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今週の名言 : 福山雅治さん(シンガーソングライター・俳優) [芸能人 (男性)]

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人と人との出会いへの感謝が


幸運を運んできてくれる…


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俳優

シンガーソングライター

カメラマン

など



幅広い分野で

活躍し続ける今でも



デビュー

10周年、20周年、30周年などの

節目となる



大切な記念イベントは

ご自身が生まれ育った

稲佐山で行うなど



地元、

長崎をこよなく



愛していることで

知られている



『福山雅治』

さんの言葉です。








230429 福山雅治さん ①.gif


雅治さんは

1969年

長崎県長崎市の生まれ



雅治さんの父である

明さんは

雅治さんの祖父母とともに



昭和20年に

長崎に投下された原爆に

被爆されており



ご自身が

被爆2世であることを



以前、

ラジオで公言されています。



爆心地から

わずか3キロの位置に

いたにも関わらず



祖父母や父親が

生き延びられた理由は



雅治さんの

ライブの聖地となっている



稲佐山

が関係しています。



230429 福山雅治さん ③.png


当時、戦争下にあって

どこかで火災が発生すると



近くの住宅に

延焼してしまうからと



長崎の中心地から

稲佐山の奥への

疎開命令が下されました。



そして運よく

この稲佐山があったお陰で



原爆から

逃れることができたのです。



疎開を指示されたときも

こんな状況にあっても

祖父母や両親は



家を壊され

疎開させられることへの

不満ではなく



疎開を

サポートして頂いた方々への感謝



生活は苦しいながらも

こうして健康な体で

生きていられることへの感謝



そんな

・未来に希望を抱いて生きること

・感謝の気持ちを大切にすること



をとても大事にされる

ご家庭だったそうです。


230429 福山雅治さん ②.png



中学3年生のときに

明るく楽しい

青春時代を謳歌したいと



1歳上の兄とともに

バンドを結成



音楽づけの日々を

過ごします。



しかし

雅治さんが17歳の時でした



当時まだ53歳だった

父:明さんが肺がんのため他界



雅治さんは

高校卒業後



長崎の

電子計測器会社に就職するも

わずか5か月で退職



若くして

父親の死とも遭遇し



もっと未来に向かって

歩んでいきたい!



自分のやりたいことを

やりきりたい。



との想いから

上京して



プロの

ミュージシャンになる

決意を固めます。



周りの友人やいとこなどが

お前には無理だ

やめておけ

と反対する中にあって



そっと背中を押してくれたのが

大好きだった

祖母でした。



230429 福山雅治さん ④.png


上京後も

思うように人気がでない

日々が続きますが、



母親や祖母は

いつも優しくそっと

背中を押し続けてくれました。



被爆地長崎への想い

応援してくれる

母親や祖母への感謝の気持ち



なかなか

人気が出ない中にあっても



こうした気持ちだけは

決して忘れることなく



日々活動を

続けられていたそうです。



やがて

シンガーソングライターとしての

認知度も高まり



NHK紅白歌合戦への出場

ドラマ一つ屋根の下の大ヒット

などへとつながっていきます。



大切な家族

大切な長崎



に深い想いを込めて

歌う歌には



感動的なものが多いのも

うなづけますね。



壮絶な人生を歩みながらも

いつも笑顔で応援してくれた



祖母への想いを馳せた歌

「道標」

 


祖母が他界された

翌年にリリースされています。






家族になろうよ

AKIRA(父親の名前)



などもその歌詞が

心にしみてきますね。



こうして

未来に向かって



自分の想いを大切にする

姿勢とともに



周りへの深い感謝を

大事にされる姿勢。



雅治さん同様

私たちも

大切にしていきたいですね。





こちらをクリック頂けますと幸いです。

    
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