今週の名言 : 筒井良太さん(線香花火職人) [ビジネスパーソン (男性)]
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周りとは異なる
自分の「個性」を!
===========
子供から大人まで
思わず見とれてしまう
線香花火
夏の風物詩として
今なお根強い人気が
あるものの
その99%は輸入品。
国内で製造している会社は
たったの4軒のみ
何としてでも
日本の伝統を
守り続けたいと
日夜、線香花火と
向き合い続ける
線香花火職人
『筒井良太』
さんの言葉です。
1973年 福岡県出身。
花火師の家系に生まれ
幼いころから
火薬で実験などして
遊んでいたそうです。
しかし
高校を卒業すると
外の世界を知りたいと
愛知県の
自動車製造会社に就職
3年後に地元に戻るも
実家の花火会社ではなく
当時日本で唯一
線香花火を製造していた
『隈本火工』に入社し、
線香花火作りの修行を始めます。
こうして『隈本火工』での
3年間の修行を経たのち、
いよいよ実家の
『筒井時正玩具花火製造所』
に戻るものの、
当時は
外国産の安い花火が
ドンドン日本に入り
このままでは
もう太刀打ちできない
状況でした。
この先どうしたらいいのか
考えぬいた先にあったのは
「差別化」
でした。
同じようなコストで
同じような花火を
作っていても
誰も自分の花火に
興味なんか示してくれない。
海外では作れない
国内でも自分にしか作れない
そんな線香花火を
作ろうと
10年もの歳月をかけて
必死になって試行錯誤を
重ねます。
火薬の配合の違いによる
花火の光の色、音、光り方の
研究を重ねます。
配合した火薬を
ワインのように
長期間寝かせることで
火花が安定し落ち着くことを
発見します。
さらには
長時間火花が
咲き続けるための
紙の拠り方を編み出します
そしてついには
伝統的な線香花火の
原料である
ワラにも最高のものを求め
米のためではなく
ワラのために
自身で田植えまで
始めてしまいます。
他にはない個性
自分らしい個性
周りと同じでない個性
だからこそ
線香花火では珍しく
セレクトショップでも
販売されるに至っています。
そしてもっともっと
線香花火の魅力を
伝え続けていきたいと
15年前に始めた
線香花火ワークショップも
大人気だとか。
こんなところにも
筒井さんらしい
個性があふれていますね。
ぜひ皆さんも
筒井さんのように
周りと違う自分を大切に
日々過ごしていきませんか・・・
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 竹下義樹さん(全盲弁護士) [ビジネスパーソン (男性)]
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僕の性格は、
諦めが悪いこと
===========
中学の時
所属していた相撲部での
ぶつかり稽古が影響し
網膜剥離で失明
その後
数々の苦難を乗り越えて
9度目の司法試験に合格し
日本人初の全盲弁護士となり
障害者や生活困窮者に
向き合い続けている
『竹下義樹』
さんの言葉です。
中学の時に
失明すると
高校は
石川県立盲学校に入学し
針灸、指圧、
按摩マッサージなどを学びます。
しかし
高校2年から3年生にかけて、
旧友たちと進路について
話をしていると
大学に行く子、
就職する子、
いろんな進路があるのに、
自分だけ
鍼灸マッサージの選択肢しか
ないことに愕然とします。
そこで
これまで全盲の人が
実現したことのない
弁護士
を目指すことを決意します。
しかし9回目での
司法試験合格までには
この場だけでは
お伝えしきれないほど
たくさんの
紆余曲折がありました。
今回はその中から
3つに絞りその内容を
紹介していきます。
まず1つ目は、
当時、全盲の人は司法試験を
受験できませんでした
何度もアポなしで
法務省を訪れ全盲の人への
受験資格を訴えますが
法務省の役人からは
つれない返事のみ。
まるで障害者が
お荷物扱いされているようで
くやしくてたまりません。
それでも 人を助ける
人間になりたい
障害者のような
1人の小さな声であっても
大事にできる
弁護士になりたい
そんな想いで頑張っていると
友人たちが
応援の輪を広げるための
冊子を次々と作り
学生や市民、法務省へ
送り続けていると
ついに夢が叶い
全盲の人の受験が
認められました。
次に9回目での
司法試験合格までの
紆余曲折の2つ目です。
1回目、2回目ともに試験不合格
この原因は明らかでした。
目で文章を読むのと
点字で読むのとでは
2~3倍程度の
スピード差があると
言われています。
竹下さんのことを
応援してくれていた
先輩弁護士の方が
マスコミに訴えようと
提案してくれたことが
きっかけとなり
3回目の試験からは
時間延長での受験が
認められます。
とはいうものの
当時の司法試験合格率は
わずか2%
点字用の教材も
ほとんど皆無
ここでも仲間たちが
竹下さんを助けてくれます。
六法全書などの法律書などを
全部点字に起こし
その数なんと200冊
いかに
竹下さんの熱い想いが
周りにも伝わっていたかが
分かりますね。
そして9回目での
司法試験合格までの
紆余曲折の最後3つ目です。
家計が火の車!
当時、
結婚されお子さんも二人
毎日マッサージの
アルバイトを何時間も
やりながら
受験勉強を
続けるも
時間が足りない
生活費が足りない
そんな中でも
「夢をおいかけてほしい」
という奥様の強い後押しが
竹下さんの
頑張りにつながっています。
後年、
ご自身の人生を振り返り
次のように語られています。
日本全体が
障害者に偏見を持っている
時代だった
障害者だって
努力すれば夢が実現する
環境を作りたかった
とにかく
あきらめの悪いところが
僕のいいところ(?)
挑戦こそが
我が人生
自分の病気や障害で
自分に自信を持てなかったり
マイナス思考に
なってしまったり
ときには悩んだり
人生をあきらめたり
している人も少ないと思うが
自分がやりたいことを
いかにやるか
で考えた方が
人生は楽しいよ。
竹下さんの合格以降
新たに3名の
全盲弁護士が
誕生されています。
ぜひ皆さんも
竹下さんのメッセージを
胸に
自分の夢を抱き
いかに実現するか
そんな
人生を歩んでいきたいですね
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 佐藤涼子さん(ボイストレーナー) [芸能人 (女性)]
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自分を見失ったら、
自分の大切な人を
思い出す…
==========
Mr.Children
桜井和寿
SEKAI NO OWARI
Lisa
など
名だたる
トップアーティストが
絶大なる
信頼を寄せる
ボイストレーナー
通称:りょんりょん
こと
『佐藤涼子』
さんの言葉です。
過去10年間で
NHK紅白歌合戦に出場した
担当アーティストは
その数なんと
60人以上にのぼります。
涼子さんは
まさに日本を代表する
ボイストレーナーなのです。
しかしそんな涼子さんも
今に至るまでには
まるでうまくいかない
人生の連続でした。
もともと音楽に強い関心を
抱いていたことから
国立音楽大学
声楽科に進みます。
そしてその当時抱いていた
将来の大きな夢は
ミュージシャンとして
メジャーデビューを果たすこと。
そのため卒業後も
オペラスタジオの
研究生として学びながら
数多くの
オペラの舞台にたつように
していると
その間何度も
芸能プロダクションから
メジャーデビューの
話を頂きます。
しかし最終的には
消えていってしまうことが
続いてしまいました。
あーやっぱり自分には無理かな?
そしてそんな矢先、
20代の後半には離婚
どうして私って
こんな人生なんだろう・・・
もう苦しくて
何にも面白くない
後ろ向きな
感情ばかりが浮かんできます。
そんな時
藁にもすがるつもりで
スピリチュアルの
先生にっみてもらったら
メジャーデビューではない
道に進みなさい。
「えーっ、何で!」
思わず涙がこぼれてきます。
夢を諦めたくない自分
将来に不安を抱える自分
そんな時に
周りの人々の導きもあり
ミュージシャンをあきらめ
ボイストレーナーの道を
本格的に
目指すようになります。
今こうして
日本のトップを走る
涼子さんが
他の ボイストレーナーにはない
大切にしている軸があるそうです。
それは 「人間力」
言葉を変えると「心・技・体」
を磨くことを
大切にするということ
涼子さんのもとには
日々、内面に悩みを抱える
アーティストが
数多く訪れます。
涼子先生!
私の個性って何でしょうか?
もう自信が
なくなりました・・・
まるで
自分の過去とも重なる
アーティストたちに
歌う技術だけではなく
個性を一緒に探す
ことを大切にされています。
自分の個性
人間力
心・技・体
自分らしい道を見つけるために
悩めるアーティストたちに
まず初めに
投げかけているのが
まさしく
冒頭の言葉
自分を見失ったら
自分の大切な人を
思い出す!
涼子さんも
ご自身の過去を次のように
振り返られています。
父親がJAZZ好きで
家庭の中ではいつも
音楽が流れていた
山形の実家は
造り酒屋で
町長や町の人たちが
実家に集まり会議
そのあと
決まって行われる
宴会で
皆さんの前で
歌を歌ったり
お酌をしたり
・・・
自分が
音楽好きになったこと
みんなのために
貢献することに
楽しさを感じること
自分の原点は
育った環境にあるんだな
と感じると。
そんな涼子さんは
悩めるアーティストたちに
次のように投げかけるそうです。
今の自分は
「自分の念(考え方)」
でできている。
変えたくない人は
無理に変わらなくても
いいと思います。
でも
自分を変えたいなと
思う人は
何歳になっても
変えられます。
もし何か今の自分に
モヤモヤしているなら
あなたの小さい頃のことを
思い出してみてください。
それから
自分の周りを見つめること。
まずはこれから
始めてみましょう。
今売れている
アーティストたちも
そこから
取り組んだ人ばっかりですから!
なんだか
心がほっこりと安らいできますね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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今週の名言 : 朝倉誠二さん(パン職人) [ビジネスパーソン (男性)]
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自分で望むことは、
本気でとりにいけ…
===========
一度食べたら癖になる!
やめられない!
自家製天然酵母の力で
できあがるパンの
得も言われぬ深み
店の前には
連日行列ができるほどの
人気店
ブーランジェリー
セイジアサクラ
のパン職人
『朝倉誠二』
さんの言葉です。
パンマニアが選ぶ
パンオブザイヤーにて
2014年バケット部門
2015年カレー部門
で金賞を受賞。
連日全国から
これらのパンを求めて
朝倉さんの店を
訪れます。
レーズン
ゆず
ホップ
ていねいなつぎたしを
重ねながら
大切に育てた
3種類の酵母種を
パンの種類に応じて
使い分ける
こだわりが
他の追随を許さない
おいしさを生み出します。
朝倉さん曰く
針に糸を通すような
一番おいしいところがある
日々そこを
見つけていくとに
集中されているのだと。
一口食べたときの幸せ感
食べるたびに感動
お客様からも
絶大な評価を頂いています。
そんな朝倉さんが
パンと出会ったのは
高校生の時
たまたま
自宅近くにあった
製パン屋で
アルバイトを始めると
パンづくりの楽しさに
取りつかれていきます。
高校を卒業すると
そのままその店に就職。
ますますパンに対する
想いが深まる中で
26歳の時に
新たな行動をおこします。
もっと腕を磨きたい
フランスパンの本質をつかみたい
何のコネもあてもないにも
関わらず
フランスへと渡ります。
そして
フランスの有名店で
働きたいと
超人気店に
飛び込みで 頼み込みます。
有名店だけあって
現地のフランス人でさえも
この店での研修待ちが
たくさんいるなか
ましてやフランス語も
しゃべれないやつなんか
雇えるか
としごく当然の結果に。
それでも朝倉さんは
諦めることなく
自分の仕事ぶりを
アピールすると
なんとその姿に共感が得られ
「明日から来い」との返答
そこから 3か月間
無給かつ無休の
就業を受け入れて頂きました。
さらにはここでの
働きぶりが評価され
今度はかの メゾン・カイザーの
新ブランド店から声がかかり
こちらは 給料を頂きながら
社員として仕事をされています。
当時を振り返り
朝倉さんは次のように
語られています。
自分で望むことは
本気でアピールして
本気で
取りにいくことが大事
ただ望んでいるだけでは
ダメなんです。
フランスで3年間の
修業を重ねた朝倉さんは
日本に帰国すると
本気で勝負したいとの
想いから
自分の名前を
前面にだした店名で
お店をオープン
その結果は
先に紹介をした通りです。
さて皆さんは
いかがでしょうか?
こんなことができたらいいのにな
こんな人生を歩みたいな
自分なりの
夢や希望を抱いている人も
少なくないのではないでしょうか?
限りある人生
ぜひ朝倉さんのように
本気で取りに行きたいですね
成功はもちろんのこと
仮に残念な結果に
終わったとしても
必ず将来の
財産となること間違いなしです。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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