今週の名言 : 遠藤正己さん(駒師)
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どんな状況でも
前に進んでいく…!
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最愛の妻の死
20回に及ぶ転職
母の介護
・・・
泥沼の15年を
乗り越えて
今では
日本を代表する
駒師として活躍する
『遠藤正己』
さんの言葉です。
ギターの弾き語りで
出会った妻との結婚を機に
地元山梨に戻り
居酒屋を始めると
徐々に繁盛店に。
地元のお客さんに
もっともっと愛されるお店に
との想いから
600万円かけて
店を改装した矢先
最愛の妻が
事故で他界
あまりにものショックで
自分を見失い
まだまだ親が必要な
子供たちに対しても
自分のことは自分で
やってくれ
と子供たちを
思いやる余裕さえも
なくなり
さらには
仕事も放棄
ついには店を
手放すことに…
金銭的にも
余裕がなくなってくると
さらに精神的にも
余裕がなくなる悪循環
なんとか仕事を見つけようと
ハローワークなどに出向くも
当時は20代の学生にとっても
まさに就職氷河期の頃
40代半ばの遠藤さんには
大した仕事も見つかりません。
お前には価値がない
世間から
そうつきつけられたような
虚しさがこみ上げてきます。
スーパーのアルバイト
テイクアウトでの調理
・・・
それでも
何とかお金を稼ぐためにも
20以上の職を
転々とします。
高校の入学式にも
来てくれない父親
職を転々とする
父親に対する
子供たちの信頼はゼロ
子供たちからは
恥ずかしい父親とさえ
思われていきます。
59歳の時に届いた
年金のお知らせでは
10年分未納が発覚
母親の介護で
なかなか昼間の仕事が
できない
そんなときに
ふと近所で行われる
将棋の駒の作品展示会に
気分転換に出かけると
日本でもトップクラスの
駒師から声をかけられ
思わず弟子入りを覚悟
母親を介護しながら
自宅で仕事ができる
そして
何よりも駒をつくっていると
嫌なことを忘れて
集中できる
こんな生活を始めて
数か月もしてみると
実は
これまで行ってきた
数々の職体験が
駒づくりにかかせない
技術に役立っていたことが
分かります。
通常だと10年かかると
いわれる技術を
わずか半年で習得
そして駒師としての
仕事を始めてから
わずか6年で
大きなチャンスが
遠藤さんに訪れます。
日本将棋連盟から
日本最高位の大将戦でつかう
駒づくりに
チャレンジしてみないかとの
内容でした。
自分の人生をかけ
全身全霊でのぞみます。
どうしても
自分の駒を選んでいただきたい。
その心には
失ってしまった
子供たちからの信頼を
少しでも
取り戻したい
こんな思いがありました。
そして
駒の選定会当日
かの羽生善治さんが
選んだのが
遠藤さんの駒でした。
20以上もの職を
転々としているときにも
そのまま
奈落の底に落ちてしまうことも
十分にありえましたが
たとえわずかだとしても
少しずつ前に進んでいったことが
このような運命を
手繰り寄せる結果に
つながったのですね。
最後に改めて
冒頭の言葉を
振り返っておきましょう。
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どんな状況でも
前に進んでいく…!
============
こちらをクリック頂ると幸いです。
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今週の名言 : 笠原敬さん(感染症専門医) [その他]
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地道に
頑張っている人に
スポットを…!
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日本で初の
コロナ感染者を
受け入れた
奈良県立医科大学
感染症センター
奈良県内で発生した
コロナ感染症に対して
最前線
かつ
最後の砦
として
病院全体を巻き込んで
県民のために
頑張り続ける
感染症センター教授
『笠原敬』
さんの言葉です。
奈良県の地元で
まわりの住民に
人気の医者だった
父親の影響を受けて
笠原さんも
医師を目指すように
なります。
医科大学を卒業後
自分の進路に関して
2つの大きな決断を
下します。
1つは
東京or奈良
どちらで働くか。
東京で自分の実力を
試したい思いもありましたが
父親が地元に貢献する
背中を見て育ったことも
影響して
地元奈良で
医師として
働くことを決意
そしてもう1つの決断が
どの領域の専門家になるか。
いろいろ考えた結果
下した決断が
感染症専門医でした。
この道は
外科や産婦人科など
医師の中にある様々な
領域の中でも
主役になることがなく
日の当たらない
人気のない領域
それでも
なくてはならない大切な
領域
海外の最新の知見を
貪欲に吸収しながら
日々コツコツと
感染症専門医としての
業務を積み重ねます。
そんな中発生のしたのが
特効薬のない未知のウイルス
コロナ。
普段、
事務などの仕事を行っている
スタッフなども含め
病院総動員で
コロナに立ち向かい
続ける日々を続けます。
スタッフの不安や不満
休みもなく蓄積する疲労
院内感染の恐れ
それでも
危機感の共有
発熱外来の設置
コロナ患者用ベッドの増設
など強く推し進めるとともに
看護師やスタッフとの
丁寧なコミュニケーションを
大切に積み重ねます。
やがて
病院全体が1つの想いに
まとまっていきます。
自分自身もしんどい日々が
続きますが、
しんどいと想った時点で
自分の負け
今自分がやらなくて
いつやるんだ
自分自身を
奮い立たせます。
そんな笠原さんが
大切にしていることが
冒頭の言葉。
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地道に
頑張っている人に
スポットを…!
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なかなか日の目を見ない
感染症で地道に頑張ってきた
自分の経験が
このような
想いにつながっています。
看護師やスタッフへの
感謝と丁寧なコミュニケーション
その想いが
病院全体の使命感に満ちた
一枚岩の活動に
つながっているのですね。
派手な目立つ仕事やテーマばかりが
すべてではありません。
皆さんも自分らしく
日々、地道に頑張っていきませんか!
こちらをクリック頂ると幸いです。
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今週の名言 : 小林寛司さん(料理人) [その他]
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自分が楽しんでこそ
人を楽しませることができる…!
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1日1組限定。
世界中の食通や料理人が
わざわざ和歌山まで
こぞってやってくる。
野菜がおいしい世界のレストラン
Top 100 Best
Vegetables Restaurants 2019
にて
アジア最高位の
17位に輝いた
「Villa Aida」
のオーナーシェフ&農家
『小林寛司』
さんの言葉です。
1973年
和歌山県の生まれ。
パンや洋菓子を作るのが
好きだった母親の影響を受けて
中学生のころ
お菓子作りにはまります。
上手にできないと
悔しくて
夢中で作り直す日々。
高校生になり
アルバイトを始めると
ファミリーレストラン
ケーキ屋
パン屋
…
自然と飲食店ばかりを
選んでいる自分に気づき
将来は
料理の道に進むことを決意。
調理師専門学校に進み
卒業後は
大阪のイタリアンの店で
働き始めます。
入ったお店のシェフは
職人気質で
あいさつや生活態度に始まり
仕事に対する要求度も高く
しょっちゅう怒られては
目に涙することの繰り返し
親身になってくれた
先輩からは
見込みがあるから
怒ってくれるんだ
こんな励ましに
支えられながら
頑張り続けます。
月日の積み重ねとともに
実力を磨いていきます。
そして次のステージにあがるため
別の店で働きたいと
オーナーシェフに相談をすると
イタリア行きを
薦めてくれただけでなく
現地のお店の受け入れ準備まで
してくれます。
不退転の覚悟で
片道の旅費だけを持って
イタリアに向かうも
言葉も通じない
誰も知っている人がいない
さみしくて
ホームステイ状態
それでも歯を食いしばり
4年間8店舗で修業を重ね
日本に帰国後
和歌山に念願のお店をオープン
イタリアから
食材を輸入するなど
本格的な高級イタリアンに
地元の人も
最初は足を運んでくれましたが
しだいに客足が途絶え
借金だけが
増えていきます。
苦しい時間だけが
流れていく中
ふと思い出したのが
イタリアの修業時代のこと
修業させて頂いた
どの地域のどのお店も
地元の食材に
絶対の自信をもって
その地元食材にあった
調理や味付けに
こだわっていました。
イタリアからの食材の
輸入をやめ
150種類もの
野菜やハーブを自分で育て
さらには
これらを使って
自分で
スパイスやハーブを作り
まさしく
この店でしかできない
他にはマネのできない
オリジナルな
野菜料理にこだわるように
なっていきます。
朝5時から2時間かけて
野菜を収穫
調理の時間以外は
食材を活かした
メニューの創作にあけくれます。
現状維持は後退
と自分に言い聞かせ
日々試行錯誤の連続
ときに良いアイデアが
でてこなくて悩むことも
あるものの
それでも地元の食材に
絶対の自信をもって
楽しみなら創作を
続けていきます。
すると
地元野菜の恵みを存分活かした
料理を食べた
超一流の料理人たちも
みなそろって驚愕&大絶賛
こうして今では
オリジナリティにあふれ
誰にもまねできない
評判の人気店となっています。
さて皆さんはいかがでしょうか?
自分のオリジナリティ
自分が絶対にゆずれないこだわり
どんなことが頭に
浮かんでくるでしょうか?
自分自身に問いかけながら
あなたらしい人生を
創っていきませんか…
こちらをクリック頂ると幸いです。
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今週の名言 : 中村朱美さん [ビジネスパーソン (女性)]
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自分の軸に
たちかえる…!
==========
どれだけ売れても
1日100食限定
売り上げを減らそう。
など
従業員の働きやすさを
軸にした経営スタイルが
多くの方の共感を呼び
2019年
ウーマンオブザイヤー
にも選出された
『中村朱美』
さんの言葉です。
経営するレストラン
「佰食屋」
はその名の通り
昼11:00にお店をオープンすると
どんなに売れようとも
1日100食売れた時点で
お店を閉めるスタイル。
早い日には
12時に閉店ということも。
そして
午後は翌日の仕込みを行い
終わり次第終了。
ここで働く従業員は
ものすごい給料とはいきませんが
その代わりに
自分の好きな時間に働けて
残業もなく
毎日
仕事以外の時間を
育児や別の仕事、
趣味など
有意義に活用することができます。
飲食業界にありがちな
売り上げを稼ぐために
少ない人数で
残業当たり前
いわゆる
ブラックのイメージとは真逆
仕事や私生活に対する
価値観はひとそれぞれ
これからは
このような価値観の人も
増えてくるはず
そんな人たちが
働きやすい職場にしたい
との想いから
今のような
経営スタイルにこだわっています。
このような想いを
抱くようになった背景には
幼少の頃の両親の仕事とも
大きく関りがあります。
両親はともに
レストランに勤務
休みがない
残業ばかり
両親になかなか
遊んでもらえない
両親の口癖は
飲食業界はだめだ
サービス業はだめだ
ご自身が結婚後も
それぞれの職場で
夫婦そろって残業ばかり
もっと自分の生活を大切にしたい
との想いから
佰食屋を始めることに。
このコンセプトと
おいしい国産肉料理が
手ごろな値段で食べることができると
評判になり
全国からお客さんが
集まるようになり
国産牛ステーキ丼専門店の
佰食屋に続き
国産牛すきやき専門店
肉寿司専科
などを展開
いずれも人気店と
なります。
しかしながら
2020年になると
想定外のコロナが
世界を襲います。
4店舗のうち2店舗を閉店
従業員の大幅解雇
苦渋の決断を
せざる負えませんでした。
それでも中村さんは
前を向いて歩き始めます。
残された2店舗で
もっともっと知恵を絞り
従業員が
働きたい時間で働く
そして残業ゼロ
でも
利益の出せるように
店舗運営の進化に
突き進みます。
自分の軸をぶらすことなく
大きな逆境をもはねのけて
一歩ずつ前に進んでいく姿は
本当に素敵ですね。
さて皆さんはいかがでしょうか?
皆さんもぜひ中村さんのように
自分の価値観・自分の軸にそった
人生を歩んでいきませんか…
こちらをクリック頂ると幸いです。
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今週の名言 : 西岡壱誠さん [その他]
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偏差値なんて
関係ない…!
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高校3年生時点での
偏差値35
師匠と尊敬する
先生の一言から
東大合格を目指し
二浪の末見事合格を果たし
今ではベストセラー作家
オンライン教育など
様々な分野で
活躍を続けている
『西岡壱誠』
さんの言葉です。
幼少のころから
勉強も運動も大の苦手
チビでデブをもじって
つけられたあだ名は
チェブー
馬鹿にされ
いじめられる日々
どうせ俺なんて…
こんな自分がつくづく嫌だ…
自分に対して
全く自信の持てない日々
ある日同級生が投げつけた
ペットボトルが
頭にあたり
大量の出血
いつも親身になってくれていた
先生に本音の悩みをぶつけます。
先生、
このまま何のとりえもなく
僕は一生生きていくのでしょうか?
そのとき先生から
返ってきたアドバイスが
西岡さんの
その後の人生を大きく変える
ことになります。
お前には
自分の意志が全くない。
人は意志さえあれば
何だってできるんだ。
大きな目標を持て!
マイナスの言葉は使うな!
意識を変えろ!
先生の言葉を信じよう。
自分を変えよう。
生まれて初めて
大きな目標を持ちます。
それが東大合格でした。
そして意識の変化が
勉強以外の学校生活でも
少しずつ行動の変化に
なって表れてきます。
生徒会長への立候補
応援団に入部
しかし
毎日14時間以上の
勉強を積み重ねるも
現役での東大合格には
至りませんでした。
そんなときに
かつて自分の意識を変えてくれた
先生が
当時自分の夢のために
活動していたドイツに
西岡さんを誘います。
素敵なお城をたくさん
みたいと楽しみにしていた
西岡さんは
ドイツの空港で
先生に会うなり
先生からは
ここからは自由行動だ!と
いきなり
一人にされてしまいます。
言葉も何も通じない
ドイツで一人
必死になって
行動することで
ようやく目的のお城を見学し
宿泊予定のホテルに到着
東大不合格で
自信を無くしかけていた
西岡さんに対して
先生がこのような
ことを行った目的は
次のようなことでした。
詰め込み式の勉強ではなく
考ええる勉強の大切さ
受け身の生活ではなく
能動的に生きることの大切さ
日常生活の中でも
常に知恵を絞ること。
日々のニュースや
出来事に対して
なぜだろう?
と起きたことではなく
その背景やそれに対する
自分の考えを持つことが大切。
そして改めて
先生が伝えたかったことは、
自分を変えろ!
実はこの先生は
子供のころに難病を患い
20歳までは生きられない
と宣告をされていたそうです。
小さい頃は
自分は何のために
生まれてきたんだろうと
思い悩むことが
多かったようですが
やがて少しずつ
意識が変わり
自分の人生を
あきらめたくない
大好きな音楽で
自分の道を切り開いていく
学校で音楽を教えながらも
休みを利用しては
作曲活動や
海外での活動を
されていらっしゃいます。
自分を変える。
まさに自分で実践している
先生の生き様を目の前にして
改めて
自分の意識を高めて受験に臨み
2浪の末に見事合格
本当に素晴らしいですね。
西岡さんは当時を振り返り
次のように語られています。
二度の受験失敗は、
自分にとっての財産。
この経験から学んだことが
今後の自分の人生に
役立てたい。
将来は、
日本教育を変えたい。
と新たな目標をかかげて
前を向いて歩み続けています。
こちらをクリック頂ると幸いです。
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