今週の名言 : 井本陽久さん(数学教師) [ビジネスパーソン (男性)]
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そのままで、
ダメなはずがない!
============
生徒に魔法をかける
まるで奇跡のよう
子どもたちの目がキラキラと輝き
考える力がグングン伸びる
教科書を全く使わず、
ノートも一切取らせない
そんな型破りな授業が
評判を呼び
全国から視察が殺到する
注目のカリスマ教師
『井本陽久』
さんの言葉です。
井本さんが教師として
働く職場は
東大合格者数が
毎年全国トップ10に
入り続けている
神奈川県の進学校
そんな高校にありながら
井本さんは
生徒の学力や才能には
まったく興味を示しません。
もっとストレートに言うと
勉強なんてできなくていい
とまで言い切ります。
それではいったい
井本さんの教師としての
軸はどんなところに
あるのでしょうか?
それは、
ひと言でいうと
できるorできないではなく
今、考えているかいないか
そもそも授業で
教科書を使わないのはなぜか?
ノートをとらせないのはなぜか?
それは
先生から生徒に対して
黒板で教えるような
いわゆる一般的な授業では
生徒は一生懸命にノートに
書き写すだけ。
その時間は、
生徒は、ほとんど何も考えていない。
社会に出ると
答えは1つとは限りません。
ときには答えのない場面に
遭遇することもあります。
そんなときに大切なのが
自分で考えて、歩んでいくこと。
世間の価値観ではなく
自分の価値観にそって
自分で考えて
歩んでいくこと。
決して答えは 1つではない。
だからこそ
普段の数学の授業では
生徒たちに
1つの問いをなげかけて
答えも言わないまま終えるような
スタイルも取られています。
このような授業スタイルを
行う中で大切にされているのが
生徒たちを
「プルっとさせる」
こと。
生徒達たちが
思わず夢中になって
時がたつのも
忘れてしまうような
そんな問題を創ったり
授業で生徒の意識を高めたり
すること
つまり教師の役割は
教えることではなく
考える力をつけてもらうこと。
ところでなぜ
井本さんは
このような
授業スタイルを
貫かれているのでしょうか。
それは
実の兄の存在と
その兄に向き合う
母親のあり方が
大きく影響しています。
兄は幼少のころから
体に障害があり
歩くことができませんでした。
そんな兄の姿を見た
世間の人々の反応は、
「可哀そうな子」
しかし
母親も兄も
そんな
世間の人々の反応とは
裏腹で
今日は立つことができた
今日は1歩あるくことができた
今日はこんな楽しいことがあった
…
まさに、
明るく、
前向きに、
楽しく、
生きている姿を見て
世間の価値観って
全てが正しいわけではないんだな
こんな思いが
井本さんの中に
醸成されていきます。
そのような視点で
生徒たちを見たときに
学校の成績なんて
大人たちが勝手に決めた
世間の価値観の1つにしかすぎない。
あまり意味のない
価値観で生徒たちを
苦しめるのはやめよう。
生徒たちの目線で
生徒たちを輝かせてあげたい。
どんな生徒にも
キラキラと輝く
素敵な部分がたくさんある。
子どもたちを信じて
その分を伸ばしてあげたい。
こんな思いから
今のような
スタイルに行き着いたのだとか。
週に1度
認知症の母親に会いに行くと
当時、
兄をどんな思いで育てていたのかを
聞くようにされているのだとか。
無償の愛情
子育ては楽しかった
子どもを信じて
…
一つ一つの言葉が
井本さんの仕事の原点と
なっています。
そんな井本さんは
これまで培ってきた
教師としての
知識・スキル・経験を活かして
学習塾での授業
児童養護施設での授業
も行っていらっしゃいます。
不登校の生徒
両親の顔も思い出せない子供
世間の価値観から見たら
可哀そうな生徒・子どもたち
それでもそれは
世間の価値観
自分で考える力を軸にした
井本さんの授業では
生徒・子どもたちは
キラキラ輝きながら
とにかく考え続けています。
こんな井本さんが
プロの教師として
大切にされていること、
それは、
今の君も、
これまでの君の人生も、
全部OK!大丈夫!
って思ってあげられること。
素晴らしいですね!
さて、
皆さんはいかがでしょうか?
これまでの自分
今の自分
不満や不安を抱いていませんか?
世間体を気にして
自分にダメ出しをしていませんか?
世間は世間
自分は自分
あなたも
井本さんのように
自分を信じて
自分で考えて
自分の人生を歩んでいきませんか?
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今週の名言 : 米田肇さん(料理人) [ビジネスパーソン (男性)]
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人とは違う、
道に行く!
=========
開業からわずか1年5か月、
世界最速で大手ガイドブックの
三つ星に輝いた
レストランHAJIMEの
オーナーシェフ
『米田肇』
さんの言葉です。
米田さんは
1972年大阪府の生まれ
幼少の頃は
極度のあがり症で
自分の自己紹介すらできず
そんな性格が災いして
毎日いじめられる日々
「イヤだよ~」「辛いな~」
と思うことが多い中
いつか
きっといいことがある
という思いにさせてくれた瞬間が
2つあったといいます。
1つは、
自宅近くの裏山の自然
季節の花々や昆虫の鳴き声
流れる空気や青空
一人で自然と触れ合っていると
心が落ち着いたといいます。
そしてもう1つが、
家での食事
旬のものを家族で
食卓を囲んで食べている
瞬間の心の落ち着き
そんなときに
ふとテレビで放映されていた
料理人のカッコよさにひかれて
将来は
料理人になりたいという
思いが膨らんでいきました。
ところが
高校卒業のタイミングで
両親の強い反対を受けて
料理人ではなく
システムエンジニアへの道を
歩むことに。
それでもやはり
料理人の夢をあきらめられなかった
米田さんは
25歳のときに
勤めていた会社を退職し
料理人の道へと進んでいきます。
しかし料理人の世界は
想像以上に厳しいものでした。
スピードについていけず
料理をこぼし
皿をわり
毎日怒鳴られる日々
それでも自分の選んだ道
自分のやりたかった仕事
歯を食いしばり
がむしゃらに頑張り続ける中で
次第に実力もついていきます。
そしてさらに実力を磨きたいと
今度はフランスで修業を重ね
35歳のときに
ついに自分の店を大阪にオープン
その後も徹底して
三つ星の評価を得ている
レストランに出かけては
自分の店に足りないものの
研究を積み重ねた結果が
開業わずか1年5か月での
三つ星獲得につながっています。
しかし米田さんにとって
本当の苦しみはここからでした。
自分がやってきたことは
結局のところ他の店のコピー
そして他のシェフのような
感性やスピードもない
感動を呼ぶような
メニューも浮かんでこない
このままではこの先
お客様に新しい価値など
提供できない
そんな苦しみもがく日々が
続く中で
突然ふと浮かんできたのが
幼少の頃に自分の心を
和ませてくれた
裏山の自然でした。
自分の人生の中で
一番美しいと感じた
あの感動を
自分の料理に乗せていこう
そして自分の食で
お客様に希望や感動を与えよう。
その後は
システムエンジニアだった
自分らしさを活かして
1つひとつの食材をどのように
調理したらよいかの研究を
徹底的に行い
従来の料理人の常識を
覆すような斬新な調理方法で
世界中から訪れるお客様を
喜ばせています。
レストランHAJIMEでは
ディナーコースのみの営業
このコースで使われる食材は
実に400種類にも及びます。
その1つひとつの食材の
分量、大きさ、加熱温度など
0.1の単位でこだわることで
素材の味を最大限引きだしています。
他のシェフにはできない
従来の常識では考えられない
まさに
米田さん流の作り方
米田さん流のコンセプト
米田さん流のメニュー
こうして自分らしく生きる
米田さんの姿勢は
本当に素晴らしいですね。
さて皆さんはいかがでしょうか?
周りはこうだから私も…
普通はこうだから私も…
こんな意識が頭の大半を
占めたりしていませんか。
これは言葉を変えると
Have to
人は誰でも
その人らしい、
個性をもっています
その人らしい、
ユニークさをもっています
そんな
自分らしさを活かして
自分らしい人生を
歩んでいきませんか。
これは言葉を変えると
Want to
そうまさに
米田さんのように
未来の輝いた自分に出逢えるよう
自分らしく生きていきましょう。
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タグ:三つ星
今週の名言 : 竹本宗一郎さん(ナイトカメラマン) [ビジネスパーソン (男性)]
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見たい!
と思えば、見える。
============
夜に特化した
カメラマンとして
天文
宇宙
自然科学
など
それぞれの
特殊撮影が求められる
分野において
高い評価と信頼で
活躍を続ける
『竹本宗一郎』
さんの言葉です。
1968年
東京都に生まれた
竹本さんは
少年の頃
「天体観測」を口実に
夜遊びをしている中で
偶然ホタルに遭遇。
この瞬間から
闇の奥にある
美の存在
を意識するようになります。
その後、
芸術大学で本格的に
映像を学ぶと
最大手の
プラネタリウムメーカーに
入社を果たすものの
自分のココロの中に
ある変化が生じてきます。
プラネタリウムのような
人工的に作ったものではなく
自然そのものを
追いかけていきたい
自分が
本来やりたかったことを
やりたい
こんな強い思いから
会社を退職して
ご自身で会社を立ち上げます。
自分の活躍したい領域を
ナイト(暗闇)に絞り込み
そこでどれだけ
自分自身をとがらせて
いけるのか
そんな日々を
積み重ねていきます。
カメラメーカーと共同で
高感度カメラの開発
詳細な天気図を読みこなし
撮影ポイントの
天候や雲の発生の有無を予測
撮影した画像を
特殊機器を使いこなして
さらに綺麗に仕上げる
様々な試行錯誤の
積み重ねがあって初めて
今の竹本さんが
あることが分かります。
そんな竹本さんの原点は
やはり自分の想い
自分はこんなことを
やりたいんだとという
想いを大切にされていること。
今でも
時間を見つけては
夜の東京湾に出かけていき
ある映像をとることを
狙い続けています。
それは綺麗な星空の中を
悠然と飛ぶ渡り鳥の姿
周りからは
普通に考えて
そんな映像
撮れるはずないじゃないか
と言われ続けるも
竹本さんは
決してそんな周りの言葉を
信じません。
そんなことをいう人は
所詮自分で
やったことがない人たち
結局、
見えないと思えば、見えない
見えると思えば、見える
ただそれだけ…
自分を信じて
前を歩み続ける竹本さんは
とても素敵ですね。
さて皆さんはいかがでしょうか?
私はこれをやりたい!
こんな思いを抱いていますか?
自分のやりたいがあるにも
関わらず
不安を抱いたり
二の足を踏んだりしていませんか。
悩んだり不安を感じるくらいなら
竹本さんのように
自分を信じて
自分のやりたいに
本気で挑戦していきませんか?
きっとあなたの不安も
吹き飛んでいくことでしょう!
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今週の名言 : 柴野大造さん(ジェラート職人) [ビジネスパーソン (男性)]
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弱さに向き合い
強くなる!
===========
「感動」
にこだわるジェラートに
魅了された人々が
日本全国から集まる店
「マルガージェラート」
のジェラート職人であり
イタリアで開催された
ジェラート界で最も権威のある
コンクールで
見事、
世界一の座を手にした
経験を持たれている
『柴野大造』
さんの言葉です。
柴野さんは
牧場を経営する両親のもと
石川県に生まれます。
子どものころから
来る日も来る日も
牛糞のしまつや
牛の世話ばかり
行きたいところにも
まったく連れて行ってもらえず
あげくの果てに
両親の借金は増えるばかり。
正直こんな生活から
逃げ出したい。
こんな思いが
大造さんの心の中に
醸成されていきます。
将来は牧場を継ぐからと
ウソの理由を並べて
東京の大学にいくやいなや
解放感もあり遊び続ける日々
やがて大学を卒業して
実家に戻ってみると
借金はすでに
数千万円にまで増えていました。
それでも
牧場の仕事から逃げたかった
大造さんは
さらに800万の借金をして
牧場の一角で
ジェラート店を始めることに。
しかし
素人同然に始めた店は
繁盛することはなく
さらに借金が
増えていくことに。
そんな時に
父親から牧場をたたむという
話を聞いたときに
父親がどんな思いで
これまで牧場経営に
こだわってきたのか
一日も休むことなく
最後まで情熱を燃やしてきた
父親の寂しそうな背中をみると
これまでの
自分の生き方に対して
猛烈に恥ずかしさを
感じるようになります。
自分を変えよう!
自分が家族を支えよう!
さらに借金を重ね
ジェラートの本場イタリアに
何度も足を運ぶ中で
大造さんの
ジェラートに対する
本気の情熱を感じた
本場の著名な
ジェラート職人が
大造さんに
惜しげもなく
自分のスキルやレシピを
伝授していきます。
自分を変えよう!
と心に決めて
考動を変えた日から
少しずつ大造さんを
取り巻く環境が変わり
やがて世界を代表する
ジェラート職人へと
押し上げてくれました。
そんな大造さんが
常に自分に
言い聞かせていること
それは、
自分は天才じゃない。
ダメな自分
弱い自分
が内在している。
だからこそ
そんな自分に打ち勝って
本気で向き合わなければ
お客さんに感動なんか
与えることはできない。
人としての自分のあり方
こそジェラートで感動を
与えることができるか
どうかが決まる。
感動にこだわる大造さんが
常々弟子たちに
伝えていることが あります。
それは、
知識やテクニックだけでは
人に感動は与えられない。
人に感動を与えるためには
知識やテクニックはもちろんのこと
心やあり方こそが大事。
自分の愛する人をイメージして
この人に喜んで欲しいと
思いながら
ジェラートをつくること
ジェラートに活用する
セロリやイチゴなど
地元素材の
生産者のこだわりや表情
土の香りや畑の景色、においなど
これらをきちんと
ストーリーにして
ジュラ―トをつくること
さて皆さんは
いかがでしょうか?
知識や資格さえあれば
世の中で成功できる
と勘違いしている人は
いませんでしょうか?
知識や技術や
もちろん大切な要素ですが
それだけでは お客さんに
感動を与えることは
難しいかもしれません。
そう大造さんのように
知識やスキルに
人としての魅力や想いを
のせることで
あなたらしい充実した人生を
歩んでいきませんか。
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タグ:ジェラート
今週の名言 : 植野広生さん(雑誌編集長) [ビジネスパーソン (男性)]
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覚悟!
======
電子書籍などの台頭により
出版不況と言われる
現代において
他の雑誌の追随をゆるさない
不動の人気を誇る
食の専門誌
「danchu」
編集長
『植野広生』
さんの言葉です。
「danchu」は
男子厨房に入ろう
から取ったユニークな名前だが
食をテーマにこだわりを持って
追求する情報誌として
一般読者だけでなく
料理人たちからも
絶大な支持を受けています。
そんな植野さんが
編集長として
最も大事に
していること
それは、『覚悟』
雑誌のコンセプト
特集記事
表紙の写真
記事の内容や表現
・・・
どれだけ
工夫を積み重ねても
実際に出版してみなくては
売れるのか売れないのかは
判断ができません。
それでも最後は、
自分で『覚悟』を決めて
判断するしかない。
そこで自分としての
『覚悟』を決めるために
日頃から次の2つのことに
徹底的にこだわっているそうです。
・現場
・伝わる努力
この2つのことを
具体的に見ていきましょう。
一般的に編集長と言うと
いつも会議やデスクでの仕事を
している印象が強いのですが
植野さんはそんなイメージとは
全く対照的で、
自分が興味を抱いたお店を
徹底的に食べ回り
そこで提供される食事の味は
もちろんのこと
お店の雰囲気や
店長のこだわりなど
デスクで仕事をしているだけでは
分からない
現場に足を運ぶからこそ
感じる体感を
とてもとても大事にされています。
そして現場で感じたこの体感を
読者の目線にたって
どうやって伝えるか。
伝えるだけではなく
どう伝わるかに
最大限の努力を惜しみません。
ここまで現場と消費者に
徹底的に寄り添うからこそ
読者の共感に
つながっていくのですね。
そして
自分はここまでやったんだという
納得感があるからこそ
自分の覚悟にも
つながっていくのですね。
さて皆さんは
いかがでしょうか?
皆さんにとっての現場とは
果たしてどこでしょうか?
仕事をされている方であれば
社内で自分の仕事を渡す
次の部門だったり
サービスや商品を
実際に活用して頂く
企業や一般消費者の皆さん
就職活動中の学生の
皆さんだったら
インターンシップの経験や
先輩社員とのコミュニケーション
学生の皆さんだったら
自立した社会人となるための現場
など
様々な現場が
頭に浮かんできますね。
ぜひ皆さんも
現場×相手目線
を意識した
日々を過ごしていきませんか…
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今週の名言 : 山上浩さん(救命救急医) [ビジネスパーソン (男性)]
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絶対に、
断らない!
==========
救急車で搬送される
患者の受け入れ数が
日本一多い
神奈川県の
湘南鎌倉総合病院
この病院の中で
生死の境目をさまよう患者が
運び込まれる
救命医療センターを
率いている
『山上浩』
さんの言葉です。
巷では救急車のたらいまわしが
大きな社会課題として
取り上げられる中
絶対に断らない
運ばれてきた患者は
100%受け入れる
この信条のもと
新生児~高齢者まで
全ての患者を引き受け、
365日瀬戸際の戦いを
続けています。
一般的な救命救急センターの
受入数が年間約5,000人に対して
湘南鎌倉はなんとその3倍の
年間約15,000人。
今では日本中から注目されるほどの
実力と自信を備え持っている
山上さんですが、
過去には
大きな挫折を経験をされています。
高校2年のときに
大好きだった祖父が入院
その病院で病とたたかう
医師の姿に感銘を受けて
将来は医師になることを決意
そして
自分自身も不整脈を
患っていたこともあり
内科医としての道を
歩み始めます。
当直(深夜)勤務をしていると
子供のケガや
交通事故の救急要請などで
救急車から受け入れを
依頼されることも多かったものの
内科医の山上さんには
子どものケガさえも
診ることができず…
救急車を断り続けていました。
自分が目指していた
医師としてのあり方と
今の
自分の実力のなさ・非力さとの
ギャップが
あまりにも大きいことに
愕然とします。
自分が目指している医師とは
こういう医師じゃなかったはず
このままじゃダメだ!
これまで学んできた知識や
経験なんてほんのささいなこと
もっと立派な医師になるために
トコトン自分を磨いていこう。
単なる内科医ではなく
もっともっと大きな
自分の夢を実現させたい。
内科医になりたての頃の
挫折体験を起点に
内科医を止めて
未来に向かって新たな道を
歩き始める決意をします。
それが
救命救急への道でした。
その後は
次の3つにこだわり
動き続けてきました。
・自分の実力を磨くこと
・病院の中の体制を整えること
・人としての魅力を高めること
救命救急医と聞くと
時間がかなり不規則な
イメージがありますが
病院の中に
3シフト(24時間)体制を整え
0時~8時
8時~16時
16時~24時
つまり8時間/日の
勤務体系の整備をおこなったり
緊張感にあふれピリピリする
環境の中にあっても
おだやかで自然体で
患者さんやスタッフに
向き合う姿は
まわりからも
絶賛の声があがっています。
こんな山上さんの人間力や
絶対に断らないという想いに
共感した仲間たちが
ドンドン山上さんの周りに
集まってきます。
山上さんが
病院で働いて頂く
スタッフや医師を
採用するとときに
大切にしている視点が
2つあるそうです。
・一緒に仕事をしていて楽しそうか
・自分や病院の想いに共感して頂けるか
はたから見ると厳しい
職場環境の中にあっても
こんな仲間たちと一緒に
仕事をされている山上さんは
本当に日々充実しているとのこと。
趣味は山登り、
ランニングなど。
どんなに忙しくても
病院以外の自分の時間や
家族との時間を
確保することが大事。
仕事ばかりしていると
優しくなれないんですよ。
と微笑み、
過酷な現場でも
どこかに温和さをにじませる
山上さんの生き方は
とても魅力的ですね。
さて皆さんはいかがでしょうか?
今の自分に挫折を
感じたりしていませんか?
挫折を感じない人生を
送っている人など
この世の中には誰一人として
存在しません。
大なり小なり
全ての人が挫折を経験しています。
そんなときに大切なのが
過去や今にひきずられて
人生を生きていくのか
それとも
未来起点で生きていくのか
この両者の違いは
とても大きいですね。
皆さんも
山上さんのように未来起点の
人生を歩んでいきませんか…
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今週の名言 : 高木琢也さん(カリスマ美容師) [ビジネスパーソン (男性)]
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「前」を向け!
「自分」を貫け!
===========
予約は
常に2か月待ち。
月間最高売上
1200万円
日本最大規模の
ヘアコンテストで
3年連続1位
伝説を作り続ける
カリスマ美容師
『高木琢也』
さんの言葉です。
ちょっとやんちゃで
とっつきにくそうな
その風貌とは裏腹に
根はやさしく
思いやりに満ちた
高木さんの過去は
本人曰く
「どん底の人生」
だったようです。
優しい両親に
大切に愛情表現一杯に
育てられた高木さん
幼少の頃は
スポーツ万能
成績優秀
学級委員長
など
誰もが認める
できる男でした。
そんな高木さんの人生が
少しずつ狂い始めたのは
高校受験のあたりから。
高校受験失敗
通っていた中学3年全員の中で
わずか2人の中の1人
塾の先生
学校の先生に
申し訳ないと頭を下げる両親
お父さん、お母さん、
ごめんなさい
それでも
何とか入った別の高校で
サッカーにはまり
将来プロを目指すも
ケガが理由で挫折
それならばと
大学や専門学校を受験するも
すべて不合格
さらには
仕方なく受験した
地方公務員試験までも
不合格
いつも大事なところで
うまくいかない自分
そして今度は
母親の影響を受けて
美容師を目指すことに
もともと不器用なこともあり
ミスの連続
同期には次々と先をこされ
会社からは出勤停止の指令
これが自分の運命なのか!
ここまで
愛情たっぷり育ててくれた
両親に申し訳がなさすぎる~
自分を産んで良かったと
両親に想わせてあげたい
両親を喜ばせたい。
こんな思いが次から次へと
湧いてきた高木さんは
ここで一大決心をします。
日本一の美容師になろう!
それまでの自分は
何となく日々を過ごしてきただけ。
何となくこれくらいでいいや!
最低限の生活ができればいいや!
こんな毎日の連続でした。
自分が変わらなきゃ!
前を向いて生きていかなくちゃ!
ダサくてもいい
はいつくばってでもいい
結果を出そう。
それからというもの
仕事が終わってから
未明までカットの練習
ファッション雑誌を
読みあさっては
流行の髪形をチェック
今までゆるい人生を
歩んできたんだから
人の10倍、100倍
努力しよう!
へこんでいる暇なんてない。
立ち止まっている暇なんてない。
前を向いていこう!
自分をつらぬいていこう!
この姿を両親に見せよう。
こうして意識と行動が変わってから
1年、2年とたつ中で
メキメキと実力をつけていき
今の地位を獲得するまでに
いたっています。
高木さんの尊敬する人は
サッカーの本田圭佑さん。
大口をたたいて
それを何とかやりきろうと
突き進む姿勢に
共感を覚えるとのこと。
そんな高木さんだからこそ
若い方々に対して
次のような思いを抱かれています。
自分を出さない
人生ほどつまらないものはない。
自分らしさを磨こう。
そのためにも自分と向き合おう。
つきぬけるまでやれば
見える世界が必ず変わる。
どんな人であろうとも
ダイヤモンドの原石
それを磨いて
輝かすことができるかどうかは
自分次第。
悩んでいる暇があったら
前を向いて歩いていこう。
さて皆さんはいかがでしょうか?
現在や過去ばかりをみつめて
悩んだり愚痴ったりしていませんか。
高木さんのように
未来を見て自分を磨いていく。
こんな人生を歩んでいきませんか…
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今週の名言 : 横手貞一郎さん(ボディメイクトレーナー) [ビジネスパーソン (男性)]
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Be
Positive!
=========
生活習慣のクセで歪んだ身体を
呼吸やストレッチでゆるめ
本来の姿勢に戻す。
360度どこから見ても
美しくしなやかに動くための
身体を作り上げることはもちろん
的確なアプローチで
身体各部の機能を引き出し
美脚
ヒップアップ
ウエストシェイプ
バストアップ
デコルテライン
表情筋にいたるまで
ラインを変えていく
カリスマトレーナーとして
知られる
『横手貞一郎』
さんの言葉です。
こんな横手さんの元には
紗栄子さん
松島花さん
をはじめとした
今をときめく
女優やモデルが
こぞって訪れます。
数日後の下着の
CM撮影のために
デコルテと背中を
美しく見せたい
長期ドラマ撮影に向けて
体作りをしたい
美女たちのあらゆる要望に
すべて応えてしまう
横手さんですが、
その人生は
けっして順風満帆なものでは
ありませんでした。
スポーツ一家の長男として
この世に生を受けた
横手さんは
小さい頃から
家の近所の山を駆け回り
野球
サッカー
水泳
バスケットボール
テニス
陸上
その他多岐にわたる
競技をこなす
ザ・スポーツ少年でした。
しかし中学1年生の時に
突然、横手さんのもとに
悲劇が襲いかかります。
肺のレントゲン写真に
見つかった「影」
その日以来
あれほど大好きだった運動を
いっさい禁止され
まさに地獄に
突き落とされたかのような
心境だった
と当時のことを
振り返っています。
そんな横手さんが
当時中1ながらにして
大事にしていた言葉が
まさに冒頭の言葉です。
===========
Be
Positive!
===========
運動ができないなら
ゲームを究めよう!
そう思い立った横手さんは
なんと短い期間の中で
全国大会に
出場できるまでの
実力をつけていきます。
その後、年数の経過とともに
運動ができるように
なってきたことをきっかけに
パーソナルトレーナーとしての
道を目指し始めます。
実はここで役に立ったのが
中学時代の運動できなかった経験
遠回りをした経験が
きっかけとなり
独自のトレーニング法を
編み出すに至っています。
その後30歳にして
大手スポーツクラブに所属
それから10年間
独自のトレーニング法と
人としての魅力のお陰で
トップの成績を出し続ける中で
有名人
女優
モデル
アスリート
などから
絶大な支持を受けるように
なったのをきっかけに
独立をされて今に至っています。
こんな横手さんは
特に普段から意識して
使っている2つの言葉が
あるそうです。
「最高です!」
「感謝です!」
お客さんに対しても
スタッフに対しても
自分に対しても
Be Positive
を自分の発する言葉からも
実践されているのですね。
こんな横手さんの生き方を
象徴するかのような
詩を1つ紹介いたします。
「無駄なものはない」
つらい時が
あったからこそ
幸せを感じられる
裏切られて
傷ついたからこそ
人に優しくなれる
あのとき
涙を流したからこそ
強くなれた
自信がなくて
不安だったからこそ
頑張ることができた
人生に無駄なことは
ひとつもない
どんな経験であっても
これからあなたが
生きるための糧となる
横手さんの生き方や
この詩からは
たくさんの
勇気と元気がもらえますね。
皆さんも
言葉の持つ力を大切に
生きていきましょう!
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今週の名言 : 小美濃清さん(カレー店店主) [ビジネスパーソン (男性)]
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変わらず、
コツコツ!
=========
とびきりの食材と
トコトン手間暇をかけて
作り上げる
滋味豊かな一皿のカレーで
客の心をグッと掴みとり
人気のランキングサイトでも
カレー部門日本一となった
東京荻久保のカレー店
「トマト」の店主
『小美濃清』
さんの言葉です。
いぶし銀の王道カレー
これほどまでに評価の高い
カレーの原点は
いったい
どこにあるのでしょうか?
ドンドン突き詰めていくと
小美濃さんの
2つの魅力に行きつきます。
①小美濃さんの毎日の習慣
②小美濃さんの意識の高さ
具体的に
見ていくことにしましょう!
まず初めに
小美濃さんの毎日の習慣です。
小美濃さんは
毎朝6時前にお店に出勤
1つ1つの食材を
実にていねいにコツコツと
下ごしらえを行います。
看板メニューである
タンカレーの タンは
やわらかくなるまで
ていねいに6時間かけて
にこみ、
カレールウも
タマネギなどの
すあげからこだわり
できたルウを今度は
オーブンでじっくり焼きながら
コクを出す
10分焼いてはかきまぜて
また10分
今ではレストランでも
ここまで手間暇かけるところは
ほとんどありません。
こうして味わい深くなったルウを
さらに1週間ねかせることで
他の店では
出すことのできない
カレーを提供し続けています。
閉店は20:30
その後その日の片づけと
翌日の下処理を終えて
店を出るのは
0時を過ぎる日も
少なくありません。
次に2つめの
小美濃さんの意識の高さ
について見ていきましょう。
小さい頃から
食べることが大好きで
料理人になりたいと
大阪の老舗レストランに
修行に入りますが、
当初は
真面目で丁寧な性格が
災いして
周りからは
どんくさい、 アホだ、
などと言われ続ける日々
そんな中、
レストランの要である
ルーづくりに
小美濃さんの
真面目で丁寧な性格が
あっていると考えた
先輩から
ルーづくりの仕事を
任されます。
この道こそ
自分が極める道
そう決意した
小美濃さんは
その日から
いっさい手を抜かずに
自分の実力を
コツコツとていねいに
磨き続けています。
調理学校で学んだことで
最も印象的だったのは
料理人とは
国民の健康を支える仕事
であるということ
実は小美濃さんのカレーには
健康面での効果効能を意識して
36種類もの
スパイスが配合されています。
習慣と意識
本当に素晴らしいですね。
さて皆さんは
日々の生活の中で
どんなことを
習慣としていますか?
例えば、「睡眠時間」
個人差があるので
ハッキリした基準までは
明示できませんが、
自分自身が
「たっぷり寝たな」と思えて、
規則正しい生活を
送ることができれば、
それがその人の
「適正な睡眠時間」です。
ある意味では、
睡眠時間を確保するのと
規則正しい生活をするのは、
コインの裏表のような
関係にあります。
睡眠は、
生存に必要な行動なのに、
忙しいときはいの一番に
削られてしまいます。
手っ取り早く
時間を確保できるから、
そうしたくなるのです。
睡眠時間を削ったところで、
アタマがボーッとしたり
疲れやすくなったり、
いいことは1つもありません。
むしろ効率が落ちます。
人によっては 睡眠は、
なんとなく
ムダな時間のように見えますが、
そんなことはありません。
睡眠中は、
自分自身をリフレッシュさせる
時間です。
その時間がたっぷりあれば、
自分自身を
よりリフレッシュ
することができます。
疲れもとれて、
朝からフルスロットルで
行動できます。
アタマが整理されて、
斬新な発想が浮かびます。
イヤなことがあっても、
寝ることで切り替えができます。
いいことばかりで
悪いことは何1つありません。
こんな視点で睡眠時間を
捉えていくと
自分にとっての最適な
睡眠時間をしっかりととることを
習慣化することで
皆さんの生活が
プラスのスパイラルで
回っていくことが
分かりますね。
あなたの最適な睡眠時間は
何時間ですか?
その睡眠時間を確保するために
どんなことを実践していきますか?
また人によっては
仕事の都合などで
不規則な睡眠を
余儀なくされている方も
いらっしゃるかもしれません。
そんな方は
睡眠時間と同じく
睡眠の質にも
意識を向けたいですね。
にわかプロではなく
専門家が推奨している方法で
自分に合いそうなものを
試してみるのもいいですね。
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今週の名言 : 小幡寿康さん(和菓子職人) [ビジネスパーソン (男性)]
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人と人とを取り持つ
大事なもの。
それが、お菓子!
=============
和菓子の命
あんこ炊き
そんなあんこ炊きを
極める一方で、
自分の店を持たず
店から店へと渡り歩いては
極上のあんこを炊き、
その技一つで、
30軒以上の菓子店を
再建させてきた
放浪の菓子職人こと
『小幡寿康』
さんの言葉です。
小幡さんは昭和23年
菓子屋を営む両親の元に
生まれます。
その流れを受けてか
老舗の菓子屋に就職すると
器用な手先と
研究熱心さから
メキメキと頭角を
表していきます。
大切な人へのお土産に
大切な人のお祝いに
お世話になったお礼に
・・・
和菓子はただ
「美味しい」
だけのものではなく
「人と人とをつなぐもの」
和菓子の持つ
こんな素敵な魅力に
魅せられながら過ごす日々
そして44歳のときに
小幡さんに転機が訪れます。
それは 宮崎県の過疎地に
会社が新たに
工場を建てることになり
地元の名産品である
「栗」などを使った
和菓子開発の
リーダーを任されることに
なったのです。
そしてこのとき
地元宮崎県の過疎が
進んでいく状況を
自分の手で何とかしたい
との想いから
1人の青年が
小幡さんのもとを訪れ
弟子入りすることになります。
小幡さんは
この弟子と寝食をともにしながら
自分の持っている
技術やノウハウを
徹底的に教えていくことで
弟子もメキメキと
実力をつけていきます。
ところが
そんな生活を続けていた
ある日のこと
採算があわないことを理由に
会社が工場閉鎖を決断・・・
地元の人々は職を失い
新しい職も
なかなか見つからない中
弟子として
可愛がっていた青年が
将来に希望を持てず自殺・・・
もっと
自分にできることはなかったのか
こんな目に合わせてしまったのは
自分のせいだ。
小幡さんは
自分を責める日々が続きます。
それまで
人と人とをつなぐ
和菓子の仕事に
ほこりと情熱を傾けてきた
小幡さんでしたが
自分に対するふがいなさから
会社に辞表を提出。
当時その実力は
業界に知れ渡っていたことから
多くの和菓子企業から
破格の給料の提示とともに
うちで働かないか
と誘いを受けるも
すべて断ります。
そして
小幡さんが選んだ道は
地元の名産である栗を使って
何とか村おこしをしたい
という強い想いを持った
過疎化に悩む
村の支援をする道でした。
和菓子など
作ったこともない村人たちに
根気強く教え続けて3年が
たとうとしていた頃
ようやくおいしい栗あんを
炊けるように・・・
そして
美味しい栗あんの評判を
聞きつけた仲買人たちが
全国から買い付けに
来るまでになりました。
小幡さんは
これがきっかけとなり
その後の人生では
力を貸してほしい
という声があれば
全国どこへでも出向き
あん炊きの指導をされています。
つぶれかけた和菓子屋
早くに亡くなった娘の意思をついで
素人同然で始めたパン屋
・・・
日本中の
「困っている人」
に力を貸し続け
これまで30件以上の店を
再建してきました。
既に70歳をこえた今でも
この活動を続けられています。
今でも毎日、
時間さえあれば
あんこ炊きの研究を
積み重ねているという
小幡さんが
こうしてプロとしての
実力を磨いていくうえで
大切にしていること。
それは、
自分にとって
最高の状態に達するまで
「なぜ?なぜ?」
を繰り返して
トコトン追求し続けること。
さて皆さんは いかがでしょうか?
今皆さんが行っている
仕事やテーマは
世の中にどんな価値を
提供していますか?
人と人をつなぐ和菓子
と同じように
きっと大切な役割や価値が
ありますね。
そして、
日々なぜなぜを繰り返しながら
その道を極めていきませんか。
そう小幡さんのように・・・
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