今週の名言 : HARAさん(イリュージョニスト) [その他]
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自分らしく、
オリジナルに!
==========
次世代を担う
スターマジシャンを
発掘するために、
世界中から選ばれた
若手マジシャンが競う
アメリカ・ラスベガスで行われた
世界ジュニア大会
World Magic Seminar
Teens Contest で、
日本人初のグランプリを獲得。
今、世界を飛び回る
異端のイリュージョニスト
『HARA』
さんの言葉です。
HARAさんこと
原大樹(ひろき)さんは、
1990年奈良県の生まれ。
幼いころ、
公園で行われたマジックを
観ているお客さんたちが
ワクワクしながら
楽しんでいる雰囲気に惹かれ
マジックに
興味を抱くようになります。
しかしHARAさんが
生まれ育った
奈良県十津川村では
マジックの道具などが
全く揃いません。
通常であれば
多くの人がここで
諦めてしまう所ですが、
それでもマジックに対する
興味は増すばかり…
そこでHARAさんが
とった行動は、
マジックの道具を自分で創り
それを使って練習に励むこと。
そしてオリジナルに拘ること。
現在世界で活躍を続ける
HARAさんのマジックは
独創的なオリジナルマジック
と高い評価をもらっていますが
その原点がこんなところに
あるのですね。
その特徴的なマジックの1つが、
デジタルを駆使した
オリジナルマジックに
「和」を取り入れたイリュージョン。
アメリカ、
アジア、
中米、
ヨーロッパ、
アフリカなど
世界25か国以上の
テレビやショーに出演
今、最も世界から
注目を浴びている
イリュージョニストの
ひとりになっています。
そして2020年には
いよいよ日本でのショーも
行われるとのこと。
大きな話題と
なりそうですね。
日本人と言うと一般的には
中流意識が強く
周りと同じであることを
大切にする思考がありますが
HARAさんはその逆で
人とは違う独創性で
世界中から注目を
浴びているのですね。
さて皆さんはいかがでしょうか?
独創性とはある意味
自分らしさ。
私の強みや得意を
どんどん磨いていくことで
皆さんもHARAさんのように
人々に喜びを提供できる
そんな人生を歩んでいきませんか…
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今週の名言 : 中西摩耶さん(パラ陸上競技選手) [スポーツ (女性)]
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未来を、
あきらめない!
===========
31歳で自己ベストを更新し
日本新記録を樹立
同年リオでジャネイロでの
パラリンピックでは4位となり
メダルまであと一歩と迫った
日本パラリンピック
走り幅跳びの
トップランナーとして
その名を轟かせている
『中西摩耶』
さんの言葉です。
摩耶さんは
1985年大阪生まれ。
子どもの頃から、
卓球やピアノなど
なんでも器用に
こなすものの
長くは続かず
色んなものに
興味を抱いていたようです。
その後中学で
ソフトテニスと出あい
ソフトテニスの名門
明豊高校に入学をします。
しかし当時の
摩耶さんにとって
厳しい日々が続くことに。
全寮制のソフトテニス部では
毎朝1年生が4時に起きて
食事作り
無名の中学から
来たというだけでの
嫌がらせ
そして3年生の
最後の大会の団体戦で
負けてしまったことで
周りから
かなり厳しい発言も…
こんなことから
大学でのスポーツも
就職にも気力がわかない
日々を過ごします。
こうして20歳を迎えた頃、
このままこんな生活をしてては
自分がダメになる
もう一度
不完全燃焼まま止めてしまった
テニスで国体に出場したい
そんな思いが湧き上がり
国体出場を支援してくれる
親友のお父さんの
会社(鉄骨塗装業)に就職し、
大分国体に照準を合わせ
トレーニングに励んでいました。
そんな時でした!
作業中に5mの鉄骨が
彼女の足に倒れかかってきたのは。
これまでに経験したことのない
人生の挫折を味わいます。
それでも
自分に出した結論は
自分の未来を
自分で諦めることだけは
したくない
毎日
自分の思ったことを
全力でやれる人生を
歩んでいきたい!
そんな中
義足との出会い
陸上との出会いが
摩耶さんの人生を
大きく変えていきます。
今では
パラリンピックの
走り幅跳びの選手として
日本のトップに君臨する
摩耶さんですが
摩耶さんの
スポーツを行う環境は
決して恵まれたものでは
ありませんでした。
自分でスポンサーを探し
自分で練習場を探し
自分で街中に出かけて
遠征費用などの募金活動
お金がないことから
レストランでも
私はお金を持っていません。
皿洗いするから
何か食べさせて
もらえませんか?
と頼みこんだことも
1度や2度ではなかったそうです。
さらに
こんなお金の苦労だけでなく
単身アメリカでの修行中には
障がい者というポジションを
利用して金儲けしている
日本を捨てて
アメリカに渡った裏切り者
こんな心ない誹謗中傷が
彼女の心をズタズタにしました。
周りに認められない
悲しさ虚しさ、
自分自身の努力する意味を見失い、
疲れきっていた彼女は
2012年の
ロンドンパラリンピック後に
引退を決めました。
それでも自分を応援してくれる
周りの方々
そして自分の人生を
自分らしく後悔なく生きる
こんな思いから
次の東京パラリンピック出場を
目指します。
2019年にドバイで開催された
世界大会では
そんな摩耶さんの努力が
身を結び
自身初の金メダル
そして
東京パラリンピック出場獲得
本当に素晴らしいですね。
こうして改めて
摩耶さんの人生を
振り返ってみると
決して楽な
道のりではありませんでした。
そんなとき摩耶さんは
自分の未来を諦めたくない
そんな一心で
日々を積み重ねて
来たのですね。
摩耶さん自身は
自分の人生を
次のように
振り返られています。
私、自信があるように見えて、
自信がない自分がいるんです。
こんな私が
ずっとやり続けてきたことは
「勇気を出す努力」です。
これには才能も何も要らないんです。
今日からすぐできるんです。
さて皆さんはいかがでしょうか?
やってみたいけれど
発言してみたいけれど
勇気がなくて
一歩を踏み出せない
こんな経験をしたことのある人も
多いのではないでしょうか。
もしかしたら
あなたもそんな
一人かもしれません。
自分の未来を諦めない
摩耶さんのように
勇気を出す努力で
具体的な1歩を
踏み出してみませんか…
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今週の名言 : 山本千織さん(料理人) [ビジネスパーソン (女性)]
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真剣に
楽しもう!
=========
かわいらしくて美しい
思わずホッとできる
栄養補給もできておいしい
午後からの仕事の活力になる
・・・
自身のてがける弁当
その名も「チオベン」が
大きな話題となっている
その仕掛け人である
『山本千織』
さんの言葉です。
山本さんは
北海道山越郡長万部に
5人姉弟の長女として
生まれます。
実家が建設会社を営んでおり
父親も母親もとても忙しいなか
山本さんは幼少の頃から
家族や会社の従業員の
食事作りの手伝いを
毎日続けていたそうです。
しかし大学生のころまでは
仕事で料理をするとは全く
思っていませんでしたが
大学を卒業してすぐに
結婚をした相手が料理人でした。
ところがここから
山本さんの不思議な運命が
始まります。
結婚して
わずか1年足らずのときに
ふと調理場に向かうと
離婚届が机の上に…
突然、夫が
いなくなってしまいます。
本来であれば
落ち込みふさぎ込んでしまうような
状況ですが、
山本さんは
悩んでいても仕方がない
この機会をチャンスと捉えて
チャレンジをしていこう
そう思いたつや
夫がいなくなったお店で
知人と一緒に
定食屋を開始
若い女性だけでやっている
お店と評判になり
売上も大きくなっていきます。
しかしその後は
その定食屋を知人に売ると
今度は様々なお店で
料理の手伝いをするように…
そして東京でお店を開くので
手伝って欲しいという話にのり
北海道から東京に行くと
短期間でやめざるおえない
状況に…
そんなときに
声をかけて頂いたのが
懇意にしていたバーの店長でした。
バーの営業は夜なので
昼間は使っていいよ。
しかしバーなので
料理を出す食器がありません。
そんなときバーの店長が
「弁当箱で出したら?」
と提案をしてくれました。
こうして始まった
「チオベン」
フリーランスの編集者やライター
カメラマン、アパレル関係の人など
口コミで少しずつ広がっていき
やがて
撮影現場に持ってきてほしい
違う現場にも持ってきてほしい
と注文がドンドン増えていきます。
山本さんが「チオベン」で
大切にしていること
それは、
働く誰かのためのお弁当
注文を頂く相手からの
要望をしっかりと聞いた上で
あとはお任せで弁当をつくる
スタイルで行っていますが
何より山本さんの弁当を
食べて頂いて
現場で働く人々が
思わずホッとできる
見た目も美しくかわらしく
味を楽しみ
栄養補給もできて
午後からの仕事の
活力となる
こんなお弁当に仕上げるために
使う食材や作り方など
1品1品真剣に知恵を絞ります。
時間が経っても
風味が残る
食感が残る
色目の美しさが残る
…
こうして山本さんの
生き方を見ていくと
はたから見ると
厳しい局面に遭遇することも
度々ありましたが
常に前を向いて
ピンチをチャンスに変える
という意識のあり方
そしてそのつど人との縁が
とても大切になっています。
山本さんにこのあたりを
伺ってみると
どんな時でも
楽しくやる
真剣にやる
をモットーにしているとか。
離婚直後に始めた
定食屋を知人に
手放した理由も
人気が出過ぎて
忙しくなりすぎたため。
それはそれでいいのかも
知れないけれど
自分の中では
楽しめないなと感じて
お店の譲渡を決めたとか。
今の仕事は
とても楽しいといいます。
1品1品にトコトン
知恵を絞り込みますが
苦しくなるところまで
自分を追い込むことはしないとも
言い切ります。
そうでないと
続かないから。
山本さんの言われている
「真剣に楽しもう!」
の意味合いが伝わってきますね。
さて皆さんはいかがでしょうか?
普段の生活は
本来は自分の楽しい未来のため
それにもかかわらず
苦しさや辛さばかりを
感じて生活していませんか?
環境を変える
意識を変える
あなたも山本さんのように
「真剣に楽しもう」
を実践していきませんか…
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タグ:チオベン
今週の名言 : 渡辺万由美さん(芸能プロ社長) [その他]
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その人にしかできない
人生を、
その人らしく!
============
菅田将暉
松坂桃李
中村倫也
木村佳乃
佐々木希
などの人気俳優を
輩出し続けるなど
今最も勢いのある
芸能プロダクション
「トップッコート」
の社長
『渡辺万由美』
さんの言葉です。
人が商品となる
芸能プロダクション
渡辺さんが
社長として
最も大切にしていることは
「実家」
のようなプロダクションで
あること。
「実家」
の母のような社長であること。
6,000人規模の
アーティストを抱える
芸能プロダクションがある中
渡辺さんは
少数精鋭主義を貫き
アーティストの数は
わずか20人強
数年先を見据えた育成を
行ったり
一人ひとりが本当に
やりたいことを
見極めて実現していきます。
まさしく
実家の母親を実践しています。
なかなか芽の出ない
アーティストに対しても
他のプロダクションであれば
退社を余儀なくされますが
人の育つ年月は
人それぞれ
自分らしさを
磨き続けていれば
必ず世間に伝わる日が来る
と伝え続けています。
今でこそ
人気俳優となった
中村倫也さんも
こうして脚光を浴びるまでに
15年の歳月がかかりました。
中村倫也さんは
こんな渡辺社長に対して
次のようなことを
語られています。
本当に自分は
実家の母のように
守られている安心感がある。
こうして苦労したことが
自分らしさ
にもつながっている。
自分は雑草だ。
雑草は強い。
そして綺麗なきれいな
花をさかせる。
こうして多くの人気俳優を
輩出し続けている
渡辺さんですが
自分自身のことを
次のように分析されています。
人とうまくつきあえない
しゃべりが下手
超人見知り
人に勝るものがない
でも人の才能を発掘する
眼力だけはある
これで十分。
少数精鋭で
未来を期待できる
アーティストを
渡辺さんが選ぶ時の
ポイントとして
次の2つを
挙げられています。
・全体の雰囲気
・努力できる才能
芝居がうまくても
努力しない人よりも
芝居が下手でも
努力できる人
そんな人を選ぶのだそうです。
実家の母親のように
アーティストに接している
渡辺さんが
いつも伝えていること
それは、
自分らしさを磨きなさい。
決して既定路線に
拘ることなく
自分らしさを
開拓していきましょう。
芸能プロダクションの社長で
渡辺さんほど
現場に足を運ぶ
社長はいないと言われています。
そして現場でメンバーを
仕事に送り出すときには
「行ってらっしゃい」
こんなところまで
実家のようにを
実践されているのですね。
そして渡辺さんは
プロフェッショナルとはの
質問に対して
次のように答えられています。
自分は何者であるかを
分かっている人
他人と比べてできないことは
する必要もないし、
自分には何ができて
何が得意なのか
まずは自分を知ることが
プロフェッショナルの第一歩
さて皆さんは
いかがでしょうか?
自分と他人を比較して
どうして私はこれが
出来ないんだろう?
こんな思いを抱いたり
していませんか?
大切なのは
自分らしさを磨くこと。
ぜひ渡辺さんの言葉を胸に
あなたにしかない人生を
あなたらしく送っていきませんか…
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