今週の名言 : 緒方陽一さん(蜂蜜ハンター) [ビジネスパーソン (男性)]
スポンサードリンク================
自分がやりたいこと
自分にしかできないこと…
================
これまで
感じたことのないほどの
花の香
口の中で
パンッとはじけるような
エネルギー
実力派の
シェフたちが口をそろえて
一度使い始めたら
やめられない
というほどの
高い評価を得ている
蜂蜜の
収穫・加工販売を
行っている
『緒方陽一』
さんの言葉です。
1980年祖父・父親と
代々、歯科医として活躍する
家庭に生まれます。
幼少の頃から
深海魚や虫、架空動物などの
専門図鑑を見ながら
絵を描くなど
が大好きな子供で
将来は画家になることを
夢見ていたそうです。
その後、
両親の希望通り
日本大学歯学部に入学。
しかしどうしても
画家になる夢をすてきれず
1年間大学を休学し
念願だったパリを訪れて
日々美術館巡り。
その後
帰国すると
画家になるために
両親の大反対を押し切って
4年生の時に大学を中退。
親にしかれた
レールを歩むのではなく
自分でしいた
レールを歩んでいきたいとの
想いからでした。
その後
あるきっかけがあり
カンボジアを訪れた際に
運命的に
出会ったのが
野生のハチミツでした。
現地の人たちに
食べさせてもらったときに
脳天を突き抜ける衝撃を
受けたと言われています。
車では入ることが
できないほどの
カンボジアの
奥地に住む部落の方々と山に入り
木の枝になどに育った
天然の蜂の巣を見つけると
危険と隣り合わせの中
悪戦苦闘しながら
蜂の巣を捕獲します。
ここで大切にしていることは
同じエリアでの
蜂の巣を
乱獲しないということ。
これは
山の生態系を守るため。
部落の人たちには
日本市場という
市場の仲立ちをして
長期間にわたって
金銭をもたらし続けること。
待っている日本の
料理人たちには
毎年
最高の蜂蜜を届け続けること。
そう
「自分にしかできない」
活動を通して
山も部落も日本のシェフたちも
サステナブル
であり続けることを
大切にされています。
歯科医という道を捨てて
自分しかできない道
自分がやりたい道
に邁進し続ける
緒方さんの生き方
とても共感できますね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
スポンサードリンク
今週の名言 : 佐々木美和さん(チャイルド・ライフ・スペシャリスト) [その他]
スポンサードリンク==================
「受け入れる」
という生き方を…
==================
まだ日本には
50名ほどしかいない
チャイルドライフスペシャリスト
・治療の痛みや苦痛への不安
・手術への恐怖
・両親に会えない寂しさ
・・・
入院中の子供たちが感じる
ストレスを軽減して
少しでも安心して
病気や治療に
向き合っていけるよう
心理社会的ケアを
提供する専門職。
こうした
チャイルドライフスペシャリスト
の道を日本でいち早く切り開き
子供たちやそのご両親
さらには病院の先生方からも
絶大なる信頼を得ている
『佐々木美和』
さんの言葉です。
早すぎる最愛の母との別れ
それは美和さんが19歳の時でした。
大変だね
かわいそうだね
・・・
周りの方々の
思いやりや優しさを
素直に受け入れられない自分
こんな日々が続き
1年がたったころ
ある1冊の本との出会いが
今の道に歩むきっかけとなります。
「チャイルド・ファイフの世界」
そこでは
がんや難病と闘う子供たちとの
向きあい方が問われていました。
その中で紹介されていた
お子さんを亡くされた
お母さんの言葉
悲しいは
悲しいんだけれども
みんなで
この子の人生を祝ってあげてください
時間が長くても短くても
やっぱりその人の人生は
すばらしくて
誰もが祝福されていいもの。
これがきっかけとなり
アメリカの大学院にわたり
資格の取得をされています。
留学中に
英語が得意ではなく
何とか上手にならなくちゃと
あせっていた頃に頂いた
アドバイス
もっと
今の自分を受け入れなさい
そして
あなたにはあなたにしかできない
ことがきっとあるはずよ。
アメリカでの実習で
子供たちに
自分は英語が苦手だから
教えてねと投げかけると
一気に子供たちとの
距離が縮まり
他の実習生には
話さないようなことも
美和さんには
話してくれるようになりました。
日本で仕事を続ける中でも
このように
自分自身も周りの人のことも
「受け入れること」
の大切さを
子供たちから
学び続けていると
言われています。
自分には
もう治る治療法がないと
医師から伝えられた
男子高校生は
こうした事実を
受け止めそして受け入れて
生き延びることは
あきらめたけれど
生きることはあきらめない
と宣言し
その後、
子供たちが
病院の中でも授業が受けられるよう
政府に働きかけ
これがきっかけとなり
院内授業の制度が
充実していったそうです。
その他にも
余命わずかの中学生は
こっそりとしたためた
ビデオレターで
次のようなメッセージを
両親に発信されています。
健康に気を付けて
「大事」に生きてください。
僕が生きたかった分まで
しっかりと生きてください。
この「大事」には
お父さんお母さんらしく
ありのままの自分を 受け入れて
「当たり前」
の日常を過ごしていってほしい
との想いが込められています。
最後に
美和さんがプロの
チャイルド・ライフ・スペシャリスト
として
大切にされている
あり方をご紹介して
終わりにしたいと思います。
日常のありのままの
尊さやいとおしさを知っている人
それを大切に
積み重ねられる人
隣で一緒に楽しめる人
人生で何が大切か
私たちにそっと
語りかけて頂いているようですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
スポンサードリンク
今週の名言 : 永山裕子さん(建築家) [ビジネスパーソン (女性)]
スポンサードリンク=============
どうせなら
ワクワクすることを
やろうよ…
=============
ルイ・ヴィトン京都大丸店の外装
東急歌舞伎町タワー
など
数多くの代表作を手掛け
光を巧みにあやつるセンスに
高い評価が集まる
建築家
『永山裕子』
さんの言葉です。
永山さんは
1975年東京生まれ。
建築家って
かっこいい!
こんな想いから
高校生の頃に
建築家を目指すことを決心。
大学卒業後に就職した
設計事務所での
「スタッフは4年で卒業する」
というルールのもと、
朝から晩まで
必死になって建築を学び
26歳で独立、
自らの事務所を設立されています。
現在スタッフは16名。
そのほとんどが
永山さんのもとで
仕事がしたい!
と永山さんに
あこがれて
入ってきたメンバーばかり。
事務所の雰囲気が良すぎ!
建築の考え方に強く共感!
クールでかっこいい!
こうして
「想いが1つ」になった事務所から
生み出される建築は
必然的に
素晴らしいものに
なっていくのが
分かりますね。
こんな永山さんが
これまでの経験を通して
日々大切にしていることを
ここでいくつか
ご紹介してみましょう。
◇プロの世界で通用する自分の個性
◇建築に対するブレない考え方
◇仲間に力を発揮してもらえる人間力
◇プロの世界で通用する自分の個性
独立して事務所設立後に
コンペを勝ち取り手がけたのが
ルイ・ヴィトン京都大丸店の外装でした。
このコンペでの勝因こそが
その後の永山さんの代名詞ともなる
光を巧みに扱うセンスでした。
光のあたる角度で
見え方が変わる偏光板を用いた
永山さんならではの個性です。
◇建築に対するブレない考え方
建築物を立てることが
ゴールではなく
建築を通して
人々に幸せになってもらうことを
ゴールに定めています。
例えば、
JINSの創業地に建てた
JINS PARK 前橋
当時ご自身が
小さな子供を
育てながらの背景もあり
お母さんに優しい設計に
拘りました。
お母さんが
幸せになると家庭も幸せになる
幸せな家庭がたくさんあると
その地域ごと幸せになる
そのコンセプトと
魅力的な設計が高く評価され
世界三大デザイン賞の1つ、
iF Design Award 2023
を受賞されています。
たとえどんな仕事であっても
日々仕事を行う中で
ただ単純に作業として行うのか
それとも
大きな「目的」をもって行うのかによって
意識や行動にも違いが生まれてきますね。
◇仲間に力を発揮してもらえる人間力
近年、
従業員一人ひとりの
価値観や個性を
存分に発揮していただき
創造性や生産性を
高めていくために
従業員エンゲージメント
に注目した経営活動が
注目を集めるように
なってきています。
こうした活動を
うまくいかせるためには
リーダー自身の人間力が
欠かせません。
従業員の声に耳を傾け
従業員が気持ちよく主体的に
働ける環境を整えるなど
何年も前から
こうした従業員との向き合い方を
されてきたのですね。
お客様に喜んで
頂くためには
事務所のメンバーが
主体的にワクワクしながら
仕事に向き合うことが
いかに大切であるかが
伝わってきます。
一人目のお子さんを
出産した直後には
仕事をこのまま続けるのか
悩んだ時期も
あったそうです。
今、当時のことを
振り返り
自分の可能性を
あきらめなくてよかった
としみじみと
語られています。
2025年大阪万博では
2つのパビリオンを
任されています。
1つは
ファンタジックな
世界を表現する
パナソニック館
そしてもう1つは
ウーマンズパビリオン
としての日本館
ここでは
2020年ドバイ万博で
日本館を建築した際に使った
資材をリユースして
設計するそうです。
サステナブルを地で行く
知恵と工夫が生かされているのを
楽しめそうですね。
永山さんのように
基礎を土台に
仕事での個性を磨くこと
人としての
あり方や考え方を磨くこと
私たちも
大切にしていきたいですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
スポンサードリンク
今週の名言 : 清水滋人さん(摘草料理人) [その他]
スポンサードリンク===========
残りの人生を
どう燃やして
生きていくか…
===========
岐阜県山県市。
人口はわずか63人
まるで絵本にでてきそうな
ひなびた集落
ここで
都会では決して味わえない
里山の滋味を堪能できると評判で
全国から
美食家や料理人などが訪れ
1年先まで
予約でうまっているという
人気料理店
摘草料理「かたつむり」で
食材の調達・調理を行う料理人
『清水滋人』
さんの言葉です。
清水さんは
1955年
岐阜県山県市の生まれ
幼少の頃は山菜取りや
川魚とたわむれる日々
18歳になると
職をもとめて
山県市から出ていくことに。
しかし
なかなか仕事が定着せず
職を転々とします。
さらには
自身で立ち上げた事業にも失敗
長い間
暗いトンネルの中を
歩み続けているような
人生でした。
42歳になると
生まれ育った山県市に戻り
山菜やきのこなどを
料理店に卸す仕事を始めます。
地元の山々を歩き回り
自分だけしか知らない
山菜やキノコの スポットを
見つけ出していきます。
キノコにいたっては
80種類もの
自生のキノコを収穫
これらのすべての
キノコに関する知識も
半端なく深いそうです。
こんなにおいしい食材
見たことがない
もう他のところの
食材は扱えない
食材を卸している
お店からの信頼を勝ち取り
ようやく人生が好転し始めます。
ちょうど時を同じくして
現在のパートナーである
岩田芙美代さんとの
出逢いもありました。
岩田さんは
将来は信頼のおける食材を使って
料理を提供したいとの思いを抱き
見習いの
料理人をされていました。
清水さんが
いつも卸してくれる
食材に驚きと絶大なる信頼を抱き
こうした食材を使って
お店をやりたいと
清水さんに
持ちかけたのがきっかけで
摘草料理「かたつむり」が
スタートしています。
人生にはぐれかけた清水さんと
夢を追いかける岩田さんの
新たなスタート。
お昼と夜にそれぞれ8名限定
(計16人)
1年先まで予約でいっぱい。
お店を訪れた
名だたるシェフの皆さんも
感動して帰られるそうです。
清水さんは
夜明け前に山々に入り
自生のキノコや山菜を収穫
ハンターたちと連携して
熊肉、カモ肉などを調達
こうして頂いた
自然の恵みを
ていねいに調理していきます。
2022年
突然お店で倒れ
救急搬送されたものの
なんとか
一命をとりとめています。
そんな今でも
毎朝山に入り
秘密の場所で
自生の食材をとるのが
楽しく仕方がない
と言います。
自分が楽しみながら
お客様にも喜んで頂きながら
残りの人生
どう燃やして
生きていくか
清水さんの
想いがストレートに
伝わってきます。
ここまで
人生の前半は思うように
いかなかったものの
めげずに
前を向いて歩み続けたからこそ
こうして
今の自分らしい生き方に
つながっていることが
伝わってきます。。
人生の中ではどんな人にも
大小様々な紆余曲折が
ありますが
自分を信じて
歩み続けていきたいですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
スポンサードリンク