今週の名言 : 樺澤まどかさん(吉本興業マネージャー) [ビジネスパーソン (女性)]
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「新しい」マネージャーの
スタイルをつくりたい…
==================
とろサーモン
かまいたち
・・・
吉本興業の
売れっ子芸人を任され
考え方はメッチャ変だけど
(↑誉め言葉として)
仕事はしっかりしている
いてくれないとダメな存在
と芸人からの
信頼感もとても厚い
吉本興業マネージャー
『樺澤まどか』
さんの言葉です。
まどかさんは
1994年群馬県の生まれ
小さいころから
お笑いが大好きで
いわゆるお笑いマニア
その中でも
CowCowの大ファンで
母親とともに
劇場にライブを
見に行くなどしている中
CowCowのそばで
楽しそうに仕事をしている
吉本のマネージャーの姿をみて
将来はこの道にとの
夢を抱くようになります。
早稲田大学で
理系の大学院を卒業すると
満を持して
吉本に入社。
その当時の
ご自身の心の中の想いとして
ただ単に
お笑いが好きだからでは
自分自身の
「成長」
にはつながっていかない。
自分にとっても
会社にとっても
べん図が重なるような
「成長」
をしていきたい。
こうした思いを抱きながら
日々仕事をする中で
成長のための「判断軸」が
醸成されていきます。
それは、
迷ったら、
おもしろい方を選ぶ!
でした。
何といって
も芸人にとって
おもしろいことが一番。
そして自分にとっても
好きで入った業界。
芸人も自分も
ともに成長していける
「 新しい」マネージャーの
スタイルをつくることを目標に
迷ったらおもしろい方を選ぶ
を軸に様々なことに
チャレンジされています。
巷でも有名なのが
吉本坂46第2期生の
オーディションにチャレンジ
社員もオーディション参加OK
ということでしたので
自分にも仕事でも
おもしそうだから
チャレンジしたとのこと。
見事にメンバーに選ばれ
かわいすぎるマネージャーとして
2022年12月まで
アイドル活動を行いました。
と3つのSNSを使いこなし
今やフォロワーが10万人越え
こうした影響力を
芸人のイベント告知につなげるなど
どういうようにしたら
フォローが増えるのかの解析含めて
自分と仕事のスキルを
楽しみながら磨かれています。
様々な分野からの仕事のオファーも
ときに芸人とは一線を画す
かたいイメージの仕事も
芸人と会話をして
おもしろそう!
となれば優先順位高くして
仕事を受けるそうです。
アイドル活動の
ラストイベントでは
とろサーモンの
久保田さんより
俺、空いているから
出てやろうか
と忙しい時間をぬって
樺澤さんのために
ステージに立って頂きました。
新しいマネージャーの
スタイルに向けて
頑張っている
樺澤さんの日々の活動への
応援と感謝・信頼の気持ちの
表れですね。
こうして
自分のこうありたい
という思いに対して
ブレない軸をもって
活動する姿は
とても共感がもてます。
現在は多様性の時代。
まわりの価値観を受け止めつつ
自分はこうありたい
自分はこうした価値観を大事にしたい
こんな
クールな生き方を
していきたいですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 青木真理子さん(ガーデナー) [ビジネスパーソン (女性)]
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やりたいことを
飽きるまでやりたい…
=============
2018年
日本有数の
ガーデニングコンテストにて
女性・最年少での
大賞を受賞
四季の彩りに感激
植物とともに生きている
計算された自然な趣
・・・
手がけた庭が
いずれも大評判となっている
今、注目の
ガーデンデザイナー
『青木真理子』
さんの言葉です。
真理子さんは
1989年山形県長井市
の生まれ
信頼を寄せる
実の姉からは
社会不適合者
といわれる
真理子さんの
これまでの人生を
さかのぼってみましょう。
中学では
先生との折り合いが悪く
1年生の夏休み以降は
ほぼ不登校になります。
そのころ
はまっていたのが
マンガ
元来より
好きなことにトコトン集中する
タイプだった真理子さんは
今でも
実家の1室を
マンガ専用部屋として
1万冊にも及ぶ
マンガを保蔵して
いらっしゃいます。
中学校に
行けていないことから
内申点が悪く
高校受験は全滅
それならばと
通信制高校に入学
マンガに続き
この当時はまったのが
ヤマンバギャル
好きになったら
周りが何と言おうと
自分の好き
を信じて
飽きるまで
やりつくします。
こうしたなか
アルバイトをやろうと
思い立つも
ヤマンバギャルでは
普通のアルバイトは完全にアウト
しかし
運よく募集していた
長井市内の
花農家に
お世話になることが
できました。
当時は
方言全開のヤマンバが
農家で働いている
と珍しがられ
テレビや雑誌の
取材などもあったようです。
いざ花農家での
アルバイトを始めてみると
自分の心をゆさぶるものがあり
植物の魅力に目覚めるように
なっていきます。
すると元来の
好きな事には
トコトンはまっていくタイプ。
独学で植物のことを
様々学び
荒れていた広大な
実家の庭を
10年かけて
立派な庭園へと
仕立て上げていきます。
今では
季節限定で
オープンガーデンとして
その庭を一般の方へも
公開されています。
そんな真理子さんの
こだわりは
1年草ではなく宿根草で
未来を姿をイメージしながら
自然な庭造りを行うこと。
このようなスタイルが
多くの人たちの共感へと
つながっています。
こうした中
知人のすすめで
ガーデニングコンテストに
出場すると
数々の賞を受賞されています。
今では
植物にはまるだけではなく
「緑」にも
はまっているとか。
自分の着る衣類や髪
ちょっとした小物に至るまで
緑色の濃淡まで含めて
こだわりを持たれています。
こうして
自分の好きなことを徹底して
飽きるまでやり続ける人生は
毎日が楽しくて
とっても充実していると
目をキラキラと輝かせながら
語る姿からは
私たちにも
大事なことを
気づかせてくれますね。
限りある人生
自分の好きを信じて
飽きるまで
トコトン
やり続けていきたいですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 岡嶋かな多さん(作詞作曲家) [ビジネスパーソン (女性)]
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明日につながる
希望の言葉・・・
============
これまで携わった曲は
400曲以上
オリコン1位獲得も
100回を超える
ヒットメーカー
2017年には、
作詞作曲を務めた
三浦大知さんの
「EXCITE」で
レコード大賞・優秀作品賞
を受賞。
BTS
TWICW
安室奈美恵
Snow Man
など
有名アーティストの曲も
多数手がける
作詞作曲家
『岡嶋かな多』
さんの言葉です。
かな多さんは
1984年青森県の生まれ
3歳~8歳までを
アメリカで過ごし、
その後
日本で生活されています。
今でこそ
毎日が楽しい!
と充実した日々を
過ごされている
かな多さんですが
子供の頃は
まわりも驚くほど
自己肯定感
が極端に
低かったそうです。
・自分に自信がない
・何のために生きているのか
分からない
・自分の存在が
世の中や世界に迷惑では?
・自分は汚物?自分は異物?
・・・
自分の殻の中に
閉じこもる日々が続きます。
そんなかな多さんが
「歌」に目覚めたのは
中学1年生の7月。
期末試験が終わった日に
友人たちと出向いた
カラオケボックスでした。
子ども同士で
カラオケに行くのは初めてで、
テンションが上がった
女の子たちは、
ミスチル、
安室奈美恵、
SPEED
といった当時の
スターミュージシャンの歌を、
5時間、
ひたすら歌い続けます。
この時、
友人たちが
かな多さんの
素人離れした歌唱力に気づき、
ラスト1曲のタイミングで
締めの歌を任されて
選んだ曲が
ミスチルの
「Tomorrow never knows」
感情をこめて
歌い上げると
感動のあまり
友人たちが泣いていました。
そして何よりも
かな多さん自身が
その歌詞に救われ
深い苦しい心の闇を抜け出し
前を向いて生きる覚悟
を決められたのだそうです。
中学を卒業すると
高校には行かず
ビクター音楽カレッジに入り
シンガーソングライターを
目指します。
バイトと音楽活動で
忙しくしていたとき
プロの作曲家として
活動していた先輩が
その仕事を
手伝ってくれないかと
お声がけ頂いたことが
きっかけで
少しずつ
作詞作曲家の世界に
興味を抱くようになっていきます。
そんなかな多さんが
今まで作詞作曲を行う上で
最も大切にしていること
それは
明日につながるフレーズ
希望につながるフレーズ
を入れること
自分の歌詞で
聴く人の心を
決して傷つけないこと
過去のご自身の
苦しい体験が
今の仕事での
価値につながっている
様子が伝わってきますね。
子育てをしながら
複数の作詞作曲のテーマをもち
日々忙しいながらも
この仕事が楽しい
こんな幸せな人生を
送れるなんて・・・
と日々の生活が
とても充実しているとのこと。
ミスチルの曲との
出逢いのお陰で
かな多さんの
意識や心が前向きになり
周りとのコミュニケーションや
行動にもよい影響を
及ぼしたのですね。
私たちもかな多さん同様
よりよい人生につながるよう
日々の生活の中で
自分の意識が高まる
言葉・モノ・人・環境を
整えていきたいですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 五塔熱子さん(熱波師) [ビジネスパーソン (女性)]
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自分が納得いくまで
トコトンこだわり続けるのみ・・・
==================
突然ですが
いきなり皆さんに質問です!
「熱波師」
という職業を
耳にしたことはありますか?
蒸気が立ちのぼる
サウナの中で
大きなタオルを巧みに扱い
自然で心地よい
空気の流れを創り出し
お客様を
癒しに導く仕事。
2022年
横浜で開かれた全国大会で
見事優勝を果たし
その直後の
世界大会で3位を獲得するなど
日本を代表する
熱波師走である
『五塔熱子』
さんの言葉です。
熱子さんは
1986年神奈川の生まれ
幼少のころから
1つのことに熱中
しやすいタイプだったそうです。
特に20代のころは
サーフィンに没頭
毎日昼間にサーフィンの
練習ができうえに
体の知識も身につき
これはいい!
と夕方~夜がメインの
セラピストで
生計を立てることを決意
しかしせっかく
セラピストの資格をとっても
なかなかお客様に恵まれず
お客様誘致のために
サウナで熱波をあおぐことに・・・
これが
熱子さんと熱波との
出会いでした。
すると
元来の熱中しやすい
性格に火が付き
熱波師としての
道を究めたいとの思いから
サウナの本場である
ドイツやフィンランドなど
ヨーロッパの国々を訪れ
サウナや熱波師の
本質を学んだり
日本でも
サウナや熱波師のことを
もっともっと
広めたいとの思いから
そのために
最も適した場所と判断した
鳥取県に移住を決め
熱波師としての
実力を磨きながら
役場に籍を置き
サウナイベントによる
観光客誘致にも携わられています。
イベントを行う際には
熱子さんにあおいで欲しいと
全国からファンが訪れるほど。
こうして今では
熱波師としての人気も高まり
全国各地の
様々な施設からも
オファーを頂き
日々活躍されています。
一般的にサウナというと
熱くて我慢しなくちゃいけないところ
と思われがちですが
熱子さんのサウナでは
そよ風のような心地よさで
ゆる~く癒されると評判です。
代表的な
お客様の声をご紹介いたします。
「感動する」
「嫌な日常を忘れさせてくれる」
「自然と涙が出てくる」
サウナの中で
タオルを使って
風を送りことで
お客様を
このような気持ちに導く熱子さん
本当に素晴らしいですね。
やると決めたことに没頭し
日々トコトンこだわり続けることの
大切さが伝わってきますね。
さて皆さんは
どんなことに没頭していきますか?
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 石根友里恵さん((株)SEAM代表取締役) [ビジネスパーソン (女性)]
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後悔だけはしないで
生きていきたい・・・
============
和食の名店 「葉山無垢」
をはじめ
「うかい亭」
「ヒルトン東京お台場」
・・・
名だたる名店にも
導入されている
低アルコールの
クラフトカクテル
『koyoi』
を展開する
株式会社SEAM代表取締役
『石根友理恵』
さんの言葉です。
1987年
広島の生まれ
その後
神戸大学へと進むと
当時のご自身のテーマが
「絶対、自分自身で生きていく力をつける」
もともと独立志向の強い
性格だったようです。
神戸大学卒業後は
かの有名企業
サイバーエージェントへ入社。
1年半、SNSを使った
ウェブマーケティングに
従事した後、
ITベンチャーの
ワンオブゼムに転職。
安定した有名企業の
社員の身分を捨て、
海のものとも
山のものともわからない
ベンチャー起業に転職。
その後こちらも退職すると
フリーランスで
WEBマーケティングの
仕事を請け負い
貯めた資金で
2017年(株)SEAMを設立。
なんとご自身が
妊娠中のときでした。
そもそもなぜ
低アルコールタイプの
クラフトカクテル
に着目するように
なったのでしょうか?
もともと
友理恵さんは
アルコールに対して
マネガティブなイメージしか
持っていませんでした。
それは
友理恵さんの父親が
アルコール依存症だったから。
お酒を飲むと
急に人が変わってしまい
家族に暴言を吐く
暴れだす
・・・
しかし
友理恵さんが24歳のときに
父親が急死
人ってこんな急に
亡くなってしまうんだ・・・
後悔だけはしないで
生きていきたい!
20歳を過ぎて
ご自身もお酒を飲むようになると
より話しやすくなったり
人と人がつながったり
もっと仲良くなったり
・・・
お酒って
実は楽しいもの
ハッピーなもの
父親のこと
自分の体験
などを通して
楽しくつきあえる
お酒をつくりたい
こうした背景から
生まれたのが
低アルコールタイプの
クラフトカクテル
そして会社のビジョン
「ココロとカラダを満たす
食体験を創る」
現在起業して5年
資金ショート寸前で
倒産の危機に陥ったり
なかなか売り上げが伸びず
自身の給料は
社員よりも少なかったり
弱小企業のため
原料が突然調達できなくなったり
・・・
今でも日々様々なことが
起こり続けていますが
それでも
後悔だけはしないで
生きていきたい
と前を向いて歩み続ける
友理恵さんの生き方
とてもクールですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 小川聡子さん(JR九州クルーズトレイン本部) [ビジネスパーソン (女性)]
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今しかできないことに
チャレンジしたい・・・
=============
1泊2日で
ひとり65万円から
3泊4日で
最高170万円という
高額コースながら
世界中から
応募が絶えない
豪華寝台列車
JR九州が
社運をかけて投入した
「ななつ星」
の責任者として
活躍されている
『小川聡子』
さんの言葉です。
小川さんは
1970年福岡県の生まれ
その後
福岡にある短大を卒業すると
1990年に
日本航空に入社
国際線の
キャビンアテンダントとして
活躍されていました。
しかしそんな中、
飛行機の中にずっといると
空調も整えられていて
いつが春で
いつが秋で
っていうのが飛んでしまう。
日本が大事にしてきている
四季の変化を
自分の体で体験したい!
そんな想いが
日を追うごとに
強くなっていくと
入社17年目で
日本航空を退職し
自然の中での暮らしを求め
熊本県阿蘇市に移住を決意。
自然だったり
食だったり
繋がりだったり
あったかい風土が
どこへ行っても同じ感じ
まさに
理想の場所でした。
様々なチャレンジを重ねながら
充実した日々を過ごす中
移住後6年が過ぎたころに
聡子さんにとって
大きなニュースが
飛び込んできます。
世界一を掲げた
「ななつ星」
のクルー一期生募集のニュース。
阿蘇のまちで
まだやりたいことが
たくさんあったものの
世界一っていう
列車を作るチャレンジは
「今しかできない」
との想いからチャレンジを決意
そして今に至ります。
「ななつ星」
に乗車されたお客様の
感動ポイントして
単にお金をかけた
豪華な旅ではなく
九州の方々の
温かいおもてなし
と語る方が
とっても多いのが
最大の特徴の1つです。
聡子さん自身が
大好きだという
自然
食
繋がり
温かい風土
・・・
この「ななつ星」の
土台としてしっかりと
活かされているのですね。
阿蘇への移住
ななつ星への挑戦
こうした
今しかできないことへ
チャレンジする姿勢、
とても魅力的ですね。
誰にでもきっとある、
今しかできないこと。
皆さんなら
どのように向き合っていきますか・・・
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 伊堂寺まいさん(ラーメン店「芛堂寺」店主) [ビジネスパーソン (女性)]
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普通はイヤ。
唯一無二で
お客様の心に残ってほしい・・・
================
店の看板メニューは、
とろみあるスープで味わう
濃厚な鶏白湯(ぱいたん)
常連客からは、
「といかくおいしい!」
「おいしいしかでてこない!」
とまで絶賛される
至福のラーメン。
行列必至の人気店
「芛堂寺 (いぼうじ)」
の店主
『伊堂寺まい』
さんの言葉です。
まいさんは
和食店を営む
両親の元に生まれ
厨房に立ち続ける
父親の姿を見て育ちます。
高校時代に
お笑いコンビを結成
するなど
笑顔と明るさが
とても魅力的な女性です。
高校を卒業すると
アルバイトをしていた
ミスタードーナツへ
そのまま就職。
やがて店長を
つとめるまでに・・・
しかし
「25歳で自分の店を持ちたい」
という思いが膨らむ中、
つくばらーめん
鬼者語(おにものがたり)の
店主に声をかけられラーメンの道へ。
まいさんの
そのひたむきさが
店主に認められ、
修業わずか半年で
茨城・つくばに
現在の「芛堂寺」を
オープンされています。
日本全国には
約25,000店舗の
ラーメン店が
しのぎを削る厳しい世界
そんな中にあって
普通のラーメン屋で
終わりたくない。
やるからには
お客様から
「芛堂寺」
じゃなきゃダメだ
と言われるほどの
唯一無二の
存在であり続けたい
との想いから
3つのことに
徹底的に
こだわり続けています。
まず1つ目が
何と言っても
鶏白湯
の味へのこだわり。
普通であれば
原料を準備して
ていねいに熱を通して
できあがり
となりますが
まいさんは
こうしてできた
鶏白湯スープを
数日間冷凍させてから
再度過熱して使用される
ほどのこだわりよう。
こうした手間をかけることで
鶏白湯の深みが
ギュッと増すのだそうです。
こうした
こだわりのベースを
使った特徴あるメニュー
「深み鶏(鶏白湯)」
「濃厚つけ蕎麦」
・・・
はもちろんのこと
日々数種類用意している
限定メニューは
いずれも絶品で大人気。
そして2つめが
替え玉など含めた
変わりメニューへの
こだわりです。
多くのお店が
味噌、しょうゆなどの
限られたスープカテゴリーの中で
ネギやチャーシュー、
煮卵などの
限られた食材の工夫を
掛けあわせる中、
まいさんは
独自の発想で
普通のラーメン屋にはない
独創的なメニューを
日々研究し提供されています。
一例をあげてみると
「冷製和出汁~トマトジュレ~」
「トマトのイタリアンつけ蕎麦」
「ピリ辛トマト麺」
「濃厚ジェノベーゼ」
「熟成あん肝味噌仕立て」
「冷製サーモンチャウダー」
「冷製クリーミー檸檬」
・・・
味の志向性が近い
限られたお客様だけではなく
どのような方が
来られても楽しめるように
との強い想いの表れだそうです。
そして3つ目のこだわりが接客。
あえてカウンターのみの
店構えとして
お越しいただける
お客様との対話を
とても大切にされています。
古い業界にありがちな
ラーメン屋はこうあるべきだ!
といった
型にはまる(have to)ことなく
「自分はこうしたい!」
(want to)
という自分のやりたいことを
している日々が
とっても
楽しいと言われています。
これまでの
ご自身の過去を振り返り、
どんな環境でも楽しむ
そんな生きる力が
自身の人生を
豊かにしてくれていると
まぶしい限りの
笑顔で語らています。
我慢するばかりの
人生ではなく
楽しむ人生
こんな視点で
自分の人生を
充実させていく姿
とても 魅力的ですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 渡辺愛香さん(宮崎市ぎょうざ協議会会長) [ビジネスパーソン (女性)]
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宮崎県を
"ぎょうざ県"にしたい!
=============
ギョーザと言えば
宇都宮や浜松の
イメージが強い中
2021年
ダークホースだった宮崎市が
支出金額日本一の座に輝き
ギョーザ界に衝撃が走ります。
その大逆転劇の立役者であり
宮崎を”新・ギョーザ日本一の街”
へと導いた
『渡辺愛香』
さんの言葉です。
愛香さんは
1981年宮崎市の生まれ
愛香さんが
15歳(1996年)のとき
愛香さんの父親が
ギョーザの製造販売を行う
有限会社アピールを創業。
今でこそ様々な場所で
宮崎県産の餃子を目にしますが、
当時、宮崎市の
スーパーに並ぶギョーザは
ほとんどが県外産。
宮崎の方々に
宮崎のギョーザを
味わって頂きたい!
そんな想いからの
創業だったそうです。
その後
順調に売り上げを伸ばすものの
2014年(愛香さん33歳)
その父親に胃がんが見つかり
胃の3/4を切除
以前のように
働くこともできず
廃業するしかないと
思い悩んでいた時に
当時、
人気ラーメン店:屋台骨を
経営されていた田中社長が
声をかけて下さり
事業継続できることとなりました。
このタイミングで
愛香さんも屋台骨に
パートとして入社し
新設された餃子事業部での
仕事を始められています。
田中社長からは
毎日のように
優しく声をかけて頂きます。
自分でお客さんが
喜んでくれるような
プランを考えて、
一花咲かせてみらんね?
ギョーザに使う
野菜や肉はすべて
宮崎県産を使用
ギョーザで使用する食材は
小さく切るので
不揃いや不格好な野菜でも
使用が可能
こうすることで
農家の皆さんにも
貢献したい
こうした努力を重ねる中で
屋台骨のギョーザの人気が
ドンドン高まっていきます。
父親の創業の想い
事業を継続させてくれた
田中社長への感謝
農家の皆さんへの想い
・・・
こんな想いから
宮崎県を"ギョーザ県"にしたい
という想いが年々強まり
2020年に
宮崎市ぎょうざ協議会会長
に就任すると
持ち前の
負けん気と行動力で
様々な仕掛けを行い
2021年見事に
宮崎市を日本一の座へと導きます。
今では、
・屋台骨の専務取締役
・宮崎市ぎょうざ協議会会長
・2児の母親
などと忙しくも
充実した日々を送る中で
愛香さんはもう1つ大切な
役割を担われています。
それは胃がんを経験したのち
認知症をわずらう
最愛の父親の面倒をみること
今の自分があるのは
何と言っても父親のお陰
病気のため
自分の言葉を理解して
もらえていないかもしれないが
今、自分にできることを
することで
感謝の気持ちを表したいと
語られています。
ご自身の子供たちには
どんな分野でもいい
1番を目指しなさい!
と教育されているようです。
頑張った結果
残念ながら1番に
なれなかったとしても
そのプロセスが
成長につながる。
そんな想いからの教育。
宮崎市の
2年連続一位を目指して
日々、
孤軍奮闘されている
愛香さんの行動力、
とても魅力的ですね。
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今週の名言 : 南しずかさん(スポーツフォトグラファー) [ビジネスパーソン (女性)]
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どういう自分で
ありたいか
を大切にしたい!
===========
23歳の時に
写真を学ぶために
ニューヨークへ武者修行
その後は
アメリカの有名写真誌で
年間大賞を受賞するなど
スポーツフォトフラファーとして
活躍されている
『南しずか』
さんの言葉です。
1979年
東京都の生まれ
車のナンバー
野球の打率
など
小さい頃から
とにかく「数字」が大好きで
根っからの理系気質
東海大学では
航空宇宙学科で学び
卒業後は
エンジニアを目指します。
そんな中、
大学時代の恩師が
ドキュメンタリー番組の
密着を受けることになり
南さんも
サポート役を任されます。
これまで
エンジニアになることしか
頭になかったものの
こうした
人の人生のストーリーや
人の感情を追いかけるような
仕事にも
興味を抱くように
なっていきます。
答えが変わることのない
「数字」の世界に
人によって
答えの異なる
「フィーリング」
をかけ合わせることが
できたら
とっても楽しそうだな。
心がワクワクしそうだな。
もしかしたら
「カメラ」だったら
それが実現できるのでは・・・
そう感じた南さんは
写真を学ぶために
ニューヨークへと向かいます。
その後
スポーツフォトグラファー
として活躍する中で
他のカメラマンとの
違いとして
最も意識し続けている点は
その人の「表情」を撮りたい
その人の「ストーリー」を伝えたい
ということ。
例えば、
大谷選手がホームベースに
スライディングして
得点をあげるシーン
ほとんどのカメラマンは
滑り込んだ瞬間の写真を
撮りますが
南さんは
その後立ち上がり
嬉しそうに
雄たけびをあげるシーンを
撮影します。
南さんは
スポーツ選手の
こうした感情だけではなく
ご自身の感情に
向き合うことも大切にされています。
その結果、
スポーツだけではなく
世界中のお祭りの撮影にも
精力的に向き合っています。
それはズバリ、
撮っていて自分が楽しいから
自分がワクワクするから。
選手の表情を撮りたい
自分のワクワクする
祭りを撮りたい
こうして
自分がこうありたいと
思うことに
継続的にチャレンジを
重ねている姿勢は
とても共感が持てますね。
そして南さんが
こうありたいという想いで
今、無償で
取り組んでいる
ことがあるそうです。
それは
コロナで思う存分に
練習や試合を
行うことのできない
学生スポーツ部の皆さんを
写真家として
応援すること。
『GIVE & TAKE』
スポーツや祭りの写真は
いわゆるTAKEばかり
海外のプロのスポーツ選手は
みな慈善活動(GIVE)を
行っている。
そんな姿を見て
すごいなと言っているだけではダメ
自分で何かできることが
ないかなと思って
今の活動を
始められているそうです。
いずれの活動も
そのど真ん中には
南さん自身の
自分はこうありたい
がありますね。
こんな南さんの生き方
とても素晴らしいと感じます。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 柗井のの子さん(花火師) [ビジネスパーソン (女性)]
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自分のやりたいことを
がむしゃらに
そして、繊細に・・・
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創業123年、
伝統を守りながら、
新しいものを
生み出し続ける
花火の職人集団
「伊那火工 堀内煙火店」
花火の世界大会
日本代表になるなど
数々の実績と
お客様に感動を与え続ける
この会社で
女性花火師として
活躍されている
『柗井のの子』
さんの言葉です。
高校生くらいまで
ずっと花火屋さんになりたかった
というのの子さんですが
高校を卒業すると、
花火師とは関係のない
多摩美術大学に進学
ここで
デキスタイルデザイン
(布関係のデザイン)
を学ぶと
大学卒業後は、
使うためのものでなくても、
存在しているだけで、
価値のある布。
そんな布に惹かれ、
ずっと布関係の作品を
手掛けていました。
そんな自分の作品を介して、
出会える人がいることは
とても贅沢なことだな、
とても幸せなことだな
だからこそ
魅力あるものを創りたいし
こんな自分の人生は
いい人生だなと
感じる日々でした。
テキスタイルデザインの
作品を創って展覧会に出し、
いくばくかのお金をいただき、
でもそれでは足りず、
アルバイトをかけもち。
こんな生活を送りながら
のの子さんが
30歳を迎えるタイミングで
ふと、
「この人生をずっと進んでいくのかな?」
と考えたとき、
以前、自分が
「花火屋さんになりたい!」
って思っていたことを思い出します。
すると
すぐさま行動に。
アルバイトを募集している
花火店を検索し、
最初にヒットしたところに
「アルバイトをさせてください」
とお願いにいったのが
何を隠そう今の会社だったのです。
花火師として
一人前になるのに
10年かかると言われています。
さらに
この花火師の世界は男性社会
女性でしかも30歳の年齢での
チャレンジは異例。
それでも
自分のやりかった花火師の仕事
早く仕事を覚えて
早く一人前になりたい
男性花火師にはない
自分らしさを磨いていきたい
こんな想いから
基礎を徹底して磨くこと
さらには自分らしさとして
「繊細」な色合い
「繊細」なコンビネーション
の花火を作ることに
拘るようになります。
たくさんの写真をとり
毎日の反省花火日記をつけ
時間があれば
世界中の花火を
動画でチェックし
がむしゃらに
基本と繊細さ(自分らしさ)
を追い求めます。
そして
夏場はイベントが続き
ほとんど休みもない日々が
続くことから
仕事のオンとオフの切り替え
心と体の健康のため
食事や睡眠は
もちろんのこと
自分がリラックスできる
環境を整えること
も 大切にされています。
一人前になるのに
10年かかると言われている
この業界にあって
わずか5年で
一流の花火師の仲間入りを
果たしている
のの子さんは
とても威力的ですね。
今では
のの子さんの所属する
伊那火工堀内煙火店の
花火が一番好き
のの子さんの
花火が大好き
こうした花火ファンも
いらっしゃるそうです。
自分がやりたいことを
自分らしくやり続ける
のの子さんの
こんな生き方
とてもクールですね。
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