今週の名言 : 林家たい平さん(落語家) [芸能人 (男性)]
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人が一番嬉しい時は、
人を助けた時と、
人に助けられた時。
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2016年
24時間テレビ100kmマラソン
沿道の方々の応援に
終始、
笑顔と感謝の言葉で応え
感動のフィナーレを飾った
「林家たい平」
さんの言葉です。
たい平さんの
この言葉には
ご自身の人生への向き合い方が
ストレートに表現されています。
たい平さんが、
この世に生を受けたのは
1964年12月
埼玉県秩父市
高校時代までを秩父で過ごした
たい平さんは、
高校を卒業すると
武蔵野美術大学へと
進学されています。
大学に入学した際に
ふと立ち寄った落研サークルが
当時は廃部寸前だったため、
何とかしなければと
友人数名を集めて廃部を
撤回させたことが
落語への道を歩み始める
きっかけとなりました。
その当時は、
落語を観たことも聴いたことも
なかったために
漫才やコントをやっていましたが、
たまたまラジオで流れていた
人間国宝・5代目柳家小さんの
『粗忽長屋』を聴いて感動。
真剣に落語を始めたそうです。
人情の機微・・・
人の世の奥深さ・・・
空気感や高揚感・・・
これらのことを
言葉一つで表現してしまう
落語の世界に魅せられて
それからというもの
古今の高座(はなし)を
“徹底的”に聞き続けるようになります。
大学卒業後は、
落語家になる決心を固め
師匠:林家こん平さんのもとに
弟子入りを果たします。
ただし、
正式に弟子入りが認められたのは
こん平師匠の奥様の自宅で
1年間の住み込み修行をした
後でのことでした。
たい平さんは誓います。
自分のために心から応援してくれる
師匠のためにも
立派な落語家になることで
恩返しをしよう。
そのためには
プロとしての実力を
徹底的に磨いていこう。
プロとしての
自分の成長をはかるための
目安として
毎年、年の瀬に
名高座「芝浜」の
独演会を開いています。
この「芝浜」とは、
古今の数多の名人たちが
年の瀬に決まって演じてきた高座
それを20年以上前から
独演会として毎年継続しているのです。
始めた当初は、客席もまばら
自分でチケットを手売り。
それでも古今の先輩たちに
一歩でも近づいていきたいとの
想いから、
自分の実力を磨いてきた証を
毎年この場で定点観測をする。
始めた当初は
あまりにも無鉄砲だと
非難の声も少なくありませんでした。
それでも
師匠や仲間・家族の応援に感謝
この気持ちをエネルギーに変えて
自分を磨き続けていく
改めて冒頭の言葉を
振り返ってみましょう!
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人が一番嬉しい時は、
人を助けた時と、
人に助けられた時。
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たい平さんは、
後輩たちに対する応援力の
すごさでもよく知られています。
今の自分があるのは、
様々な方々の応援があったからこそ。
恩返しの意味も込めて
頑張っている後輩たちを
トコトン応援していこう。
こんな心の内が
伝わってきますね。
2016年
たい平さんを24時間テレビの
マラソンランナーとして
走る決断に導いたのは
何を隠そう
こん平師匠への感謝と応援
応援と感謝の気持ちを
自分のエネルギーに変えて
生きていく!
とても素敵な生き方ですね。
あなたにもきっと
あなたのことを応援してくれている
家族や仲間がいますよね。
あなたにもきっと
応援してあげたい
大切な人がいますよね。
応援と感謝に生きる!
あなたもそんな生き方を
していきませんか・・・
たい平さん公式HP
http://www.hayashiya-taihei.com/
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