰もがもっと気軽に
キッチンにたてる
たやすいレシピの
考案をしていきたい!
最近では
1人暮らしの若者向けの
無料動画配信なども行っており
多くの人に
もっと気軽に料理に
向き合って頂けるよう
さらに活動の幅を
拡げていらっしゃるそうです。
レシピに忠実に創る
単なる予定調和の 料理は
ある意味、 苦しくなってくる。
そもそも料理に失敗はない
作った人の想いが大事
・・・
料理を作る人の気持ち
料理を作るきっかけ
こうした
自分の想いをベースに
世の中の人々に寄り添った
専門性の深めかた
とても
共感が持てますね・・・
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 斎藤立さん(柔道家) [スポーツ (男性)]
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地道にコツコツと・・・
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身長191cm
体重130kg
恵まれた体格と裏腹に
柔軟でしなやかな体を活かした
切れ味鋭い
技で勝負を繰り広げ
2022年4月の
柔道全日本選手権では
わずか20歳の若さで
見事日本の頂点にたった
『斎藤立』
さんの言葉です。
立さんは
2002年大阪府の生まれ。
立さんの父親は
知る人ぞ知る
日本柔道界の
スーパースター
斎藤仁さん。
84年ロス
88年ソウル
2度のオリンピックで
2連覇(金メダル)されています。
そんな父親にあこがれて
柔道を始めるも
決して順風満帆な
道のりではありませんでした。
負けが続く
ケガが重なり
思うように練習できない
様々な苦悩を
乗り越えて今があります。
父親の仁さんは
立さんが中1のときに
わずか54歳の若さで
癌のために亡くなられています。
自身のがんと闘いながらも
息子の立さんに
柔道の指導を行ったり
亡くなる前日も
自分の看病は必要ないから
練習に行け
と立さんが
強くなることに
愛情を注いでいらっしゃいました。
冒頭の言葉
「地道にコツコツと」
のその意味合いの
深さが伝わってきます。
最終的には
「自分はこれだけやったんだ」
ど自信をもって言える状態で
大会にのぞめることが
立さんにとっての
「地道にコツコツと」
と言われています。
メディアからは
父親と比較する
コメントを求められたり
期待をかけられたり
することも少なくありませんが
立さんご自身は
「父親を目標にするのではなく
1つひとつの大会で勝つことが目標」
と言われています。
大きな夢や目標に向かって
まずは目の前の目標達成のために
地道にコツコツと
向き合う姿に共感が持てますね。
体格の良さではなく
体の柔らかさ
技の切れ味
で勝負する立さんは
練習後の柔道着は
自分できちんとたたんでおく
食事は決して
食べ過ぎることなく
バランスよく食べる
など
柔道以外のところでも
人としてのあり方を
大切にされているそうです。
こんな立さんの
今後の活躍に 期待したいですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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