今週の名言 : 笠原忠清さん(せんべい職人) [その他]
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10人の人に買って頂くより
1人の人に
10回買って頂きたい!
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東京・新宿の NEWoMan
「ココルミネ」
東京駅
「日本百貨店とうきょう」
代官山のテノハ代官山
「& STYLE STORE」
など人気エリアでの
取り扱いに加え
「星野リゾート」
からもコラボ商品の依頼が
舞い込むなど
今、 日本で最も人気の
おせんべい
「SENBEI BROTHERS」
を製造するせんべい職人
『笠原忠清』
さんの言葉です。
忠清さんは1977年
祖父の代から続く
せんべい工場の次男として
東京下町に生まれます。
精米度の高い
米を使用し
トコトン拘った
秘伝の醤油ダレで
味をつけるなど
誰にも真似できない
美味しさが評判を呼び
当時から
高級せんべいとして
人気を博していました。
しかし
忠清さんが15歳のとき
父親が
くも膜下出血で倒れます。
何とか一命をとりとめ
一人で歩けるような
状態まで回復するも
大好きだった
せんべいが焼けない
くやしさや疎外感
自分の未来に対する
不安などから
やがてお酒におぼれ
家族にも手を出すように
なってしまいます。
そしてその数年後
お酒が原因で
亡くなってしまいます。
清忠さんが
18歳の時でした。
清忠さんは
その後何をする気もおきず
家族のもとを離れて
フリーター生活に入ります。
父親が倒れた直後、
叔父が工場を引き継ぐも
当時の日本は
長期にわたる不況
工場の売り上げも
1/5におちこみます。
8年間
フリーターをしていた
清忠さんは
ついに
せんべい職人になることを決意。
知識も経験も
ゼロの状態から
毎日毎日
せんべいを焼き始めます。
生地の乾燥の度合い
焼くときの微妙な温度かげん
その日の天候に応じて
焼き加減を調整するなど
自分でやってみて初めて
せんべいの奥深さを
思い知らされます。
借金が数千万円に
膨らむ中でも
万人にうけるような
誰もが好きそうな
せんべいを作っていては
大手メーカーに
負けてしまう
やはり
自分にしかできない
自分らしい
せんべいを作りたい
10人中1人だけしか
買って頂けないが
その方に
10回買って頂ける
そんなせんべいづくりに
こだわります。
そのためには
焦らず急がず
自分を信じ続け
地道にやり続けるだけ。
米を粒のまま混ぜる
醤油の香と味を
最も引き出すために
醤油をこがす
ギリギリを狙って焼く
秘伝の醤油ダレに
二度付けするときの
やり方の工夫などから
生み出された味が
やがて評判となり
今の大人気へと
つながっていきます。
日本人にありがちな
周りにあわせるのではなく
自分らしさへのこだわり
を抱きながら
地道にやり続けたからこそ
今があるということが
伝わってきますね。
さて皆さんは
いかがでしょうか?
自分の気持ちをおさえて
ついつい周りにあわせる
ことばかりを意識してしまったり
チャレンジはしてみるも
簡単にあきらめてしまうことも
ときにはあるかもしれません。
そんなときには
SENBEI BROTHERS
のように
個性×未来
の視点から
前を向いて歩んでいきたいですね。
こちらをクリック頂けますと幸いです。
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2021-10-02 08:23
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