今週の名言 : 早川大輔さん(スケードボードコーチ) [スポーツ (男性)]
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若い世代の夢を
あきらめさせたくない…
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2020
東京オリンピックで
初めて正式種目となった
スケードボード
7回のトライのうち
上位4回の点数の合計で
順位を争います。
2020
東京オリンピックでは
6回目までのトライで
3位だったものの
最終トライで
見事大逆転優勝を
果たした
堀米雄斗選手の
コーチを長年続けてきた
『早川大輔』
さんの言葉です。
早川さんは1974年
東京都葛飾区の生まれ。
13歳の頃から
スケードボードに
乗り始めます。
学校が終わると
近くの公園や広場にでかけ
毎日暗くなるまで練習
しかしそんな早川さんたちに
世間の目は厳しく
危ないからと
警察への通報
いわれもしない陰口
など
スケードボードが
社会に認められない日々を
過ごします。
高校を卒業すると
そんな日本を飛び出して
アメリカへと渡り
プロスケーターを
目指すようになりますが
スケードボード大国アメリカの
実力はとても高く
残念ながら
プロを断念し日本へ帰国
しかし
大好きなスケードボードと
関わっていたいとの想いから
ご自身のスケードボードブランド
『HIBRID Skateboards』
を立ち上げ経営する傍ら
スケートボードの
ライダーとしても
活動を継続されていたところに
昔のスケードボード仲間だった
堀米亮太さんが連れ来たのが
その息子である
堀米雄斗さん(当時小学生)
でした。
堀米雄斗さんは
早川さんに
自分の夢を語ります。
将来はアメリカに行って
スケボーのプロになりたい。
すぐさま
スケードボードの
実力を見てみると
あまりのうまさに衝撃を受け
一瞬にして熱い思いが
こみ上げてきたそうです。
俺が必ずこいつを
プロに育ててあげたい
そして雄斗選手の
スケボーの技で
世界を熱狂させたい。
そうした思いを
雄斗さんにだけではなく
日本の若い世代の
スケードボーダーに対しても
抱くようになります。
実力をつけるには
本場アメリカの大会などに出て
世界のレベルを知ることが大事
しかしそのためには
莫大な遠征費が必要となります。
新たにトラックの運転手を始め
得たお金を子供たちの遠征費に
回します。
それでもお金が足りず
スポンサー探しの日々
一向に良い反応が得られません。
昔のスケボー仲間からの
カンパなどに助けられ
アメリカ遠征を実現
その後は
アメリカでの大会の
予選会を日本に誘致するなど
日本のスケードボード向上に
尽力をされています。
そして
2020東京オリンピックで
スケードボードが
正式種目に採用されると
日本代表コーチに。
若い世代に
夢をあきらめさせたくない
と必死に向き合ってきた
早川さんにとって
最高の機会となりました。
堀米雄斗さんが
オリンピックの試合の中で
7回のトライのうち
4回目までの順位は
金メダルはおろか
メダル圏外
そんなときに
早川さんのもとに
歩み寄ってきた雄斗さんに
かけた一言が
失いかけていた自信を
取り戻し
勇気と安心感を与え
残り3回すべて
大技の成功に導きました。
いつも通りすべれば
絶対大丈夫だよ
深呼吸して(笑)
集中して(笑)
自分の夢を
応援してくれる人の存在が
いかに大きいかが
伝わってきますね。
皆さんの身の回りにも
自分のことを
応援してくれている人が
きっといることと思います。
自信を失いかけているとき
緊張感で苦しんでいるとき
その人の顔を
思い浮かべてみることで
勇気や安心感が
醸成されてくることでしょう。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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