今週の名言 : 中西摩耶さん(パラ陸上競技選手) [スポーツ (女性)]
スポンサードリンク===========
未来を、
あきらめない!
===========
31歳で自己ベストを更新し
日本新記録を樹立
同年リオでジャネイロでの
パラリンピックでは4位となり
メダルまであと一歩と迫った
日本パラリンピック
走り幅跳びの
トップランナーとして
その名を轟かせている
『中西摩耶』
さんの言葉です。
摩耶さんは
1985年大阪生まれ。
子どもの頃から、
卓球やピアノなど
なんでも器用に
こなすものの
長くは続かず
色んなものに
興味を抱いていたようです。
その後中学で
ソフトテニスと出あい
ソフトテニスの名門
明豊高校に入学をします。
しかし当時の
摩耶さんにとって
厳しい日々が続くことに。
全寮制のソフトテニス部では
毎朝1年生が4時に起きて
食事作り
無名の中学から
来たというだけでの
嫌がらせ
そして3年生の
最後の大会の団体戦で
負けてしまったことで
周りから
かなり厳しい発言も…
こんなことから
大学でのスポーツも
就職にも気力がわかない
日々を過ごします。
こうして20歳を迎えた頃、
このままこんな生活をしてては
自分がダメになる
もう一度
不完全燃焼まま止めてしまった
テニスで国体に出場したい
そんな思いが湧き上がり
国体出場を支援してくれる
親友のお父さんの
会社(鉄骨塗装業)に就職し、
大分国体に照準を合わせ
トレーニングに励んでいました。
そんな時でした!
作業中に5mの鉄骨が
彼女の足に倒れかかってきたのは。
これまでに経験したことのない
人生の挫折を味わいます。
それでも
自分に出した結論は
自分の未来を
自分で諦めることだけは
したくない
毎日
自分の思ったことを
全力でやれる人生を
歩んでいきたい!
そんな中
義足との出会い
陸上との出会いが
摩耶さんの人生を
大きく変えていきます。
今では
パラリンピックの
走り幅跳びの選手として
日本のトップに君臨する
摩耶さんですが
摩耶さんの
スポーツを行う環境は
決して恵まれたものでは
ありませんでした。
自分でスポンサーを探し
自分で練習場を探し
自分で街中に出かけて
遠征費用などの募金活動
お金がないことから
レストランでも
私はお金を持っていません。
皿洗いするから
何か食べさせて
もらえませんか?
と頼みこんだことも
1度や2度ではなかったそうです。
さらに
こんなお金の苦労だけでなく
単身アメリカでの修行中には
障がい者というポジションを
利用して金儲けしている
日本を捨てて
アメリカに渡った裏切り者
こんな心ない誹謗中傷が
彼女の心をズタズタにしました。
周りに認められない
悲しさ虚しさ、
自分自身の努力する意味を見失い、
疲れきっていた彼女は
2012年の
ロンドンパラリンピック後に
引退を決めました。
それでも自分を応援してくれる
周りの方々
そして自分の人生を
自分らしく後悔なく生きる
こんな思いから
次の東京パラリンピック出場を
目指します。
2019年にドバイで開催された
世界大会では
そんな摩耶さんの努力が
身を結び
自身初の金メダル
そして
東京パラリンピック出場獲得
本当に素晴らしいですね。
こうして改めて
摩耶さんの人生を
振り返ってみると
決して楽な
道のりではありませんでした。
そんなとき摩耶さんは
自分の未来を諦めたくない
そんな一心で
日々を積み重ねて
来たのですね。
摩耶さん自身は
自分の人生を
次のように
振り返られています。
私、自信があるように見えて、
自信がない自分がいるんです。
こんな私が
ずっとやり続けてきたことは
「勇気を出す努力」です。
これには才能も何も要らないんです。
今日からすぐできるんです。
さて皆さんはいかがでしょうか?
やってみたいけれど
発言してみたいけれど
勇気がなくて
一歩を踏み出せない
こんな経験をしたことのある人も
多いのではないでしょうか。
もしかしたら
あなたもそんな
一人かもしれません。
自分の未来を諦めない
摩耶さんのように
勇気を出す努力で
具体的な1歩を
踏み出してみませんか…
スポンサードリンク
コメント 0