今週の名言 : 川上裕さん(庭師) [その他]
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自分の想いが、
出会いを引き寄せる!
===========
フランスのモネ愛団から
世界で唯一
モネの名を冠することを
許された庭園
高知県北川村
「モネの庭」
マルモッタンにて
全体で3ヘクタールに及ぶ
庭の管理を担っている庭師
『川上裕』
さんの言葉です。
川上さんは
1961年高知県の生まれ
5歳の時には
庭に小さなマイガーデンを持ち
山の草花を育てていました。
そして中学生の時になると
NHK趣味の園芸を
見るのが趣味といった
園芸大好き少年でした。
高校卒業後は
両親と同じ農家に
なるつもりでいましたが
公務員のような
もっと安定した職に
就いてほしいと
両親からは大反対
やむなく
公務員を目指すべく
大学受験を試みます。
しかしなかなか
思うような結果が得られず
3年連続して失敗
大きな挫折を味わいます。
ついに大学はあきらめ
地元の銀行に就職
なんだか空しい日々が
つづく中
自分には生きる価値が
あるんだろうか?
そんなふうに思う時期も
あったそうです。
やっぱり園芸をやりたいと
35歳のときに
造園会社に入社
必死になって
仕事に取り組む中で
42歳に庭園の
管理責任者を任されるまでに
なっていきます。
ここで川上さんにとって
人生が大きく変わる
出逢いが訪れます。
それまでモネには
全く興味がなかったものの
フランス・ジヴェルニーにある
モネの自宅庭園の写真を見て
衝撃が走りました。
庭づくりに対する自信が
打ち砕かれた瞬間でした。
これはとてもかなわない。
これはとても勝てない。
それでもこの庭に魅了された
川上さんは
何度もフランスを訪れ
モネの絵画にある色彩や
光・空気感などを学ぶとともに
その庭の管理をされていた
庭師ヴァエさんの仕事ぶりに
感服していきます。
モネの家の庭師として
高い美意識を学び
モネの研究を重ね
庭師としての信念を抱き
妥協しない仕事ぶり
この出会いがあったからこそ
今の川上さんがあると
言い切られています。
同じ業界の中で
最高水準の人
最高水準の現場
に行くことで
自分の意識と行動を
高めていかれたのですね。
川上さんが
管理されている
北川村
「モネの庭」
マルモッタンでは
1000種類
10万本の花が咲き
気温の関係で
フランスでは咲かすことの
できない
青い花を咲かせる
スイレンが人気だそうです。
以前、お客様からは
単なるモノマネの庭
お金を払う価値がない
などと
厳しい意見が多く
ここまでいばらの道でしたが
こうした努力が認められ
2015年には、
フランスの芸術文化勲章
「シュヴァリエ」
を受賞されています。
どんな世界でも
レベルの高い人
レベルの高い場所
に近づいていくことで
自分の成長につながげて
いくことができますね。
高知県に訪れた際には
ぜひ立ち寄ってみませんか・・・
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 川名佳さん(ネイバーファーム代表) [ビジネスパーソン (女性)]
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最高に自分らしく、
主体的に生きる!
===========
もともと日本では
都市部を中心に存在する
生産緑地の持ち主から
土地を借りて
農業を始めることが
税制上困難でした。
しかし
2018年の法改正で
それが可能になると
これにすぐさま反応し
都市農地を借りて
農業を始めた第一号として
今、注目を集めている
ネイバーファーム代表の
『川名佳』
さんの言葉です。
<ネイバーファーム>
1991年生まれ
幼少の頃は
父親の仕事の関係で
アメリカや
オランダなどの海外暮らし。
15歳から
東京都日野市で暮らし
国立高校
東京大学文3
へと
進学をされています。
学生時代に
発展途上国での
ボランティアや
スラム街で
ホームステイをする中で
関心が高まった
貧困問題について
勉強をしてみると
農業生産が
ちゃんとできていないことが
その根本にあることを
学びます。
まさに農業は
人類にとって
基本となる産業
一方で
貧しい農村に行っても
農業とともに生きている人の
生活は経済的には
確かに貧しいものの
笑顔で食を楽しむ姿など
佳さんの目には
とても豊かに
映ったそうです。
そして農業をもっと
学びたいとの想いから
文系から
農学部に転部され
多くの同級生が
有名企業の研究室などに
就職する中
消費者が見えるところで
農業をやりたいという気持ちで
地元での独立を
目指されていたようです。
大学卒業後は
農業系のベンチャー企業に就職
しかしその企業では
自分がやりたかった
地元東京ではなく
地方での農業が
中心だったことから
ここで独立を決意
職を失ってからは
収入がほとんどなくなり
また
周りと自分を比較してしまうなど
マイナスな感情になることも
ありましたが
それでも近くの大規模農家で
働きながら
農業を学んでいた時に
法改正があり
ネイバーファーム
を立ち上げます。
郊外に広い土地を
持つのではなく
本当に
都市型農地でも
成功するのか
日本の農業関係者の
注目が集まる中
私が成功しないと
この後に誰も続かない
必ず成功させる
との強い想いで
日々奮闘されています。
朝採れの
味の濃いトマトを
そのままスーパーに納入
ハウスは
土ではなくヤシがら培地で
野菜を育てる
ハウスに雑菌などを
入れないよう
靴からスリッパにはきかえ
土足厳禁
白いシートをひいて
光合成の効率を高める
肥料のバランスや
生育状況を
すべて数字で管理
これらの積み重ねが
地域でも評判の
美味しい野菜作りに
つながっているのですね。
また野菜の
自動販売機の設置にも
挑戦し
多い日には200袋が
売れるようです。
まだまだ
大きな収益には
繋がっていませんが
都市型農業の
第一号成功者となれるよう
日々挑戦が続いています。
自分がやりたいことだから
毎日が楽しい!
いつも
明るくこう語っている姿は
とてもクール!
ぜひお近くの方は
佳さん自慢のトマトを
試してみたいですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 坂本紫穂さん(和菓子作家) [ビジネスパーソン (女性)]
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いつかではなく
今、やる!
==========
店を持たず、
レシピ本も出さない。
主たる仕事場は、
自宅の小さなキッチン
10年ほど前から
独自の和菓子を
SNSで発信するとともに
企業などの依頼で
和菓子の監修や
新商品開発を請け負う
フリーランス
自称:和菓子作家
『坂本紫穂』
さんの言葉です。
1982年
栃木県宇都宮市出身
大学卒業後、
六本木ヒルズ22階に
オフィスを構える
IT企業で
コンテンツのプランニングや
プロデュースなどの
業務に携わります。
好きで入った業界でしたが
いざ働き始めてみると
徹夜することも当たり前
なかなか思うように
仕事もはかどらない
寝不足×実力不足
で体調を
崩してしまいます。
休職ののちに
退職することを決意。
心の中では
負の感情が渦巻いていました。
何て自分は弱いんだろう
あーゼロベースに逆戻り
(涙)
自分らしく働くためには
どうすれば良いの?
と葛藤する日々を
送っていた中で迎えた
28歳の誕生日
夢の中に突然、
紫色の和菓子
が出てきたんだそうです。
和菓子とは
人の感情とか
感受性を映すもの
もしかたしたら
自分の弱いメンタルが
お菓子のアイデアに
活かせるんじゃないか
もしかして、
もしかしたら、
これが私の仕事に
なるのかもしれない。
と直感的に
感じたそうです。
そして、
和菓子を仕事にしようと
決意した一番の
きっかけが
2011年の
東日本大震災
一番やりたいことを、
今やらなくては!
との想いからでした。
店を持たず、
レシピ本も出さない。
こんな中で
仲間の応援もあり
人を紹介して頂いたり
お菓子を食べてもらえる
場をつくって頂いたりする中で
こういった繋がりを
大切に受け止め
ベストを尽くし続けることで
今の自分がある
と言われています。
紫穂さんの育った環境を
振り返ってみると
7歳年下の妹が
乳製品のアレルギーのため
一緒に和菓子を
よく食べていました。
また母親が料理好きで
季節の新鮮な素材を
使いながら
楽しい食卓を
囲んで育ちました。
大好きな祖母は
四季の彩にあわせて
庭の手入れをするなど
まさに
和菓子に適した環境で
育ってきていたんだと
過去を振り返られています。
現在では
和菓子つくり教室を
開催すると
すぐに満員
宗家源吉兆庵との
コラボ商品の展開
日本中のお菓子屋さんの
商品開発など
まさに自分が心の奥底で
やりたいと思っていた仕事で
充実した
日々を過ごされています。
さて皆さんはいかがでしょうか?
今の環境を変えたい
と思いつつも
もう少しあとにしとこう
などと後回しの習慣が
ついていたりしませんか?
いくつになろうとも
これからの人生の中で
今日が最も若い日
いつかやる
ではなく
紫穂さんのように
今、やる
でいきたいですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 稲村克子さん(中川学生寮 寮母補佐) [ビジネスパーソン (女性)]
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幸せいっぱい
腹いっぱい!
========
東京・足立区の下町にある
家族経営の学生寮
◆低料金であること
◆面倒見の良いこと
◆腹いっぱい食えること
◆アットホームであること
掲げている4つのモットーに
とことんこだわる運営が
学生にはもちろんのこと
学生の両親からも
とっても評判が高い
中川学生寮の
寮母補佐である
『稲村克子』
さんの言葉です。
もともと
この中川学生寮は
当時教師をしていた父親が
学生が勉強だけに
集中できる環境を
整えてあげたいとの
想いから
立ち上げた寮でした。
今では
マンションとアパート計6棟で
90部屋を構えています。
あったかいものって
どうやったら
学生に伝わるんだろう
自分がやり続けられることは
親のつもりになって
やりきろう
そんな想いで
これまで走り続けて
こられました。
7時~の朝食にあわせて
毎朝5時半からの調理
7時前に寮を出ていく
学生のために
別メニューを用意
朝が苦手な学生には
朝起こしのサービス
干したままの
洗濯物を見つければたたみ
ときには
アイロンをかけて
部屋の前におき
授業やアルバイトで
深夜に帰宅する学生には
部屋にお弁当を届けておく
また学生からの
悩み相談などもあるそうです。
そんな一日を終えて
帰宅するのは21時
今度は
自宅の洗濯物をたたみ
食器をあらい
様々な
家事を行います。
そんな克子さんですが
自分自身の心と体の健康を
保つ習慣も
大切にされています。
毎晩自分の大好きな
赤ワインを1本飲むこと
お昼前後の隙間時間を
活用して
週に5日テニスをすること
そんな克子さんが
学生のために
最も大切にしていること
それは、
おなかいっぱい
食事を食べてもらうこと
幸せいっぱい
腹いっぱい
毎週(月)は
カレーでスタート
カレー嫌いの学生は
いないはず
気分よく1週間を
スタートしてほしい
そんな想いが
込められています。
学生の希望にあわせた
食材の組み合わせや
ときには
バイキング形式でなど
学生からも
とても喜ばれています。
そして
感謝の気持ちと
名残惜しさを浮かべながら
寮を出ていく
学生に必ず伝えること
「ご両親に感謝してネ!」
この寮の創設者であり
認知症で介護施設に入っている
父親に対する
想いも込められているのかも
しれません。
自身の心と体の健康を
整えながら
こういう「寮」でありたい
と定めた4つのモットーに
こだわり続ける
克子さんの生き方
とってもクールですね!
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 笠原忠清さん(せんべい職人) [その他]
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10人の人に買って頂くより
1人の人に
10回買って頂きたい!
==============
東京・新宿の NEWoMan
「ココルミネ」
東京駅
「日本百貨店とうきょう」
代官山のテノハ代官山
「& STYLE STORE」
など人気エリアでの
取り扱いに加え
「星野リゾート」
からもコラボ商品の依頼が
舞い込むなど
今、 日本で最も人気の
おせんべい
「SENBEI BROTHERS」
を製造するせんべい職人
『笠原忠清』
さんの言葉です。
忠清さんは1977年
祖父の代から続く
せんべい工場の次男として
東京下町に生まれます。
精米度の高い
米を使用し
トコトン拘った
秘伝の醤油ダレで
味をつけるなど
誰にも真似できない
美味しさが評判を呼び
当時から
高級せんべいとして
人気を博していました。
しかし
忠清さんが15歳のとき
父親が
くも膜下出血で倒れます。
何とか一命をとりとめ
一人で歩けるような
状態まで回復するも
大好きだった
せんべいが焼けない
くやしさや疎外感
自分の未来に対する
不安などから
やがてお酒におぼれ
家族にも手を出すように
なってしまいます。
そしてその数年後
お酒が原因で
亡くなってしまいます。
清忠さんが
18歳の時でした。
清忠さんは
その後何をする気もおきず
家族のもとを離れて
フリーター生活に入ります。
父親が倒れた直後、
叔父が工場を引き継ぐも
当時の日本は
長期にわたる不況
工場の売り上げも
1/5におちこみます。
8年間
フリーターをしていた
清忠さんは
ついに
せんべい職人になることを決意。
知識も経験も
ゼロの状態から
毎日毎日
せんべいを焼き始めます。
生地の乾燥の度合い
焼くときの微妙な温度かげん
その日の天候に応じて
焼き加減を調整するなど
自分でやってみて初めて
せんべいの奥深さを
思い知らされます。
借金が数千万円に
膨らむ中でも
万人にうけるような
誰もが好きそうな
せんべいを作っていては
大手メーカーに
負けてしまう
やはり
自分にしかできない
自分らしい
せんべいを作りたい
10人中1人だけしか
買って頂けないが
その方に
10回買って頂ける
そんなせんべいづくりに
こだわります。
そのためには
焦らず急がず
自分を信じ続け
地道にやり続けるだけ。
米を粒のまま混ぜる
醤油の香と味を
最も引き出すために
醤油をこがす
ギリギリを狙って焼く
秘伝の醤油ダレに
二度付けするときの
やり方の工夫などから
生み出された味が
やがて評判となり
今の大人気へと
つながっていきます。
日本人にありがちな
周りにあわせるのではなく
自分らしさへのこだわり
を抱きながら
地道にやり続けたからこそ
今があるということが
伝わってきますね。
さて皆さんは
いかがでしょうか?
自分の気持ちをおさえて
ついつい周りにあわせる
ことばかりを意識してしまったり
チャレンジはしてみるも
簡単にあきらめてしまうことも
ときにはあるかもしれません。
そんなときには
SENBEI BROTHERS
のように
個性×未来
の視点から
前を向いて歩んでいきたいですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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