今週の名言 : 斎藤まゆさん(醸造家) [ビジネスパーソン (女性)]
スポンサードリンク============
こんな人生を
送りたい…
============
日本のワインが
これほどおいしいとは・・・
国際線の ファーストクラスでも
採用されるなど
世界が認める
ワイン醸造家
『斎藤まゆ』
さんの言葉です。
まゆさんは
1980年福岡市の生まれ
小さい頃から
好奇心旺盛で
バレイやピアノなど
興味があることには
すぐにチャレンジするタイプ
15歳になると
海外生活に興味を抱き
アアメリカの高校に入学
そして大学卒業後は
お笑い芸人になろうと
お笑いサークルが有名な
早稲田大学に入学
しかし
大学2年生の夏休み
様々なチャレンジを
重ねてきた
まゆさんにとって
これまでにない
衝撃をうける出来事が
ありました。
それは他の大学の
学生とともに出かけた
フランスを巡る
2週間ほどの旅
ボルドー地方にある
老夫婦が経営する
シャトーでのことでした。
ちなみにシャトーとは
ブドウ畑を所有し
栽培、醸造、熟成、瓶詰までの
ワインの製造を行う
ワイン生産者に与えられる名称
晴れやかな気候の中で
穏やかに微笑みながら
ブドウ畑で
自分たちのワインを
ふるまい
学生たちとにこやかに
言葉を交わす姿に
心を奪われます。
自ら命を絶ってしまった
身近な同級生がいたこともあり
生きることについて
とっても迷っていた
時期でもありました。
ワインづくりという
ひとつの仕事をしながら
年を重ねてきた
おばあちゃんを見たときに
素敵だなという
感情が湧いてきたそうです。
あのおばあちゃんみたいに
なりたい!
と思い立つと
両親の反対を押し切って
早稲田大学を中退
ワインをつくるなら
料理と栄養学の
知識が必要だと
自らアルバイトをした貯金で
専門学校に通い始め
調理師免許を取得
そして今度は
素人でも5年間で
ワインの専門家に育て上げる
体型的なプログラムのある
カリフォルニア州立大学
農学部ワイン醸造学科に入学
こうした行動力は
本当に素晴らしいですね。
将来は
世界を驚かせるような
ワインを作りたいという想いや
大学でのワインの学びなどを
日々ブログ(ブドウ畑の空に乾杯)
でつづっていると
突然「会いたい」と連絡が入り
わざわざアメリカまで
訪問してきた方がいらっしゃいます。
それが現在一緒に
ワインづくりに励んでいる
キスヴィン・ワイナリー
代表の荻原さんでした。
荻原さんも
山梨から世界を驚かせる
ワインを届けたい
という熱い想いを抱いており
そこでまゆさんのことを
ブログで知り
この人しかいないとの想いで
アメリカまで趣き
ワインづくりを依頼されたそうです。
世界のワインの名産地と異なり
日本は高温多湿な気候のため
ワインに適したブドウを
生産することが
とても難しいとされています。
それでも様々な工夫や
様々な技術を磨き続け
今でも日々
おいしいワインづくりに
没頭されています。
2017年のある日のこと
東京駅近くのレストランで
所用で来日していた
ワインの神様の異名を持つ
ジュエラール・パッセさんが
まゆさんのワインを
口にした瞬間
あまりのおいしさに感動
ほぼすべてのワインを買いたい
と依頼をされたようです。
これがきっかけとなり
まゆさんのワインが
世界でも知られるようになります。
現在シングルマザーとして
頑張っているまゆさんは
今のワイナリーで
働くようになって
忘れられないことが
あるようです。
それはお子さんを
身ごもった時のこと
まずは自分の幸せが大事だから
子供をさずかることに
遠慮しないように
伝えようと思っていたんだよ
と言ってくれた
仲間たちの存在
なんて素敵な
仲間たちに囲まれて
いるんだろう
こんな仲間たちのためにも
もっともっといいワインを作り
他でもない
この仲間たちに
喜んでもらいたい。
こうして
自分のやりたいことに
チャレンジをし続けることで
素敵な仲間
素敵な仕事
に出逢えた
まゆさんの生き方は
とても素敵ですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
<span style="font-size: 1
スポンサードリンク
今週の名言 : 竹脇まりなさん(ユーチューバー) [ビジネスパーソン (女性)]
スポンサードリンク=========
自分を全力で
ほめよう…
=========
コロナ禍にあって
一大ブームとなった
「宅トレ」
そんな宅トレ動画が
大人気を博し
登録者数 230万人
総再生回数 4億回
フィットネス動画で
日本一のユーチューバー
『竹脇まりな』
さんの言葉です。
同じフィットネス動画で
あっても
まりなさんの動画と
他の方との動画には
1つ大きな
違いがあります。
それは動画を通して
発信し続けている
メッセージ
自分が好きな自分で
あるために
自分を全力で
ほめよう!
自分らしさが
出ている状態こそが
その人にとっての
真の美しさ
幼少の頃
地元では有名な
インストラクターだった
母親が指導する教室で
ダンスを学び始めると
いいところを
たくさんほめてくれる
ダンスが
とても楽しかった一方で
あのお母さんの子なのに
ダンスがへたくそな自分
ダンスを楽しむことよりも
周りからよく見られたい
との思いから
わずか数か月で
教室を辞めてしまいます。
就職もとにかく地元を離れ
大手企業に就職
大手企業=自分の価値
こんな優越感を
抱きながらの生活
しかし
入社後しばらくすると
やりがいが見つからない
私はいったい何がしたいの
心の中の葛藤が
次第に大きくなり
やがて心と体がダウン
職場に通えず
部屋にとじこもる日々が
数か月続いた後に退職
もし仮に数か月後に
死を迎えるとしたら
今何を一番やりたいの?
夫からのこんな投げかけに
自問自答を重ねます。
海外旅行
豪華な食事
・・・
いろんなアイデアが
浮かんでは消えていく中で
最後に
行き着いたのが
お母さんみたいに
人を笑顔にできる
人になりたい。
でした。
その後、
アメリカ・インドなどで
本格的にダンスを学び
本格的な
資格をとって帰国。
さあこれからだと
意気込んで
様々なオーディションに
申し込むも
すべて落ちてしまいます。
あーやっぱり
私には何もない!
そんな思いでいる中で
偶然目にした
海外のダンス動画に
大きな衝撃を受けます
ダンスが下手だろうが
体型が太り気味だろうが
そんなこと
全く気にすることもなく
ありのまま堂々と
しかも心から楽しんで
踊っている姿
私は今まで
何と戦ってきたんだろう。
思わず涙がこぼれます。
批判を浴びることも覚悟で
ありのままの自分を
さらけだそうと
意を決して
ダンス動画を
ユーチューブで
配信してみると
これが一気にバズります。
素直にありのままの
等身大の自分を
さらけだす姿
ダンスを通して
私は私でいいんだという
数々のメッセージ
こんなまりなさんの想いが
見る人々の共感に
つながっているのですね。
人に良く見られたいとの
思いから
ダンス教室を辞め
地元から逃げ出し
就職した企業を退職
残念ながら
すべてのオーディションに
受からない
この過程で
自分自身と向き合ってきた
からこそ
ありのままの自分で
周りの方に元気を与える
自分であり続けたい
といった自分の軸が
醸成されてきたのですね。
皆さんも
ぜひまりなさんのように
自分らしさを大切に
自分を全力でほめながら
日々過ごしていきませんか。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
<span style="font-size: 1
スポンサードリンク
今週の名言 : 村上塁さん(靴修理職人) [ビジネスパーソン (男性)]
スポンサードリンク==========
やってみないと、
分からない…
==========
最愛の人からのプレゼント
大切な家族の形見
その人にとって
かけがえない存在の靴
損傷が激しく
このままでは履けないものの
持ち主にとっては
思いでの詰まった
唯一無二の靴
他店では断られるような
特別な修理を必要とする靴の
最後の駆け込み寺として
知られる
ハドソン靴店
靴修理職人
『村上塁』
さんの言葉です。
自分がこの先の人生で
本当にやりたいことは
何なのか?
大学生になると
様々な人たちと接する中で
真剣に考えるように
なります。
そんなときに
テレビで靴職人の
映像が流れてきて
興味を持ったことが
きっかけとなり
通っていた大学を中退して
靴の専門学校に飛び込みます。
いくらあれこれ
考えたところで
やってみないと
分からない。
そんな思いからの
行動でした。
当時、
専門学校に通いながら
ハドソン靴店でも
修業していましたが
早く現場で
やってみたいとの思いから
専門学校も中退し
ハドソン靴店に
本腰を入れることになります。
このときもまた
やってみないと
分からない。
こんな思いでした。
そんな中
村上さんの師匠でもある
ハドソン靴店の先代が
1991年に病気のため他界
先代の奥様から
お店を引き継ぐことを
頼まれます。
当時の靴業界では
立地が9割・技術が1割
と言われていた世界
お店の経営も
かなり厳しい状況の中
やはり
やってみないと分からない
の想いで引き継ぐことに。
それまでは
オーダーメイドの靴を
作っていましたが
このままではこの先
しりすぼみに
なってしまうとの
危機感から
靴の修理に特化した
ニッチな世界で
勝負をかけようと決意
どんな靴でも
修理できるよう
革の部材を特注し、
数100種類をそろえ
染色液も数100種類
模様を焼き付ける
コテだけでも
数100種類以上を常備
必要とあらば
数100万円の機材への
投資もいとわない
もちろん道具だけはなく
様々な技術を磨いていきます。
そして村上さんが
最も大切にしていること
それは
お客様の感動
単に技術で靴を
修理して終わりではなく
お客様の思い出を修復
お客様の笑顔
ここをゴールに定めて
日々修理を続けていること。
靴の修理様子は
こちらから↓↓
靴が大好きだった
息子の靴を形見として
自分が履き続けたい父親
写真も何もなく
唯一の形見である
父親の靴を
修復して自分が履きたい
息子
日々こんな依頼が
殺到しています。
こうして村上さんの
人生を振り返ってみると
冒頭の言葉の通り
とにかくやってみよう!
が行動の軸にあることが
分かりますね。
どうしたらいいのか
悩み過ぎることなく
やってみなくちゃ
分からない!
こんな人生を
歩んでいきたいですね・・・
こちらをクリック頂けますと幸いです。
<span style="font-size: 1
スポンサードリンク
今週の名言 : 本多正識さん(お笑い養成所講師) [ビジネスパーソン (男性)]
スポンサードリンク============
道を開くのは、
あくまでも自分たち…
============
ナインティナイン
南海キャンディーズ
ウーマンラッシュアワー
かまいたち
ゆりやんレトリィバァ
・・・
お笑い界を席巻する
数多くの人気芸人を
育ててきた
伝説の
お笑い養成所講師
『本多正識』
さんの言葉です。
東京と大阪で
将来を夢見る
若手芸人の
講師をつとめる傍ら
年間300日も
舞台をまわり
育っていった生徒たちに
現場で指導・アドバイス
さらには今でも
年間100本もの
お笑いネタをつくり
芸人に提供するなど
まさにお笑いに
人生のすべてをかける
本多さんの原点を
のぞいてみましょう。
1958年
大阪府生まれ
その後
厳しくつらい日々を
過ごすことになります。
5歳の時に
重い気管支喘息を患い
ほとんど学校にいけず
たまに学校に行くと
壮絶ないじめ。
さらには
家庭内での言葉の暴力。
しかもその後
さらに厳しい現実に
直面することになります。
17歳の時に
深刻な発作と頻脈
医師からは
命の保証ができないと
告げられてしまいます。
部屋にこもりっきりの生活
ただその日を生きる生活
朝目覚めることで
今日も生きていることを確認
俺の人生って
いったい何なんだろう。
こんな
先の見えない不安を抱える中
唯一の救いが
ラジオから流れてくる
お笑いでした
この時間だけが
唯一現実を忘れられる時間
精神的に逃げる場所でした。
漫才に生かされていた。
当時のことを
こう振り返られています。
やがて
漫才を書いてみたいという
想いが芽生え
だめもとで
ラジオ局に応募してみると
見事採用
まれて初めて
自分の力でお金を手にします。
人に認めてもらえたうれしさ。
いつなくなってしまうかもしれない
自分の命。
もう自分にはこれしかない。
周りの反対を押し切り
まさに命がけで
漫才作家を目指します。
人気芸人のネタをすべて
自分で原稿に書き起こし
ヒットの方程式を
探ったり
体調がすぐれない中
あらゆる劇場へ足を運び
笑いのポイントを
つかむなどする中
やがてその実力が認められ
オール阪神・巨人など
多くの芸人に
ネタを提供する
人気作家へと育っていきました。
今ではこうして
講師としての仕事をする中で
常に若手芸人たちに
かけ続けている言葉が
あるそうです。
好きなことをしいや
自分たちがやりたい道を
トコトン突き進め。
本多さんご自身の人生とも
重なるこの言葉の意味は
とても深いですね。
本多さんは講師として
芸人を育てるなんて
おこがましいと言われます。
人を育てるのではなく
人は育つもの
そんな後押しをするのが
講師の役割だと。
好きなことしいや
まわりと一緒じゃあかん
トコトンつきぬけや
ご自身の経験を
苦しんでいる人の役にたてたい
との強い想いから
いじめで悩む
小学生に向けて
書かれた本
「笑おうね生きようね」が
全国学校図書館協議会の
推進図書に選ばれています。
限りある人生
こんな風に生きていきたいですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
<span style="font-size: 1
スポンサードリンク
今週の名言 : 金子美明さん(菓子職人) [その他]
スポンサードリンク===========
「自分」が
何を出したいのか…
===========
大胆なアイデアと
繊細な技術から生まれる
古き良き
フランス菓子の伝統と
モダンの融合
今まで出会ったことのない
スタイリッシュさ×おいしさが
一般のお客さんは
もちろんのこと
業界を代表する
一流のシェフたちからも
完璧だと大絶賛される
洋菓子を提供し続ける
東京自由が丘
「パティスリーパリセヴェイユ」
オーナーシェフ
『金子美明』
さんの言葉です。
金子さんは
1964年千葉県の生まれ
小学生のとき
本屋で偶然出会った本
「ヨーロッパのデザート」
に引き込まれると
わざわざ電車に乗って
大きな書店に出かけては
高価なフランス菓子の
本を立ち読みしてワクワク
実際に自分で
お菓子をつくりワクワク
フランス菓子を
食べ歩いてワクワク
中学生の頃には
フランス菓子職人になる
夢を抱くようになります。
一方で自分の将来への
不安を感じる中、
結局、高校には進まず
何かしなくてはと
新聞配達を始めます。
そして 3か月ほどたったときの
友達との偶然の出会いが
人生の転機となりました。
わずか3か月しか
たっていないのに
高校に進学した友達がの
話す話題に
全くついていけませんでした。
これはヤバい!
何か「自分らしさ」を
身につけていかないと
世の中から
ほされてしまう。
こんな思いは
もう二度としたくない
このときの危機感が
きっかけとなり
洋菓子の世界に
進むことを決意
16歳でルノートルへ入社
しかし23歳の時に
デザイン事務所へと
転職するも
30歳の時に
再び洋菓子の世界に戻り
国内の複数の店舗で研鑽を積み
34歳の時にフランスにわたります。
3年半の間に7店舗で修業
38歳で帰国すると
パリセヴェイユのシェフに就任
その後 オーナーシェフとなり
自分の道を究めて
いくようになります。
自分のことを
「洋菓子バカ」
と呼ぶほど
洋菓子のことばかりを
常に考え続け
たゆまぬ探求心
妥協を許さない情熱
が現在の
金子さんの人気に
つながっています。
こんな金子さんが
最も大切にしていること
それが
冒頭の言葉
===========
「自分」が
何を出したいのか…
===========
とにかく
自分らしさにこだわること
自分にしかできない
世界観を作ること
これがあるから
お客様の共感につながるのだと。
菓子職人に限らず
様々な業界・会社の中でも
同じことが言えますね。
やはり
自分らしさって何だろう
自分は
どんなことで
輝いていきたいんだろう
かっこいい自分
ってどんな姿だろう
一人ひとりの
価値観に沿った
自分らしさ
にこだわっていきたいですね。
皆さんは
どんな自分らしさを
磨いていきたいですか…
こちらをクリック頂けますと幸いです。
<span style="font-size: 1
スポンサードリンク