今週の名言 : 長谷川裕也さん(靴磨き職人) [その他]
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「逆境」
なればこそ!
==========
その手先のあざやかさが
見る者をくぎづけにする靴磨き
本場ヨーロッパで開催された
靴磨きの世界大会では
圧倒的な評価で
見事チャンピオンの座を獲得
1足4,000円という
高値ながら、
どんな靴もピカピカに
磨き上げてしまう技術を求めて
お客さんが殺到する
『長谷川裕也』
さんの言葉です。
今では
東京・青山に
靴磨き専門店
「ブリフトアッシュ(BRIFT H)」
を構え
そのオーナーを務める
長谷川さんですが
ここまでの道のりは
決して平たんなものでは
ありませんでした。
長谷川さんが幼少の頃
両親が離婚
仕事に子育てにと
必死になって一日中働き続ける
母親の姿をみるうちに
将来は自分がなんとかして
母親を支えたい
そんな思いが
長谷川さんの心の中に
強く醸成されていきます。
当時の生活は
極貧と言う言葉が ふさわしく
厳しい生活を
送っていました。
高校を卒業すると
すぐに英会話教材の
セールスマンとして
早朝から夜遅くまで
必死なって働きます。
しかし
いくら若いからと言って
そんな生活が長く続かず
ムリがたたって体を壊し
入社1年で会社を退職
当時の日本は
平成不況の真っただ中
高卒・入社1年で退職した
長谷川さんには
正社員で雇ってくれる
会社は見つからず
日雇いバイトで
何とか食いつなぐ日々
それでも不況のあおりで
日雇いバイトさえも
入れられない日が続くことも
食べるものを買うお金すらない。
1こ100円のパンが買えない。
何とかしなくてはとの
想いから始めたのが
路上での靴磨きでした
100円ショップで
買い集めた道具を使って
お客さんの靴を
必死で磨き続けます。
知識もスキルも経験もない
長谷川さん。
「ヘタクソ」
「プロの仕事を見たことがあるのか」
お客さんから
罵声を浴びせられます。
しかしここからが
長谷川さんの素晴らしい所
元来の負けん気に火がついて
東京中の靴職人をみてまわり
貪欲に技術を
盗む日々を重ねていきます。
そんなある日のこと
40代の男性が
靴を磨いて欲しいと
路上で客待ちをしていた
長谷川さんのもとを訪れます。
その人は
失業し転職もうまくいかない
人生真っ暗
それでも
なんとか人生を
やり直したい
との想いだったようです。
その人のことを想い
心を込めて
精一杯靴を磨きます。
それから
数か月たったある日
突然その方が表れて
次のような言葉を
かけて頂きました。
靴を磨いてもらったら
心が晴れてきて
その後の人生も
いいことが続いている。
本当にありがとう!
靴磨きとは、
単に靴を磨くだけではなく
その人のココロ
その人の人生を磨いている
そんな魅力的な仕事だと
認識し
さらに靴磨きに
のめり込んでいくように
なります。
そんな長谷川さんの
次なる目標は
靴磨きという仕事の
ステータスをあげて
みんなが目指したい仕事にまで
高めていくこと。
そう心に決めた長谷川さんは
24歳のときに大きな借金をして
青山に
靴磨き専門店を
オープンさせます。
当時から
1足2,000円、3,000円と
通常の靴磨きの
数倍の値段設定にし
そのためか
なかなかお客さんも
来て頂けませんでしたが
靴磨きのステータスをあげる
そのために
知識・スキル・経験
を徹底してこだわり続けることで
やがてお客さんが増え
長谷川さんに憧れて
靴磨き職人に
なりたいという
若者も増えつつあります。
そんな
長谷川さんが
苦しかった当時
たまたま目にした言葉を
胸に秘めて
今日まで生きてきた
と言われていいます。
「失敗や逆境の中には、
全てそれ相応かそれ以上の、
大きな利益の種子が含まれている」
「人は誰でも無限の可能性が
秘めている」
「自分を信じて
行動あるのみ」
さて皆さんは いかがでしょうか?
失敗や逆境を
一度も経験したことのない人など
誰一人としていないことでしょう。
ただ人によって異なるのは
その失敗や逆境への向き合い方
単なる失敗や逆境で
終わらせてしまうのか
それとも
長谷川さんのように
心のバネ
大切な経験値
として
自分の価値に変換して
生きていくのか
この両者の未来は
全く違う人生が訪れることが
容易に想像できますね。
ぜひ皆さんも
失敗や逆境は
自分の成長や
大きな利益を得るチャンス
こんな考えと行動を
実践していきませんか…
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今週の名言 : 斎藤俊男さん(長ネギ王) [ビジネスパーソン (男性)]
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やればできる!
自分はできる!
============
これほどまで甘いネギに
今まで出会ったことがない
日本を代表する
レストランのシェフ達をも
うならせるほどの美味しさの
ブランドネギを生み出し
今では
飲食店500店舗
スーパー1200店舗
にこのブランドネギを
納入する農業法人の
代表を務める
『斎藤俊男』
さんの言葉です。
斎藤さんは、
1967年
日系ブラジル人2世として
日本からは遠く離れた
ブラジルの地で
生まれます。
幼少のころから
日本人の
心の素晴らしさを
父親から聞かされて育った
斎藤さんは
22歳で大学を
卒業すると
Japanese Dream
を夢見て
日本に出稼ぎに。
今では
大成功をおさめている
斎藤さんですが
ここまでの人生は
まさに波乱万丈そのものでした。
日本で初めて
働き始めた職場では
いきなり給料の1か月分を
仲間に騙し取られてしまいます。
そんな背景からその職場を退職。
今度は、
日本語が達者だったこともあり
ブラジル人と
日本の企業をつなぐ
仲介業の仕事を始めることに。
しかし斎藤さん本人が
外国人だから
というだけの理由で
不信感を抱かれて
なかなか契約がとれません。
それでも斎藤さんは
決してあきらめません。
苦労して
借りることのできた借金で
在日ブラジル人のための
社員寮や保育所を設立
在日ブラジル人の働きやすい
環境の整備などを進めていきます。
そこまでやっているのであればと
日本の企業の信頼を得ることで
次第に
契約者数も増え
ブラジル人仲介ビジネスが
成長軌道にのっていきます。
まさに
Japanese Dream
しかし
この成功も長くは
続きませんでした。
世界を震撼させた
リーマン・ショック
世界景気の悪化とともに
各企業から
一気に
契約解除の通達。
結果として残ったのは
行き場のないブラジル人従業員と
借金4千万円
天国から地獄
こんな状況の中でも
斎藤さんは
決してあきらめません。
仲間のブラジル人と
この先何をしたらよいかを
もがいている中で
思いついたのが
農業でした。
当時生活をしていた
埼玉県では
耕作放棄地がたくさんあり
この土地を借りて
農業ビジネスを
成功させようと奮い立ちます。
しかしながら
当時の日本は外国人に対する
偏見も強く
日本の農業をなめるな!
農業はそんな簡単じゃない!
農業の素人であり
かつ外国人だった
斎藤さんに
耕作放棄地を貸してくれる農家が
まったくあらわれません。
それでも
やっとの思いで
借りることのできた土地は
木や草が生い茂る荒れ地
決してあきらめない
やればやれる
来る日も来る日も
荒れ地の開拓をすすめ
そんな生活が3か月たったころ
ようやく畑として使える状態に。
しかし、さっそく様々な
野菜を育ててみるも
斎藤さんは農業の経験ゼロ
収穫できた野菜は
決して品質の良いものでは
ありませんでした。
さすがの斎藤さんも
悔しさにうなだれていると
わずか3か月で
荒れ地を畑にしてしまう努力や
毎朝5時半から
日が暮れるまで
畑仕事に向き合う姿勢に
共感した地元の農家の人々が
栽培の指導をしてくるように
なっていきます。
数ある野菜の中でも
特に長ネギの品質が
年々向上していき
長ネギ農家としての仕事が
軌道に乗り始めていきます。
ところが・・・
そんな矢先のこと、
今度は
東日本大震災が発生
風評被害により
ネギが売れなくなってしまいます。
またしても
大きな借金をかかえることに
それでもあきらめない
自分はできる
との想いから
人とは違う最高品質の長ネギを
つくりあげて
独自ブランド化を目指します。
全国をまわり肥料を研究して
あれこれと試行錯誤する中で
ようやく
今の品種にたどりつきます。
そして スーパーとの契約に
つなげるため
大型のハウス栽培の設備を導入
いよいよこれからだという時期に
今度は大雪でハウスが全壊し
大きな損害
なんでこんなことに
なってしまうのだろう
こんな思いをいだきながらも
それでも斎藤さんは
決して あきらめません。
今度も逆境をはねのけて
見事復活を果たされています。
この復活にあたっては
周りの日本人農家の方々の
サポートを多く受けています。
この地で農業を始めようと
決意してから
地域のごみ拾い・草刈りなどの
活動を行っていた姿勢
日本人以上に農業に
本気で向き合う姿勢が
地元の方々の
信頼につながっていったのですね。
さて
皆さんはいかがでしょうか?
どうせ自分なんて…
私には能力がないから…
一度や二度の失敗で
自分の夢や希望を
簡単に
あきらめたりしていませんか?
やればできる!
自分はできる!
ぜひ皆さんも
斎藤さんのように
自分を信じて
夢や希望を叶えていきませんか…
こちらをクリック頂ると幸いです。
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今週の名言 : 萩本欽一さん(コメディアン) [芸能人 (男性)]
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明日に向かって、
頑張ろう!
===========
「視聴率100%男」
と称されたTV界のレジェンド
“老い”(78歳:2020年)と
闘いながら
今なお笑いを追い求める
希代のコメディアン
『萩本欽一』
さんの言葉です。
現在のお笑いブームの
走りとも言われる
坂上二郎さんとのコンビ
コント55号が
日本国民から
絶大な支持を集める中
スター誕生
欽ちゃんのドンとやってみよう
オールスター家族対抗歌合戦
欽ドン良い子悪い子普通の子
欽ちゃんのどこまでやるの
ぴったしカン・カン
仮装大賞 など
最高視聴率が
30%を超える
人気番組の
司会者もつとめてきた
まさにTV会の
レジェンドといっても
過言ではない
欽ちゃん。
しかしその生い立ちは
決して順風満帆な
ものではありませんでした。
戦後
父親がカメラ製造の
事業に失敗
当時住んでいた
ボロボロの家に
頻繁に
借金取りが押し掛けてきます
欽ちゃんには
今でも決して
忘れることのできない
光景がありました。
それは
玄関で深々と土下座する
母親の姿
中学生のとき
そんな母親の姿を見て
涙がポロポロと
こぼれ落ちてきます。
これが
ずっと続くのはイヤだ。
あ~お金を稼がないと…
僕がなんとかしないと…
大きな家に
お母さんを住まわせて
あげたい。
そんな想いから
大きく稼げる仕事として
コメディアンの道を
目指すようになります。
しかし当時の欽ちゃんは
今となっては想像もつきませんが
極端なあがり症。
コメディアンの修業を積み始めて
3か月がたったころ
初めて舞台にたつチャンスを
頂くも
緊張のあまり
覚えたはずの言葉がでてこず
大失敗
まわりからは
才能がない
このまま続けても
時間のムダから
早く諦めたほうがいい
と説得されます。
それでもあきらめることなく
修業を積み重ねていくと
努力のかいあって
初めてTVCMのチャンスを
頂きます。
今度こそは
しっかりとセリフを暗記して
成功させよう
と意気込むも
またしても緊張のあまり
大失敗
欽ちゃんは当時のことを
次のように振り返っています。
僕がまわりから
「才能がない」
と言われながらも
コメディアンになるのを
あきらめなかったのは、
自分に悪いと思ったから。
そして
母親を幸せにしたかったから。
一度は
「絶対コメディアンになる」
と決意したわけだからね。
簡単にあきらめちゃったら、
そう決断したときの自分に
申し開きが立たないでしょ。
その後も
周りと比較すると
ときに亀のようなスピードでの
成長だったかもしれませんが
自分は自分と
地道にコツコツと
修業を積み重ねていきます。
そして更には
あがり症のため
セリフがでてこないという
弱点を逆手にとって
セリフを覚えるのではなく
全てアドリブでいこうと決意
すると
他にない斬新さが
うけて
次第に欽ちゃんブランドが
醸成されていき
TV界のレジェンドへと
昇りつめていきます。
さて皆さんはいかがでしょうか?
周りと比較して
自分には○○がないから
という理由で
自分の夢や挑戦を
簡単にあきらめたりしていませんか
周りは周り
自分は自分
ぜひ皆さんも
欽ちゃんのように
自分らしさに磨きをかけて
自分の夢を実現させて
いきませんか…
下のボタンをクリック頂けると幸いです。
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今週の名言 : 上田勝彦さん(魚食普及人) [ビジネスパーソン (男性)]
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サカナ伝えて、
国おこす!
==========
日本人1人あたりの
魚の摂取量。
2001年と比較して
2017年の消費量は
なんと60%にまで減少。
魚離れが進む水産業界を
立て直すために
魚食文化の復興に
全国を飛び回り、
汗を流す
魚の伝道師
『上田勝彦』
さんの言葉です。
上田さんは
1964年島根県の生まれ
小さい頃から
魚が大好きで
実家が漁師とか料理店
というわけでなかったものの
小学校3年生の時には
自分で包丁を研ぎ
魚を捌いていたとか
その後も
魚のことが学べるという理由で
長崎大学水産学部へ入学
その大学時代には
さらに魚好きが高じて
大学を休学して
日本各地の漁村を巡りながら
漁師としての仕事を始めます。
このまま漁師として
生きるのも悪くないなと
思い始めていたころ
せっかく大学に
行っているんだったら
中央に行って
漁師が抱える
人材不足や高齢化の
問題を解決して欲しい
と漁師仲間に頼まれたことを
きっかけに
27歳で漁師を辞め
国家公務員試験を受けて
1991年に水産庁に入庁。
水産庁での
上田さんの働き方は
多くの官僚とは異なり
机上の調査だけではなく
とにかく自ら現場に足を運び
漁師から消費者に至るまでの
様々な立場の人々の声に
耳を傾けていたそうです。
こうして現場に足を運ぶ
日々を積み重ねる中で
このまま水産庁にいたままでは
自分の想いは実現できない。
との想いから
50歳の時に水産庁の辞職を決断。
ウエカツ水産という会社を
立ち上げ
魚に関わる様々な相談に
のるようになります。
この会社の社是こそが
冒頭の言葉
サカナ伝えて、
国おこす
漁師
加工流通業者
小売り
飲食店
消費者
相談の内容は多岐に
渡りますが
水産庁時代に
現場を中心に仕事を
行ってきた経験と
ご自身の調理の腕
漁師としての実力などもあり
今では
数か月先まで
相談の予約でいっぱいとのこと。
こうして自分のやりたいことを
実践し続ける行動力、
本当に素晴らしいですね
さて皆さんは
いかがでしょうか
時間が無いから…
お金が無いから…
○○が無いから…
せっかく自分の
やりたいことがあるのに
できない理由ばかりを
並べて
あきらめたりして
いませんか?
ぜひ皆さんも
上田さんのように
自分の想いを軸にした
人生を歩んでいきませんか…
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