今週の名言 : 峰竜太さん(俳優) [芸能人 (男性)]
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実るほど
頭の下がる稲穂かな…
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その温厚な人柄や
軽快なトークが親しまれ
アッコにおまかせ
出没!アド街ック天国
など
その時代を
象徴する番組への
出演を重ねる一方で
公式ファンクラブの名誉会員
に任命されるほど
中日ドラゴンズの
熱烈なファンとしても
知られる
『峰竜太』
さんの言葉です。
峰さんは
1952年長野県の生まれ
本当は2月29日生まれですが
4年に1度しか
誕生日がこないのは
かわいそうと
両親が1日ずらして
出生届を提出したため
戸籍上は
3月1日生まれと
なっているそうです(笑)
そんな峰さんの
お母さまは
もともと
峰さんの父親の兄と
結婚されていたそうです。
しかし第一子を出産後
わずか13日目に
峰さんの父の兄である夫が急死
当時中国で仕事をされていた
峰さんの父が
急遽日本に帰国して
峰さんのお母さまと
結婚されることに
なったのだそうです。
しかし
結婚後わずか一か月で
今度は
再婚したばかりの夫(峰さんの父)
のもとに
戦争の
召集令状が届き
2年の月日を経て
終戦を迎え
ようやく
一緒に暮らせるように
なりました。
その後、
ご両親は
酒屋を営みながら
大家族の世話もするなど
年中休みもなく
朝も夜も働きづくめの
生活だったそうです。
そんなご両親が
常に大切にされており
峰さんを含めて
子供たちに教えてきたことが
次の3つでした。
「謙虚」であること
「温厚」であること
「一生懸命」働くこと
両親のこうした教えに
感謝の気持ちを込めた
エピソードが
いくつかあります。
峰竜太という
名前の由来は
峰:赤石連峰
竜:天竜川
太:太平洋
故郷の地形に想いを込めて
広い世界に羽ばたいていく
という願いを
表現されています。
また独立した
事務所の名前は
オフィスさかや
実家の酒屋への
敬意を表していることが
伝わってきます。
芸能界で活躍される
峰さんに対して
生前は
よく手紙を書かれていたという
峰さんのお母さん
野菜を
きちんと食べなさい
あいさつを
きちんとしなさい
・・・
そしてその手紙の最後に
毎回記されていたのが
冒頭の言葉でした。
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実るほど
頭の下がる稲穂かな…
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母親の子を思う気持ち
その気持ちに応えようとする
峰さんの日々のあり方
人生の中で
何が本当に大切かが
伝わってきますね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 青木孝尚さん(南紀白浜ファーム) [その他]
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第二の人生、
南紀白浜を
コーヒーで盛り上げたい…
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コーヒーの栽培といえば
赤道を挟む地域が中心
赤道とはかけ離れた日本では
前例が少ないにも関わらず
ハウスでの温度管理
無農薬の栽培
など
第二の人生として
ゼロからのチャレンジの農園
南紀白浜ファーム(HP)
を営む
『青木孝尚』
さんの言葉です。
(南紀白浜コーヒ)
青木さんは
1964年白浜の生まれ
高校時代には
甲子園を目指して
野球に没頭
やると決めたことに
一直線になるタイプでした。
24歳で
地元に建設会社を設立
60歳が近づくと
その会社を子供に託し
第二の人生として
昔からやってみたいと
考えていたのが農業でした。
どんな農業をやろうかと
模索していた時に
たまたま訪れた
岡山県の農業見学会で
日本でもコーヒー農園が
やれると知ったのがきっかけで
南紀白浜で
コーヒー農園に
チャレンジすることを決意
自分が生まれ育った
南紀白浜に恩返しがしたい
お金のために
やるのではなく
南紀白浜を
コーヒーの町として盛り上げ
コーヒー栽培が
きちんとシステムとして
確立することを目指したい
との想いでした。
当時
シングルファーザーだった
青木さんは
同じく当時
シングルマザーだった
奥様と結婚し
今は
お二人で南紀白浜ファームを
営まれています。
過疎化とともに
南紀白浜には
耕作放棄地がたくさんあり
コーヒーで
こうした耕作放棄地を
復活させたい
という想いも
持たれているようです。
かつてミカン畑だった
耕作放棄地に
4棟の栽培用のハウスを建て
自ら重機を操って整備。
4年前から
コーヒーの栽培を始めています。
そして青木さんの
コーヒー栽培でのこだわりは
温度管理を徹底すること
農薬をほとんど使わないので
害虫駆除もすべて自分でやること
さらに
こうして育った
コーヒーも
おいしく熟した豆だけを
すべて手摘みで
収穫されています。
こうした
コーヒーづくりに対する
想いやストーリー
そしてその風味に共感する
コーヒーの専門家などが
わざわざ
買い付けに
こられることもあるそうです。
もっと多くの人に
知って欲しいと
農園の屋上にカフェを整え
つみたてのコーヒーを
試飲して頂いたり
町の応援も頂きながら
イベントなども企画し
少しずつですが
その認知度が高まりつつあります。
ここにきて
青木さんにとって
とても嬉しいことがありました。
それは
青木さんの想いと活動に共感し
南紀白浜ファームで
働きながら
コーヒーづくりを
学んできた
地元の青年が
自身のファームを
立ち上げられたそうです。
青木さんの
第二の人生が
ゆっくりと
前に動き始めているのが
伝わってきますね。
自分の本当にやりたいこと
に情熱を傾けながら
明るく楽しく粘り強く
歩み続ける
こうした青木さんのあり方
とっても魅力的ですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 仲川晃平さん(医誠会 国際総合病院 救急処置室) [その他]
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もし自分の家族が
この病院の患者だとしたら…
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大阪市北区に
2023年10月開業した
『医誠会 国際総合病院』。
手術支援ロボット
「ダヴィンチ」を
導入した手術室に、
廊下でもロボットが
活躍するという、
最先端病院です。
この病院の
「救急処置室」にて
真の「患者ファースト」の
医師のあり方が
患者はもちろんのこと
医師・看護師・救急救命士といった
仲間たちからも
高い評価と尊敬を
集め続けている
『仲川晃平』
さんの言葉です。
大学受験に失敗した
直後のこと
たまたま
テレビドラマ
「白い巨塔」を観て
医師を目指すことを決意。
特にドラマの
キーワードであった
「患者ファースト」
の医師になることを
決意されたそうです。
そしてその決意通り
山形大学医学部を卒業後
循環器系の医師として
活躍をされていましたが
患者さんのために
様々なスキルを習得したいと
隙間時間を活用して
訓練人形を相手に
1人で電気ショックの
練習をしている姿の写真を
その病院の季刊誌で
目にした方から
一緒に
心肺蘇生の指導活動を
やらないかとの誘いを
受けたことがきっかけで
医師・救命救急士・看護師の
1チームで
救急医療の技能コンテストにも
参加するようになっていきます。
その後も35歳の時には
医師として
もっと成長したい
との想いから
アメリカ留学を決断
ここでの経験も
今の活動に大きな影響を
及ぼしています。
収入格差によって
受けることのできる医療の違い
人種の違いによって
受けることのできる医療の違い
医療の世界でも
こうした差別が普通にあることに
愕然とします。
その一方で
英語を話すこともできない
自分に対して
優しく接してくれる
病院のスタッフ
心から感謝してくれる
患者の皆様に
どれだけ救われたことか。
こうした
これまでの様々な経験と
その時々で感じてきた想いを
大切に
「患者ファースト」
を本気で実現する姿勢を
貫き続けていらっしゃいます。
そして
この「患者ファースト」を
実現するために
仲川さんが
いつも心に刻みながら
活動しててる
キーワードが
冒頭の言葉
もしも自分の家族が
この病院の患者だったら
どういう病院でありたいか
どういう風に接するか
こうして
自分のミッションである
患者ファースト
の実現に向けて
日々歩み続ける
仲川さんのありかた
とても魅力的ですね。
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