今週の名言 : 節政健一さん(オープンウオータースイマー) [スポーツ (男性)]
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やらない後悔より、
やって後悔!
「オープンウオータースイマー」
この言葉を初めて聞いた!
という方も少なくないのではないでしょうか。
スイマー=水泳選手と聞くと
プールの中でタイムを競い合っている様子が
頭の中に浮かんできますよね。
しかし、
このオープンウオータースイマーというのは
プールの中ではなく、
海や川など自然の中で行われる
水泳競技の選手のことをさしています。
冒頭の言葉は、
オープンウオータースイマーの中でも
日本を代表する実績と熱い情熱を兼ね備えた
「節政(せつまさ)健一」
さんの言葉です。
節政さんが世界の注目を集めたのは2012年。
津軽海峡、単独横断成功の時でした。
7時間30分
津軽海峡を泳いで横断するだけも大変なことですが、
なんと当時の世界最速記録での完泳。
実は、この津軽海峡
世界最高難度の7海峡(オーシャンセブン)の
1つとして位置づけられており、
その距離、実に30kmを
わずか7時間30分で完泳してみせたのです。
世界トップの記録を樹立するほどの
実力者である節政さんですが、
幼少の頃は、意外にも運動音痴だったとか。
この運動音痴を何とかしたいということで
5歳の時に始めたのが水泳でした。
その後は周囲の大人たちが驚くほどに
メキメキと実力をつけていき
全国大会への出場も果たすほどに成長していきます。
しかし、ある時期からパタッと記録が伸び悩み
残念ながら競泳を続けることをあきらめるという
挫折を経験することに・・・
競泳をあきらめてから数年がたったある日、
あるテレビ番組をみていた節政さんに
すさまじい衝撃が走ります。
それは
障害者が水泳で津軽海峡横断に
チャレンジするというものでした。
節政さんは、当時のことを振り返り
番組を見ていて胸が震えたといいます。
もう一度水泳で挑戦をしよう!
競泳ではなく、オープンウオーターで。
そもそも水泳を始めた当初は
速く泳ぐことではなく
ゴールにたどり着くことを目標としていたし、
それが楽しかったはず。
オープンウオーターはまさに
ゴールにたどり着くことが目標!
2012年津軽海峡を
当時の世界記録で完泳すると
次に目指したのは、何と、
日本人初となるドーバー海峡”往復”!
片道を完泳することさえ厳しいとされる
ドーバー海峡を往復で完泳することを目指します。
直線にして片道34㎞/往復で68km
海流などの影響もあり、
実際には100kmほどを24時間かけて
一度も船や陸にあがることなく
一気に泳ぎ切ることを目指します。
このスポーツは、体力はもちろんのこと
単調な泳ぎを何時間も続ける必要があるため
体力と同時に”強い精神力”も求められます。
受験勉強や社会人での下積み時代とも重なります。
時は、2016年7月、
いよいよこの挑戦が行われました。
不運にも当日は天候に恵まれず、
伴走する船も大きく揺れるほど
波が高いという最悪の条件。
決死の覚悟での挑戦となりました。
まさしく”必死”の思いでひたすら泳ぎ続けます。
しかしながら、波の高さ・潮の流れなど悪条件が重なり
24時間以内の往復完泳は無理だという
ドーバー海峡を熟知した船長の判断により復路を断念。
スタートから12時間42分
海峡を横断しフランスの岸辺にたちすくみます。
ドーバー海峡往復を夢みてきた
節政さんは今回の挑戦に対して次のように
述べています。
今回の結果に”満足”はしていない。
しかし今回の結果に”納得”はしている。
なぜならば、
自分なりに精一杯やったという自負があるから。
ドーバー海峡往復への挑戦は
一回限りと決めていた節政さん。
大きな夢がなくなってしまい
ぽっかりとあいてしまった心の穴の中に
この先、何がこの穴の中につまるのか?
この先、水泳で何を目指していくのか?
節政さん自身、楽しみしているとのこと。
冒頭の言葉と同じく
節政さんが大切にされている言葉が
もう1つあります。
きつさは一瞬、
喜びは一生!
常に前を向いて歩んでいく節政さんの姿、
とても素敵ですね。
実は節政さんは、
普段は製薬メーカーの工場で働く
ごくごく普通のビジネスパーソン
週末はボランティアで
子供たちに水泳を指導
自分がやりたいと思うことを
愚直にやり続けることで
世界最高レベルに登りつめることができる
そんな思いを抱きながら
人生を楽しんでいるのだそうです。
冒頭の言葉が心に響いてきますね。
やらない後悔より、
やって後悔!
熱い想いをもって、一歩踏み出してみる。
皆さんは、どんな一歩を踏み出してみますか?
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